御嶽|親泊宗秀のコラム|fun okinawa~ほーむぷらざ~

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COLUMN

親泊宗秀

2018年1月8日更新

御嶽|親泊宗秀のコラム

宮古島市に住む親泊宗秀さんが沖縄・宮古島の自然や人々の暮らしをご紹介します。沖縄を遊ぶ・楽しむ vol.09

世界遺産に登録された南城市の斎場御嶽(セーファーウタキ)があるが、身近にある御嶽(拝所)の数がどれくらいあるか考えたことがあるだろうか。旧平良市史の御嶽編に収録されている宮古諸島の御嶽は約900カ所にものぼる。



数が多くなったのは時代的背景が大きく関わっているのだが、琉球王朝が確立しない以前の古琉球時代、宮古島は少なくとも、700年前にはシンガポール辺りまで交易をする独自の文化を築いていた小国だったことが中国の古文書から分かっている。

直近の先祖を考えるとき、12世紀頃以前から渡来人が血族的集団を構成し、勢力を強めた豪族が生まれ始めたのではないかと考えられている。渡来人には、中国大陸、倭(ヤマト)の国(倭人)など海洋を往来していた人々が定住するようになった可能性が高い。

独自の文化を築いていた宮古島だが、13世紀後期沖縄本島の中山察度王統に朝貢後、宮古島は中山の支配下となり、琉球が統一した第一尚氏王統後も、その関係は続いていく、1609年薩摩の侵攻から納税を増やすため琉球王府は島内の内陸部に新たに村づくりを始まる。村立てに伴い強制移動させたれた農民は、出身地の御嶽から分霊を行い、新天地に御嶽を設置していったことから、数百年の経過と村の増加が御嶽を増やす要因になっている。

また、マラリヤなどの疫病、台風や干ばつなど、人知では解決できない自然災害に直面する先人たちは、神にすがるしか術なく、祈りを捧げる場所「御嶽」に救いをもとめたのではないだろうか。

実は、この御嶽信仰から見えてくることがある。古代の九州で勢力を持っていた海人族(あまぞく)は航海術にたけていた人々で、朝鮮半島の百済(くだら)などとの交易で繁栄したことが知られている。海人族は自然崇拝を信仰の対象にしていた。世界遺産になった「沖ノ島」は海人族一派宗像族の聖地で千年以上の歴史を持つそうである。

自然崇拝は、巨石、巨木、杜、滝などに神が宿るとの考えがあり、4世紀ごろから始まった信仰の対象で、7世紀ごろから神の社(やしろ)を建てるようになった神社の原型とされている。

宮古島の先人は、渡来人の集合体であり、東南アジアをテリトリーに交易をしていた海の民である。海人族と同じように自然崇拝の御嶽が古くから信仰の対象になっている。

特筆すべきは、古くから居住していた地域には、ミャーカといわれる巨石墓が点在しており、巨石墓の形式は朝鮮半島の支石墳に類似しているそうである。海洋文化と自然崇拝、この共通点は何を物語っているのか?

千年以上前の古墳時代から大海原の風をあやつり、新天地を開拓していた海人族の存在と、島々の文化を結びつけるのは荒唐無稽(こうとうむけい)なことだろうか。



古代思想が垣間見える御嶽を、宮古言葉で杜(ムイ)山(ヤマ)元(ムトゥ)根所(ニードゥクル)などいう。御嶽信仰は脈々と受け継がれ、豊穣や航海の安全、無病息災など、神々に祈りを捧げる聖域として、あるいは、島に根ざす人々のよりどころとなって、ひっそりとした佇まいを残している。

900以上ある御嶽、由来は個々にあるのだが「ティダ御嶽」の由来がかなり面白いので紹介したい。

「今から数百年前、ある十五夜の日の昼間、光り輝くものが天から降りてきて、天と地が続いているかのようであった。そして、その光の中から現れたのが神であり、のちにこれをティダ神としてこの地に祀った」と解説文に書かれている。(ティダ=太陽)

ん!? これは、「地球外生命体」いわゆる"UFO"の飛来目撃事件が御嶽になっていることになる。これが真実であれば、当時の人々は、神の存在を確信したに違いない。けれど、神は何の目的で、この地に降臨されたのだろうか?

もしかしたら、海外交易をしていた宮古の先人たちが、銀河のかなた宇宙域とも、交易をしていた証ということなのだろうか? 謎が深まる御嶽信仰である。



親泊宗秀のコラム
vol.11 東松照明写真展
vol.10 宮古島の原風景(池間島)
vol.9 
御嶽
vol.8 麺にこだわる島人
vol.7 孫の味方
vol.6 珈琲の香りを喫む
vol.5 光に満ちた世界
vol.4 宮古島の四季を感じる

vol.3 夜の帷(とばり)が降りるころ
vol.2 宮古島からの便り ロマン・空想は尽きない。
vol.1 宮古島からの便り[赤浜]

親泊宗秀

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1959年3月26日生まれ
宮古島市職員

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