グローバルに活躍するために~柔軟に考える②|喜屋武奈央子のコラム|fun okinawa~ほーむぷらざ~

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喜屋武奈央子

2017年12月1日更新

グローバルに活躍するために~柔軟に考える②|喜屋武奈央子のコラム

喜屋武奈央子のfunokinawaコラム[vol.07]



インターネットを通して人々のつながり方が多様化していくにつれ、グローバル・コミュニケーションはますますその重要性を増しています。それは、ただ単に英語などの共通言語を話せれば大丈夫というようなことではありません。例えば私はスペイン人の夫と暮らしていますが、考え方が違いすぎて宇宙人と会話しているような気分になることが多々あります(笑)。家庭内でもコミュニケーションは難しい場合があるのに、世界中のありとあらゆる人々とコミュニケーションを上手にとるということは、天文学な確率なのではと思うこともありますが、相手は同じ地球上に住んでいる生身の人間ですから、共通することはたくさんあります。簡単な例としては、「快・不快」に関することが挙げられます。例えば、「大好き」「ありがとう」などポジティブな言葉は好ましく感じ、「嫌い」「最低」などは不快に感じる、色とりどりの花が咲き乱れている庭は美しいと感じ、腐った食べ物やゴミ袋が散乱している場所は汚く感じるなどです。しかし、何を美しいと感じるかということから、善悪や正義、倫理観に至るまで、世の中には十人十色の考え方があります。それらに対し、賛同しなくても理解することができるようになれば、グローバルな環境でも対応しやすくなるのではないかと思います。

国連職員としてスリランカ民主社会主義共和国に赴任していた当時、インド洋の宝石と称される紅茶の産地としても有名なスリランカは、まだタミル民族と政府による内戦状態にありました。国連事務所のあるコロンボはかなり安全な場所ではありましたが、時々自爆テロが起こったり暴動が起きたりしていましたし、前線地帯付近に出張することもあったため、常に緊張感を持って生活をしていました。ある時、事務所スタッフの誕生日ケーキを買いにホテルに行ったところ、私がホテルを出て5分後にホテルの入り口付近で自爆テロがあり、何の罪もない普通の人々が犠牲になりました。私は自爆テロを起こしたタミル人女性の行動が理解できず、数分遅れていれば自分も犠牲者となったかもしれなかったので、恐怖と怒りと悲しみをごっちゃにしたような感情に押しつぶされそうになっていました。

その当時の同僚で後に大親友となった年上の女性に、「この女性の行動は全く理解ができない。同じタミル人として、あなたは理解できる?」と質問をしたことがありました。彼女は父親が国連職員だったため、日本を含む様々な国で生活し、自身も国連職員としてスイスのジュネーブやアジアの国々で勤務した経験がありました。私の質問に、彼女はこう答えました。「あの女性の行動には賛成できないけれど、なぜそうしたのかは理解できる。私もかつて、同じ感情を持っていたことがあるのよ。」そして彼女はこう続けました。「戦争を経験していない奈央子には、理解できないかもしれない。でも、沖縄はかつて戦場だったし、その時のことを身近な人たちから聞いているでしょう?だから、想像することはできるはず。沖縄には今でもアメリカ軍の基地も存在しているから、そこに暮らしている人だけが感じる、様々な感情があるでしょう?世界中で起こっている問題について理解したいと思ったら、まずは自分の中にたくさんの引き出しを持ちなさい。人間としてのありとあらゆる感情を経験しなさい。楽な道と苦労の道があったら、苦労の道を選びなさい。その引き出しが多ければ多いほど、想像力は豊かになる。想像力が豊かになると、相手の気持ちや行動がより深く理解できるようになるわよ。」

あれから12年。私は結婚して母親になりました。自爆テロを起こした貧しいタミル人女性は、生まれたばかりのこどもを人質に取られ、「自爆テロをすれば子どもは何不自由なく育ててあげるが、断れば子どもと一緒に殺す」と脅されたそうです。そして彼女は自爆テロの道を選んだのです。彼女はたぶん、子どもはいずれ殺されるか死ぬということを想像していたでしょう。それでもわずかな可能性にかけて断腸の思いで決断した彼女の気持ちは、母親になった今、賛同はできませんがとてもよくわかります。また、私は小学校の時に何度かいじめを経験しました。思い出すのもとても辛い経験ですが、そのおかげでいじめられている子どもの気持ちがわかります。

私たちには時間や場所など様々な制約があるので、一生のうちに全ての感情を経験することは不可能ですが、40歳を過ぎてもかなり頻繁に、今まで経験したことがないタイプのネガティブな感情から、信じられないくらい素敵な感情までを経験しています。これからもきっとそうなのだと思います。基本的には自分が経験したことしかわかりませんが、想像力を鍛えることで、相手や物事に対して柔軟に考えることができるようになれば、グローバルな環境でも生きやすくなるのではないかと思います。


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1974年に沖縄本島(現在のうるま市)で生まれる。父の仕事の都合で10歳の時に新潟県に、13歳の時に北海道札幌市に引っ越す。大学3年まで札幌市で過ごし、21歳で米国アイオワ州にあるアイオワ大学に編入し、学士号(経済学)と修士号(第三世界の開発)を取得。卒業後は東京の財団法人や政府機関で働いたのち、国連の専門機関である国際労働機構(スリランカとスイスのジュネーブ)で勤務。帰国後は沖縄に戻り、現在は恩納村にある沖縄科学技術大学院大学(OIST)で勤務。1児の母。

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