旅行
2025年11月20日更新
40代で世界一周したうちなーんちゅ、「沖縄以上にオキナワ」な地・ボリビアへ 地球の反対側で見つめ直したルーツや人生|沖縄人の世界一周 −2−
366日かけて世界一周をした「旅する沖縄人」さん。21カ国を巡ったその目に映るのは、色とりどりの人、街、文化。沖縄人が見た世界の魅力をたっぷりお伝えします。
自己発見と成長の旅 ーボリビアにオキナワー

長い道のりを乗り継ぎ、たどり着いたコロニアオキナワ。「オキナワ」の文字にテンションが上がった
大学院時代、「移民学特論」という授業で聞いた言葉が、ずっと心に残っていました。
「地球の反対側に、沖縄以上にオキナワな場所がある」―その言葉の意味を確かめたいと願い続けて23年。ようやく私は、ボリビアのコロニアオキナワを訪れることになったのです。
コロニアオキナワは、第1から第3まで三つの移住地からなり、今はおよそ6千人が暮らしています。そのうち日系人は千人弱。数の上では少数派ですが、役場や学校の名簿には、安里、島袋、新垣、大城といった名字が並び、村にはゆったりとした「うちなータイム」が流れていました。遠く離れた南米の地に、こんなにも懐かしい空気があることに驚かされます。

街のあちこちで見かけた沖縄の名字
日本語の「お話大会」に涙
滞在中に訪れたのは、オキナワ第一日ボ学校で行われていた「お話大会」。プログラムに並ぶ子どもたちの名前を見ただけで、思わず胸が熱くなります。舞台の上では、「エイサーが上手になりたい」「お父さんのように農業を頑張りたい」と、3世や4世の子どもたちが日本語で一生懸命に語っていました。素朴で温かな言葉の一つ一つに、長い年月をかけて受け継がれてきた親や先生の思いが重なり、こみあげてくるものがありました。35回も続いているというこの大会が、どれほど大切に守られてきたものかを想像すると、感動はさらに深まりました。


お話大会では、小学生が日本語で発表していた
村の資料館では、戦後まもない1954年に那覇港を出発した第一次移民団の記録を目にしました。斧1本でジャングルを切り開き、泥水で命をつなぎ、伝染病や洪水に襲われながらも、決してあきらめなかった人々の姿。厳しい歴史の上に今の暮らしがあると知ると、目の前で日本語を学ぶ子どもたちの姿がいっそう誇らしく輝いて見えました。


オキナワボリビア歴史資料館には、当時の三線や楽譜、クワなどが飾られ、オキナワ村の歴史を肌で感じられた
日本にいると「自分は何者か」を深く問う機会は多くありません。けれど、遠く南米に暮らす2世や3世の人々にとって言葉はスペイン語でも、心の奥には確かに「うちなーんちゅ」としての誇りが生きています。地球の反対側に、まさに「沖縄以上にオキナワ」な場所がありました。コロニアオキナワを訪れたことで、私自身もまた、自分のルーツや生き方を静かに見つめ直す時間をもらえたのです。
皆さんにとって「自分らしさ」を思い出させてくれる場所は、どこにありますか。
南米で出合ったオキナワの味
ボリビアでテビチ定食 「Sushi Masan」

ボリビアでテビチ定食と沖縄そばを味わえるとは思いませんでした! サンタクルス動物園の近くにあるお店は名護出身のまさみさんが切り盛り。コロニアオキナワの情報を聞くこともできます。
日本の食材が売られている 「スーパーオキナワ」

ボリビアのサンタクルスにある日本食材のスーパー。めんつゆやうどんも売られていて、ボリビアの日系人にとって大切なお店なのだろうと感じました。
50年続く沖縄料理店 「でいご」


ブラジルのサンパウロで旧羽地村出身の移住1世、親川さんご夫婦が経営する日本食・沖縄料理のお店。駐在の方や地元の常連さんで賑わう人気店です。マグロの刺身とゴーヤーチャンプルーが絶品でした。
来月は「ヨーロッパのクリスマスマーケット」をテーマにお届けします。きらめく街の風景と、心を温める冬のひとときを味わっていただけたらうれしいです。

旅する沖縄人さん
インスタグラム@okinawan_travel
1977年沖縄生まれ。教員を経て独立。2023年5月から世界一周。インスタグラムで情報を発信。「夢をあきらめない40代からの世界一周のすすめ」、「EXPLORE the World 世界一周の歩き方」メキシコ編、キューバ編を電子書籍、ペーパーバックで出版
毎週木曜日発行・週刊ほ〜むぷらざ
「第1997号 2025年11月20日紙面掲載」














