君は与那原大綱曳をひいたか?|新城和博のコラム|fun okinawa~ほーむぷらざ~

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新城和博

2016年8月15日更新

君は与那原大綱曳をひいたか?|新城和博のコラム

ごく私的な歳時記 Vol.20
首里に引っ越して20年。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、この20年も振り返りながら、季節の出来事や県産本の話題をつづります。

与那原大綱曳まつり|新城和博さんのコラム

「364日をこの一日に」|与那原大綱曳まつり

沖縄の伝統的な夏の祭りといえば、稲の収穫が終わったあとの豊年祭としての綱ひき、旗頭である。かつて沖縄は島中に田んぼがあったのだ。いまはほとんどの地域がさとうきび畑に変わってしまったけれど、綱ひき、旗頭の行事だけは残っている。環境は激変していても地域や家庭の中で伝統的な行事が続いているのは、考えてみるとおもしろい話ではある。

でも祭りもいろいろ社会の変化を受けて変わるところは変わる。そもそも年中行事は太陰暦、お月さまの周期をもとにした、いわゆる旧暦に従って行われてきた。旧暦という言葉も明治になって日本政府が西洋式の太陽暦、つまり太陽の周期にもとづいた暦を採用したことによって、「旧」と言われるようになったけど、沖縄においては年中行事のほとんどが旧暦にもとづいて行われているのは、まぁみなさんご存じの通り。行事は「旧」で変わらない。でも行事によっては多少の変化はある。都市化した町や村で、たくさんの人が集まるような祭りは、例えば、綱ひきだとだいたい旧暦6月25日に行われるものだが、それが平日だったりするといろいろ都合が悪いので、その近辺の週末の日曜日に行っている地域は多い。この変化しつつ続いていく、というのが私たちの暮らしのリズムなのかもしれない。

というわけで、2年ぶりに遊びに行ったのが与那原大綱曳まつりである。綱ひきの「ひき」は、「引」と書いたり、「曳」と書いたり、「挽」と書いたり、地域によって微妙なこだわりがあるのだけど、与那原町は「曳」である。こういうことは地域の人にとってデリケートなことなので気を付けよう。与那原の伝統的な綱曳だが、開催は週末である。

しかし与那原の人たちの綱曳にかける情熱はすてきである。なんといっても、毎年の町のスローガンが「364日をこの一日に」なのである。綱曳まつりのために、1年を過ごしているのだ! いいのかそれでと思いたくなるが、いいのだそれで。


綱曳の様子|新城和博さんのコラム
綱曳の様子

与那原の綱曳の特徴は、僕の印象としては「美しい、きれいだなぁ」である。旗頭もその行列の人たちも、全体的にかわいらしい色合いなのである。勇壮な部分はもちろんあるが、桜色っぽいというか、なんかフェミニン。与那原の綱曳には「勝ちぢゅらさ、負きぢゅらさ」という言葉があるそうだ。「勝っても美しい、負けても美しい」「勝っても負けてもすがすがしい」という感じだろう。すてきだ。綱ひきは地域によっては「喧嘩(けんか)綱」と言われるくらい荒々しいものだが、与那原はその点でもなんだか、たおやかだ。それはそのまま与那原の印象でもある。

町のそんなに大きくもない広場で行われる大綱曳まつりは、綱曳のほかにもいろいろ行われるのだが、舞台でのバンド演奏が、70~80年代のディスコっぽかったり、ここぞというところでプリンセス・プリンセスやリンドバーグのJポップだったりして、これもまたいとおかし、である。なんか祭り全体的に漂う昭和感がほっとする。
 

沖縄の角力大会[シマー]

角力大会|新城和博さんのコラム
角力大会|新城和博さんのコラム
角力大会

僕は今年はずっと、そのバンド演奏が鳴り響く会場の片隅で行われた沖縄角力大会を見ていた。沖縄の相撲は「シマー」と呼ばれていて、日本風の相撲とは違って沖縄独特のものだ。胴着を着て、最初から帯を持ち合い組んでから始まる。勝負は背中が付いたら負けで、大体三本勝負で2回勝ったら勝ちだ。今年も全島から集まった力自慢のニーニー達が熱戦を繰り広げていた。アース・ウインド・アンド・ファイヤーの「セプテンバー」をBGMにして、くるりと投げたり投げられたりしていた。なんか、いいよね。

祭りの最後の打ち上げ花火は、与那原の埋め立て地によって出来た運河沿いに座って見たのだけれど、その時は、他の夏祭りでありがちな仰々しい音楽もなくて、ひたすら花火の「どーーーん しゃらしゃらしゃら」という響きだけが聞こえて、風情があった。

帰りのバスを待っていたら、祭りを堪能したらしいおじさん2人が、「あのバンド、最高だったなー」「でーじうまかったなー」「あれー、コザのフィリピンバンドやんどー」「あー、やくとう、あんなに上手やんやー」などど話していた。なるほど!

次の与那原大綱曳まであと364日……。

町のスローガンがかかれた看板|新城和博さんのコラム
町のスローガンがかかれた看板


 

<新城和博さんのコラム>
vol.34 かつてここにはロマンがあった
vol.33 夏の終わりのウッパマ
vol.32 ちょっとシュールでファニーな神さま
vol.31 セミシャワーと太陽の烽火
vol.30 甘く香る御嶽かいわい
vol.29 松の浦断崖と田園段丘の旅
vol.28 一日だけの本屋さん
vol.27 春の呑み歩き
vol.26 そこに市場がある限り
vol.25 すいスイーツ
vol.24 妙に見晴らしのよい場所から見えること
vol.23 帯状疱疹ブルース
vol.22 隣の空き地は青かった
vol.21 戦前の首里の青春を偲ぶ
vol.20 君は与那原大綱曳をひいたか?
vol.19 蝉の一生、人の一日


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新城和博さんのコラム[カテゴリー:まち歩き 沖縄の現在・過去・未来]
ごく私的な歳時記 vol.20

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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。

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