親泊宗秀
2017年11月22日更新
麺にこだわる|親泊宗秀のコラム
宮古島市に住む親泊宗秀さんが沖縄・宮古島の自然や人々の暮らしをご紹介します。沖縄を遊ぶ・楽しむ vol.08
麺類には目がない。台所の棚の奥には、インスタント麺、そうめん、日本蕎麦(そば)の乾麺が常に出番を待っている。日本蕎麦はゆでるタイミング、冷水でしめる頃合いが意外に難しい。けれど、そのタイミングが合えば、すすったときの絶妙な音が心地いい。そして、いい具合のコシが口の中で、「どうだ!」と、ばかりに主張する。できれば、自ら蕎麦打ちをし、自分だけの蕎麦を楽しみたいのだが、いまだそこまでは及ばない。
蕎麦処といえば、寒い地域が主流だが、宮古には、最西端で収穫できる日本蕎麦がある。土壌改良のために地元高校の教諭が温暖な宮古でも栽培できる種を研究し開発した宮古島産日本蕎麦だ。それを、手打ちで出してくれるそば屋が一軒ある。
一度、ゆでる前の蕎麦を譲り受け、自らゆでたことがある。乾麺でゆでには多少自身があったのだが、手打ち麺は、ゆでのタイミングが分からない。麺がブチブチ切れて蕎麦にならない。素人の冷や水、職人の領域には手を出さないのが賢明だと、自分の思い上がりをつくづく感じたものだ。
どこでも一緒だと思うが、麺好きは、ことごとくうるさい!食べ歩きをし、店の味に自己評価をする。私も例外ではない。そう、うるさい奴なのだ・・・。
「そば」の話をするなら、宮古そばを避けては通れない。宮古そばが、どのくらい前からあったのかは定かではないが、少なくとも大正時代の平良地区には三軒のそば屋があったことが、当時のマップから分かる。ザーパのそば屋、ンカイ(迎え)のそば屋、狩俣そば屋の三軒だ。
幼い頃から口にしている“宮古そば”だが、本土復帰前は5セントで食べられた。その味は舌が覚えている。また、盛り付けにも特徴がある。具が隠れているため、一見すると具のないネギだけのそばに見える。具はシンプルに出汁をとった肉、カマボコ、これが定番だ。ところが、寂しいことに、具をきれいに表に盛って、紅ショウガを添えたものが増え、昔ながらの風合いが損なわれている。
それには、あるきっかけがあった。「沖縄そば」は、蕎麦粉を使わないため、蕎麦の部類には入らない。しかし、沖縄そば製麺関係者の努力によって、1978年10月17日「本場・沖縄そば」の表示が認めたことから、「沖縄そばの日」として広く知られるようになっている。
当時、広報として、宮古の食堂などにも、ポスターが貼り出されていた。そのポスターには、そばの上に肉とかまぼこが盛り付けられ、紅ショウガが鮮やかに添えられていた。その頃から、ポスターに習って、具を表に出す店舗が増え出したのだ。
けれど、昔ながらの習慣をあたりまえのように続ける食堂には、テーブルの上にクース(沖縄本島ではコーレーグースというが、宮古ではクースと呼ぶ)、七味唐辛子、そして、カレー粉が置かれ、宮古らしさが、さりげなく佇(たたず)んでいる。
宮古そばをこよなく愛するご同輩は、そばを注文するとき、一杯のごはんをついでに頼む。まずは、香辛料は入れない、だしとそばを味わう、次に香辛料を入れるのだが、順番がある。人それぞれだとは思うが、クースからいきたい。少々のクースを垂らすとだしの味が変わる。
次に七味をひとふり、大量にかけるのは品がない。三種類のスープを楽しんだ後に、おもむろにカレー粉をスープに投入、打ち上げ花火がさく裂したような光景が、スープ面に広がり、感動すら覚える。そばが無くなったあと、ターメリックの香が漂う丼に、スープを少し残し、頼んでおいたご飯をその中に入れる。箸でほぐし、サラサラとかき込む。これが、うまい! 一杯のそばで、5種類の味わいができるのだ。
特徴のある宮古そばだが、なぜ、具を隠すのか、諸説あるがその答えは謎だ。さらに分からないのがカレー粉の存在だ。幼い頃からあるので、突き詰めて考えたことはないが、思うに、アメリカ統治下の産物ではないだろうか。焼きソバにも、その影響が見え隠れするからだ、本土復帰以前、焼きソバは、ナポリタンのようなケチャップ味しかなかったものだ。
中国の客家(はっか)料理の影響が大きいと思われる沖縄そばに、ターメリックを加えるという発想。宮古そばの器には、具材だけではなく、食の異文化交流も隠れている。
親泊宗秀のコラム
・vol.11 東松照明写真展
・vol.10 宮古島の原風景(池間島)
・vol.9 御嶽
・vol.8 麺にこだわる島人
・vol.7 孫の味方
・vol.6 珈琲の香りを喫む
・vol.5 光に満ちた世界
・vol.4 宮古島の四季を感じる
・vol.3 夜の帷(とばり)が降りるころ
・vol.2 宮古島からの便り ロマン・空想は尽きない。
・vol.1 宮古島からの便り[赤浜]