春の歩き呑み|新城和博のコラム|fun okinawa~ほーむぷらざ~

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新城和博

2017年4月6日更新

春の歩き呑み|新城和博のコラム

ごく私的な歳時記Vol.27|首里に引っ越して20年。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、この20年も振り返りながら、季節の出来事や県産本の話題をつづります。



最近気づいたこと。朝9時を過ぎると、犬と散歩するおじさんが増える。犬を散歩させるのではなく、人と犬。おれとあいつ。対等な感じなのだ。春に誘われたせいではないだろう。彼らは群れることなく適当な間隔をとり、ぽちぽちと歩いている。何故だ。しかし犬を飼うことのない僕はその謎を解明することなく朝の仕事場へと向かう。みなさんも気にして午前9時の通りを眺めるといいです。

さてある週末。久々にひとりきりで夜の散歩をしたのは春の陽気に誘われたせいである。那覇の壺屋・牧志かいわいをほろり呑(の)み歩きしようと思ったのだ。いや主体は「歩き」なので、正確には、歩き呑みである。ルールを決めた。店一軒につき一杯、もしくはほろ酔いワンセットのみ。店は初めて行くところ限定。
陽気に誘われたつもりでいたが首里は雨。しかたなく英国紳士のたしなみの如く携えた傘を開く。那覇に下ると雨はやんでいた。ちぇっ。国際通りから浮島通りへ一方通行を逆に歩く。不便な自動車とは違って傘を手に僕はどんな通りも、自由に歩ける。
通りすがら、なじみのTシャツ屋で店主とゆんたく。沖縄の出版界とTシャツ作家さんとの意外な共通点に興奮して話こんでいたら、すっかり通りは夜になっていた。いかん。今日はひとりを楽しむのだと、あわてて歩き呑み一軒目のクラフトビールの店に行く。
初めての店だと齢五十を越えても多少ミゾミゾしてしまう。広めのテーブルについたら真向かいに知り合いがいる。あっ。気がつけば、小禄のディープな民俗社会について嬉々(きき)として語り合ってしまった。彼はウルクムークなのだ(ドイツっぽい響きだが「小禄の婿」のこと)。なんとかビール一杯を死守し、楽しい語らいを振り切って二軒目に向かう。



太平通りという、いま最も地元市場っぽい、開南の下町といった風情の商店街通りのはしっこに、最近見かけた小さな串焼きやへ。ここ数年、市場近辺でトレンドとなっているちょい飲み屋の類である。あと一歩踏み出せばアーケードは終わり、水上店舗も途切れてしまう辺境の地。ムラカミハルキ的にいえば「水上店舗の西、大平の東」となる。気を取り直して500円セットをたのむ。串焼きが二本も付いちゃう。わーい。
この後の用事も何もないのだが、追加注文はしないことを店の人に察してもらうため、しきりに時間を気にするそぶりで「……一杯だけにしとくか」などとつぶやく振りをする。本当に口に出したらわざとっぽい、見抜かれてしまう恐れがある。あくまでも振り。すると背後から「アラシロさん、でしょう?」と呼びかけられた。違うのだが、多分顔がバレたはずなので振り向いたら、知らないおじさんである。テレビで観てたよ、最近は出ないね、ラジオは? あんまり変わらないね……と一連の声掛けが続いた。テレビに週一で出ていたのは27年前なのだが、どうして人はそのことを覚えているのだろうか。毎回不思議でならない。
しかしその記憶力がいいが名前を読みそこねているおじさんと、いつの間にか話し込む。那覇市最古のニュータウンのひとつ長田地区からここに飲みに来るんだという。地元の飲み屋は行きにくいのだ。わからないでもない。昔、この神里原の通りがもう少し狭かったころ、通りの電気屋さんが夕方になると大きなスクリーンを通りに出してビデオ上映していた、という。路上に座り込んで観ていた。中学生のころで、ブルース・リーの映画だったはずよ。おじさんの、記憶がとろけそうな話題を振りきって、さらに次の店へむかった。
目指したのはえびす通り。ここは那覇市最古の木造アーケードがある通り。そのなかの小さな十字路で、カウンター席が通りに面しているこれまたちょい呑みの店。おでんが2、3品に日本酒一杯ついて500円セット。わーい、わーい。ここではもう堪えきれず、自ら隣に座っていた仕事帰りのお兄さんに話しかけた。この辺りは戦前は畑だったんだよ、ほらこれが昭和初期の地図と、いつも持ち歩いている地図を広げて話してたら、カウンター向かいの知らない顔のカップルが、「シンジョウさんじゃない」と言うではないか。あたっている。すべてお見通しの二人と、きょとんとしているお兄さん。もうひとり呑みとかどうでもよくなって、昔の那覇ばなしを、さらに別の地図も出して、ここぞとばかししゃべったのである。

蔡温橋|新城和博さんのコラム

ここで春のひとり歩き呑みは終了。モノレールの終電を気にしつつ、平和通りから国際通りへ向かった。牧志駅を見上げる蔡温橋のたもとにたたずみ、ここから渡り船が出ていればいいのになと思う。実際、昔はここから壺屋へ、焼き物のためのタムン(薪)の荷揚げをするシチバ(敷場)があったのであるからして……。
翌日。昼間首里を歩く。もう春だ。森の緑が萌(も)えていた。


<新城和博さんのコラム>
vol.34 かつてここにはロマンがあった
vol.33 夏の終わりのウッパマ
vol.32 ちょっとシュールでファニーな神さま
vol.31 セミシャワーと太陽の烽火
vol.30 甘く香る御嶽かいわい
vol.29 松の浦断崖と田園段丘の旅
vol.28 一日だけの本屋さん
vol.27 春の呑み歩き
vol.26 そこに市場がある限り
vol.25 すいスイーツ
vol.24 妙に見晴らしのよい場所から見えること
vol.23 帯状疱疹ブルース
vol.22 隣の空き地は青かった
vol.21 戦前の首里の青春を偲ぶ
vol.20 君は与那原大綱曳をひいたか?
vol.19 蝉の一生、人の一日


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新城和博さんのコラム[カテゴリー:まち歩き 沖縄の現在・過去・未来]
ごく私的な歳時記 vol.27

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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。

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