親泊宗秀
2016年11月7日更新
宮古島の四季を感じる|親泊宗秀のコラム
宮古島市に住む親泊宗秀さんが沖縄・宮古島の自然や人々の暮らしをご紹介します。沖縄を遊ぶ・楽しむ vol.04
11月ともなると朝夕涼しさを通り過ぎ、寒さを覚えるようになってきた。日中の暑さはまだ続いているが、にわかに感じる寒さに心の準備どころか、衣の準備さえしていない。
「宮古島は四季がない」と異口同音に言われるが、そんなことはない。草花は自然のサイクルを敏感に感じ取り、衣替えをする。野草の穂は夕日にきらめいて、それは美しい。
それから、いたるところで見えるトンボ。行く先々で見えるので、もしかしたら追いかけてきたのでないかと疑いたくなるほどだ。
月明かりが雑木林を照らすころには、セミの鳴き声に代わって、虫たちが奏でる優しい合唱が聴こえてくる。
最も秋の訪れを告げるのが早いのは、青空にたなびく雲の存在だ。夏の盛りには、青空は自分のものだと言わんばかりに、入道雲がモクモクと幅を利かせているが、暑さの中にも、高層の雲たちは秋の気配を教えてくれる。白い絵の具で描き出すかのように天空のアーティストたちは、その思いを惜しみなく表現している。
夜空に浮かぶ月の傍らでは、さそり座も四季の変化を告げている。本土に比べると、南に位置する宮古島は日差しが強烈すぎて、春夏秋冬の訪れを肌で感じづらいのかもしれない。
けれど、あからさまに四季が無いと言い切るのは、いささか乱暴ではないだろうか。もしかしたら、四季の変化に気付きにくいのは、私たちのキャンパスに心の余白が無いからかもしれない。
生活環境は、離島と都会の生活では大きな違いがある。ストレスのかかり方にも大きな差があるだろう。
どこで住もうが人が生活をしていく中で、かからないストレスは無いはずだ。
しかし、描き出す人生の絵画があるとしたら、大空に描かれる秋の雲のようにキャンバスの余白を広く取って、描き込まなくていいモノは、無理に描かなくてもいいのではないだろうか。誰かによって、「必ず描け!」と決められている訳ではないのだから・・・。
我々には自由意志があり、自ら判断して地球(ここ)で営みを続けている。そうやって考えると、大局を見て、小事を気にしない生き方にこそ、心の余白を増やすコツがあるのかもしれない。
間もなくすれば北風が強く吹くようになる。冬の装いができる事を心待ちにしている方にとっては、楽しい季節がやってくる。
親泊宗秀のコラム
・vol.11 東松照明写真展
・vol.10 宮古島の原風景(池間島)
・vol.9 御嶽
・vol.8 麺にこだわる島人
・vol.7 孫の味方
・vol.6 珈琲の香りを喫む
・vol.5 光に満ちた世界
・vol.4 宮古島の四季を感じる
・vol.3 夜の帷(とばり)が降りるころ
・vol.2 宮古島からの便り ロマン・空想は尽きない。
・vol.1 宮古島からの便り[赤浜]