親泊宗秀
2018年3月17日更新
宮古島の原風景(池間島)|親泊宗秀のコラム
宮古島市に住む親泊宗秀さんが沖縄・宮古島の自然や人々の暮らしをご紹介します。沖縄を遊ぶ・楽しむ vol.10
精巧に組み上げられた石垣の風景が郷愁を誘う場所がある。
自然石をそのまま積み上げた野面(のずら)積み、表面や角を平たく加工した打ち込み接(は)ぎの石垣が、そこかしこにあるのは、島の原風景を色濃く残す池間島である。
宮古本島の北側に位置し、対岸の狩俣地区から橋が架かっている。橋から見える海の色はソーダ水のように青く輝いている。また、島の中央部にある湿原には約350種もの野鳥が飛来する渡り鳥の休息地でもある。
強い北風を避けるためだろうか島の南側に寄り添うように集落がある。昔から漁業を中心とした島は、古い歴史を持ち、ミャークズツ(宮古月)という固有の豊年祭を今でも盛大に行っている数少ない地域だ。期間中は、県外に出た出身者もわざわざ参加するほど、行事は大切にされ、自らを「池間民族」と称し、結束を重んじる海の民である。
入り組んだ路地は、人がすれ違うのが、どうにかと思われるほど幅が狭い場所もあり、それが集落の成り立ちを物語っているように思う。
世帯数が300戸あまり、密集した家々の境界に見事に組み上げられた石垣を見ていると、この地で暮らしている人たちの結びつきが如何に強いか想像に難しくない。
こころ和むのが、「マッチャ」だ。大型スーパーなどが無かった頃、どの地区でも近所にはマッチャ(小規模商店)があった。ここは路地の奥まったところにまでマッチャがある、一軒の店で島にある店舗の数を尋ねたところ、5・6件ほどあるとの返答がかえってきた。店名を掲げているマッチャはほとんど無く、入り口のガラス引き戸に、日に焼けた広告用のポスターが貼られているので店舗だということが分かる。それで、いいのだろう。
何故なら店名を掲げる必要がないからだ、島では屋号が分かれば名字など要らないはずである。ましてやマッチャだ。島では周知の事実、商いをしていることは誰もが承知しているのだから・・・。これこそが島の原風景の証だ。
あまりの懐かしさにマッチャ探索をすることにした。ガラスの引き戸の開け閉めで傾いたのだろう、ゆがんだしめ縄が印象的なマッチャがあったので入った。店内は三畳ほど、飲料品用の冷蔵庫がやたらスペースを占めている。商品よりも、A3のフレームに入った誕生祝いの記念写真がひときわ目立っている。その数4枚!思わず写真屋かと思ったほどである。店内には人影はなく、奥の方で作業をしている様子だった。
音量の大きい曲が流れていたので、音の方を見ると、今では博物館の資料になっている「親子ラジオ」が現役でそこにあった。この地域では使われていると噂では聞いていたが、懐かしい響きだった。池間島は今でも各家庭に親子ラジオが備えられ、それを再活用して集落の情報を伝えているそうである。
「親子ラジオ」は有線放送で昭和28年から昭和58年まで宮古地域の情報源として活躍していた地元ラジオ局の受信機器だった。杉板でこしらえた正方形の箱に、スピーカーとボリュームが付いているだけ、発信局を選択するチューナーなどはない。最盛期には5000戸もの加入者があり無くてはならない情報ツールだった。
離島にあっては変化がいちじるしい宮古島で、原風景を見つけようとすると容易ではなく、限られた場所のみになってきた。変化を拒むつもりはないが、風景を記録しておく必要を考えさせられた。
狭い路地を吹く潮風が心地いい昼下がり、正月休みにぶらりと立ち寄った池間島、潮風から家屋を守る役目を担ってきた石垣が島の歴史を語りかけ、30年も前に途絶えた放送設備を今でも使い続けるこの島には、レトロなラジオから流れる曲のように、他の地域とは異なる時間も流れているようだった。
親泊宗秀のコラム
・vol.11 東松照明写真展
・vol.10 宮古島の原風景(池間島)
・vol.09 御嶽
・vol.08 麺にこだわる島人
・vol.07 孫の味方
・vol.06 珈琲の香りを喫む
・vol.05 光に満ちた世界
・vol.04 宮古島の四季を感じる
・vol.03 夜の帷(とばり)が降りるころ
・vol.02 宮古島からの便り ロマン・空想は尽きない。
・vol.01 宮古島からの便り[赤浜]