出産・子育て
2023年10月19日更新
母子(親子)健康手帳の今、昔|情報増えて厚み増す
沖縄県小児保健協会は創立50周年を記念し、母子(親子)健康手帳の歩みをまとめた。同協会は、県内の母子手帳を作成している。上里とも子副会長は「戦後、米国統治下にあった沖縄は母子手帳の導入は遅かったが、現在では他府県と比べても充実している」と話す。歩みを振り返った。
教えてくれた人
うえさと・ともこ。沖縄県小児保健協会副会長
うえさと・ともこ。沖縄県小児保健協会副会長
始まりは1942年。本土で、戦前「産めよ増やせよ」の国策のもと、妊娠から出産までを記録する「妊産婦手帳」が誕生した。食品や物資の配給手帳としても利用され、当時の産婦の70%が交付を受けていたと推定されている。母子の健康管理を目的に、世界で初めて「母子手帳」が発行されたのは48年。
米国統治下の沖縄ではその13年後、61年に初めての母子手帳が発行された。その後、時代に合わせて内容は変わっていく。76年には発育障がい、91年には働く女性のための法律、2002年には父親の育児参加を促す記述などが加えられた。「法や規則が変わると、手帳に反映されます。例えば、公費での妊産婦健診の受診は74年に2回だったのが現在では約14回になりました。手帳の変遷を見れば、母子保健の歴史が分かります」
沖縄版は情報が充実
手帳の交付は市町村だが、県内はほぼ全域で同じ手帳を交付している。それには、歴史的な背景がある。72年の復帰後、乳児健診がスタートしたが、県内では小児科医師らが不足。そこで小児科医師らが集い、小児保健協会を創立して離島を含む全県で健診をした。その後、同協会が母子手帳を作成している。
予防接種が接種時期別に分かりやすく載っていたり、子どもの成長に合わせて情報がまとめられ、20歳まで記録ができるなど、使いやすいよう考慮されている。「専門職が集い、検討してまとめているので情報が充実しています」。61年に34ページだった母子手帳は、2023年には200ページに増えた。「現在は情報があふれている中、孤立化が進み、育児不安を抱える人が増えている。QRコードも添付し、育児書として活用できる正しい情報を載せています」
日本の妊産婦や新生児の死亡率は世界で最も低い水準だ。「医療の進歩はもちろん、手帳による健診の意識付けも大きい」。手帳は世界各地に広がっている。
上里さんにオススメの活用法を聞いた。「情報欄を読むと、成長の見通しが立てられます。生育状況や思いを書く欄も充実しているので、書き込んで、子どもにプレゼントしてはどうでしょう」。身近にある手帳を見返してみると、新たな発見があるかも。
母子手帳の移り変わり
※写真はすべて沖縄県小児保健協会提供①1942年、妊産婦手帳が誕生。四つ折り1枚のリーフレットのような形
②1948年世界初の母子手帳発行。就学前の子の健康チェックや予防接種記録も加わった
③1961年発行。沖縄県初の母子手帳。米国統治下で、琉球政府と記載されている。34ページ
④1971年発行。母子保健法に伴い、「母子健康手帳」へ名前が変わった
⑤1972年発行。復帰に伴い、表記が沖縄に変わっている
⑥1978年~1991年発行。母親の記入欄が増え、母子の健康記録として活用できるように
⑦1992年発行。91年から市町村の交付へ。小児保健協会が全県統一で作成を始めた
⑧2009年~22年発行。全国で初めて親子健康手帳へ名称を変更。20歳まで記録が可能に
⑨2023年発行。相談機関の案内を載せている。200ページ
低出生体重児の手帳を発行
沖縄県は、今年3月末、低出生体重児の家族のための手帳「リトルベビーハンドブック」を発行した。発育に応じた成長記録を書き込め、親子健康手帳と併用して使う。医療機関や市町村で配布されている。取材/栄野川里奈子
毎週木曜日発行・週刊ほ〜むぷらざ
「第1889号 2023年10月19日紙面から掲載」