親泊宗秀
2016年9月11日更新
宮古島からの便り[ロマン・空想は尽きない。]|親泊宗秀のコラム
宮古島市に住む親泊宗秀さんが沖縄・宮古島の自然や人々の暮らしをご紹介します。
沖縄を遊ぶ・楽しむ vol.02
時たま波打ち際に漂着するイカの甲(コウイカ科の中骨)を見ていると感じることがある。どこか南の島に住む小さな部族が、荒海を乗り越えかろうじてこの島に上陸し、乗り捨てたようなそんな思いに駆られたする。
もしかしたら、島のどこかで、私たちに見つからないよう洞窟の深いところで、密かにコロニーを形成し、人知れず暮らしているかもしれないー祭祀の際、御嶽に供物を供える習慣があるが、これらは、小さな民族たいのために古くから行われてきた行為だったとしたら・・・、煮干しや小さくさいの目に切られた豆腐、肉片を一つ一つ茅の葉で結んでいるのは、小さな部族が供物を運びやすくするためのもなのか。などと、空想は尽きない。
宮古島に人が暮らし始めたのは驚くほど古い。旧石器時代約三万年前に宮古島に居た人々をピンザアブ洞人と呼んでいる。(ピンザとは山羊のこと、アブとは横穴洞窟、山羊がこの穴に落ちることから名付けられた。この洞穴から発見された人骨をピンザアブ洞人と称する)。
ピンザアブ洞人が宮古島の祖先とは言えないと思うが、東海岸沿いにある遺跡から約二八〇〇年前に煮炊きをした痕跡が確認されている。その後、数百年の空白があり、一二世紀頃から渡来してきた人々が宮古島の先人と考えられている。
また、沖縄本島に琉球王国が成立する以前、少なくとも約七〇〇年前から宮古島はシンガポール辺りまで交易をしていたことが分かっている。そのころ琉球とのつながりがなく独自の文化圏が確立されていたようで、当時の航海術が如何に優れていたのか、推測することができる。
けれど、島づたいに航海したと思うのだが、なぜ、琉球とのつながりがなかったのか不思議に思う。当時の先人たちは、専ら北から渡来したと考えられるが、北へ上らずに南の国々と交易をしていたのか。
あるいは、倭(やまと)との往来はかったかもしれないが、文献に記録がないだけなのかもしれない。(そう考えるのが合理的か?)
ともあれ、先人たちは、古より海流と風を巧みに扱い、大海原へ漕ぎ出し海の道を自由に往来していたことは事実である。言うなれば命をかけた旅である。
浜辺に漂着するモノにも、一つひとつ物語がある。打ち寄せられたイカの甲にさえ数万年の歴史があり、絶え間ない生命の循環があるのだと思うと、数百年後、宇宙の海原に漕ぎ出し、天の川銀河を自由に航行している人類は、どれだけの進化を遂げているのだろうか。
あっ、また、空想癖が始まった。本日はこの辺りで止めておくことにしよう。
親泊宗秀のコラム
・vol.11 東松照明写真展
・vol.10 宮古島の原風景(池間島)
・vol.9 御嶽
・vol.8 麺にこだわる島人
・vol.7 孫の味方
・vol.6 珈琲の香りを喫む
・vol.5 光に満ちた世界
・vol.4 宮古島の四季を感じる
・vol.3 夜の帷(とばり)が降りるころ
・vol.2 宮古島からの便り ロマン・空想は尽きない。
・vol.1 宮古島からの便り[赤浜]
もしかしたら、島のどこかで、私たちに見つからないよう洞窟の深いところで、密かにコロニーを形成し、人知れず暮らしているかもしれないー祭祀の際、御嶽に供物を供える習慣があるが、これらは、小さな民族たいのために古くから行われてきた行為だったとしたら・・・、煮干しや小さくさいの目に切られた豆腐、肉片を一つ一つ茅の葉で結んでいるのは、小さな部族が供物を運びやすくするためのもなのか。などと、空想は尽きない。
宮古島に人が暮らし始めたのは驚くほど古い。旧石器時代約三万年前に宮古島に居た人々をピンザアブ洞人と呼んでいる。(ピンザとは山羊のこと、アブとは横穴洞窟、山羊がこの穴に落ちることから名付けられた。この洞穴から発見された人骨をピンザアブ洞人と称する)。
ピンザアブ洞人が宮古島の祖先とは言えないと思うが、東海岸沿いにある遺跡から約二八〇〇年前に煮炊きをした痕跡が確認されている。その後、数百年の空白があり、一二世紀頃から渡来してきた人々が宮古島の先人と考えられている。
また、沖縄本島に琉球王国が成立する以前、少なくとも約七〇〇年前から宮古島はシンガポール辺りまで交易をしていたことが分かっている。そのころ琉球とのつながりがなく独自の文化圏が確立されていたようで、当時の航海術が如何に優れていたのか、推測することができる。
けれど、島づたいに航海したと思うのだが、なぜ、琉球とのつながりがなかったのか不思議に思う。当時の先人たちは、専ら北から渡来したと考えられるが、北へ上らずに南の国々と交易をしていたのか。
あるいは、倭(やまと)との往来はかったかもしれないが、文献に記録がないだけなのかもしれない。(そう考えるのが合理的か?)
ともあれ、先人たちは、古より海流と風を巧みに扱い、大海原へ漕ぎ出し海の道を自由に往来していたことは事実である。言うなれば命をかけた旅である。
浜辺に漂着するモノにも、一つひとつ物語がある。打ち寄せられたイカの甲にさえ数万年の歴史があり、絶え間ない生命の循環があるのだと思うと、数百年後、宇宙の海原に漕ぎ出し、天の川銀河を自由に航行している人類は、どれだけの進化を遂げているのだろうか。
あっ、また、空想癖が始まった。本日はこの辺りで止めておくことにしよう。
親泊宗秀のコラム
・vol.11 東松照明写真展
・vol.10 宮古島の原風景(池間島)
・vol.9 御嶽
・vol.8 麺にこだわる島人
・vol.7 孫の味方
・vol.6 珈琲の香りを喫む
・vol.5 光に満ちた世界
・vol.4 宮古島の四季を感じる
・vol.3 夜の帷(とばり)が降りるころ
・vol.2 宮古島からの便り ロマン・空想は尽きない。
・vol.1 宮古島からの便り[赤浜]