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2024年12月26日更新

【巻頭特集】人生100年時代 元気で長生きのヒント!

厚労省の調査によると沖縄の75歳の平均余命は女性1位、男性2位。一方、働き盛りの若い世代は高血圧などの生活習慣病で短命な人が増えているといわれています。なぜ沖縄の高齢者は長寿なのか? 専門家に聞き、県内の元気な高齢者の暮らしぶりを紹介します。人生100年時代、元気で長生きするためのヒントがいっぱいです!






●菜食が中心で特に豆類(沖縄だと島豆腐など)を食べている
「何を食べたかよりも、どう食べるかの方が重要。例えば、伝統的な調理法による食事や家族そろって食事をすることが挙げられる」と鈴木博士は指摘する


●模合などにみられる助け合い、社会貢献活動


●自分で自分の健康を守る
心身の健康維持のほか、社会的・魂的な健康のために人とつながることや生きがいを持つこと


●家事や畑仕事など日常生活の中での全身を使った運動
鈴木博士は「人と競うスポーツなどではなく、散歩など自分が好きなことで体を動かすといい」とアドバイス



沖縄長寿科学研究センター センター長
鈴木 信 博士
すずき・まこと 琉球大学名誉教授、心臓循環器専門医

 

生きがいと助け合い

1970年代から沖縄の百歳以上の高齢者を研究してきた鈴木信博士(沖縄長寿科学研究センター長)は沖縄の長寿者の特徴について「家族や友人とのつながりを大事にして、助け合い、生きがいを持って暮らしている」と話す。

 沖  縄県は、1980年の国勢調査で男女ともに平均寿命が全国1位になり、長寿県として知られ、世界的に長寿な地域であることが分かった。鈴木信博士は「長寿とは、単に長命で健康というだけでなく『寿』。つまり、幸せであること。自分だけの幸せでなく、家族や友人、社会と共有するものでなくてはいけない」と話す。

鈴木博士が長寿の研究を始めたのは、復帰後、琉球大学病院に赴任して間もない頃。100歳以上の高齢者の自宅を訪問し、検診を行った。「調査を始めた1976年には沖縄の百歳以上の人は32人で、その内の90%の人は自宅で元気に暮らしていた。なぜ沖縄の100歳の人はこんなに元気なのか、その研究にのめりこんだ」


 自助と互助がカギ 

沖縄の長寿の理由には、さまざまな要因が関係していると考えられている。「『食文化』『運動』『自助』『互助』の四つの要因=上イラスト=があると考えている。食事や運動などの生活習慣よりも重要なのは自助と互助だ」。自助とは、自分で自分の健康を守ることで、心身の健康だけでなく、社会的な健康と魂の健康(心のよりどころ、生きる目的、信仰など)を指す。互助は、地域の助け合いや社会貢献活動への参加が挙げられる。「社会的な健康には、人とのつながりが大事。社会から孤立することが長寿のリスクになる。そして、魂の健康に必要なのは目的意識があること。何か没頭できる生きがいを持ち続けたり、新しいことに挑戦することが目的意識につながる」


 交流が生きがいに 

沖縄の長寿者に見られる共通点として、家族や友人、地域とのつながりを大事にしていて、高齢になっても働いていたり、ボランティアをしたり、社会の中で何らかの役割を担い続けている、と鈴木博士は指摘する。「沖縄の長寿の大きな要因は、生きがいにあると考えている。生きがいは人によって違うし、年を重ねるなかで興味の対象が変化していくこともあるものだが、沖縄の人の生きがいとして一番多いのは友人との交流、ゆんたくだと思う」。また、沖縄独特の生きがいとしてカジマヤー(数え年97歳)が挙げられる。カジマヤーまでは生きたいと願う高齢者も多く、それが生きがいにつながっているという。 鈴木博士は91歳になった今も循環器の医師として医療に携わっている。「診察中に患者さんの生きがいについて聞き取りをしている。長寿の研究が私の生きがい」とほほ笑む。 沖縄県は2000年に男性の平均寿命が26位に急落し、その後も下落して最下位付近にある。鈴木博士は「現在、沖縄の100歳以上の人は約1300人。沖縄は長命な人が多い一方で、働き盛りの若い年代で短命な人が増えている世界でもまれな地域。長寿のために沖縄の高齢者から学ぶことは大いにある」

 
◆    


決まった日課をこなすのが
長生きのコツかもねー


奥島菊江 さん(97)
おくしま・きくえ 1927年生まれ。大宜味村出身。18歳の時、本土で終戦を迎える。帰沖して水産組合や公民館勤務を経て、辺土名高校の用務員として勤務。子どもは3人、孫が6人、ひ孫が4人いる

踊りが生きがい 地域で披露

大宜味村に住む奥島菊江さんは昨年カジマヤーを迎え、今年97歳になる。奥島さんは「踊ることが好き。決まった順序で日課をこなして生活することが長生きのこつだと思う」と話す。

 踊  ることが生きがいという奥島菊江さんは、老人クラブの芸能大会など地域の行事で披露している。奥島さんは「流行歌などに自分で振り付けをして、自作の衣装で踊る。十八番は洒落男、港町十三番地」と話す。昨年は北部地区老連芸能大会に地元の老人クラブのメンバーと参加。県大会にも出場した。

奥島さんは定年後、「地域のお年寄りを楽しませたい」という思いで、友人たちと「八千姫会」を立ち上げ、村内外の施設や行事で踊りを披露してきた。会は村や北部では有名なグループだ。8人でスタートし、メンバーは最大で16人いたそう。「会のモットーは、いつでもニコニコ、どこでも酒と踊り。入会するには踊りのテストと、ヨモギ酒(ヨモギを漬け込んだ泡盛)を一杯飲み干せることが条件だった。会に入りたいとみんな飲んだ」。踊った後の反省会でもヨモギ酒を回し飲みした。現在、メンバーは90代。今でも踊ってほしいと依頼がある。参加を呼び掛けても以前のようにはなかなか集まれないが、できる人でやることもある。


 公民館でゆんたく 

奥島さんは自宅で1人暮らし。隣には娘が住んでいる。「家事は自分でやる。決まった順序で日課をこなして生活することが長生きのこつだと思う」。朝7時前に起床し、まず祖先とヒヌカンにお祈りをする。自己流の体操をし、朝食をとってから、新聞をじっくり読む。それから洗濯や掃除をする。午後は友人と公民館に集まってゆんたくをするのが楽しみ。模合もしている。夕方には集落のメインストリートを散歩して、近隣の人と声をかけ合っている。テレビは夜に見るくらいであまり見ない。


公民館が友人たちとの憩いの場。左は奥島さんの友人の新城寛成さん、右は宮城久美子さん

食事も好き嫌いはないという。「料理は楽しい。ゴーヤーやニンジン、ダイコンなど地元に昔からある食材でしか作らない。ニンジンシリシリーが得意」


 地域のお年寄りを見守り 

奥島さんは辺土名高校で二十数年、用務員として勤めた。生徒や先生から「校長」の愛称で親しまれたそう。定年後は民生委員を二十数年務めた。地域の高齢者の家を一軒一軒回って困りごとを聞き、異常がないか見て回った。民生委員を始めたきっかけについて奥島さんは「地域のために何かやるのは当たり前のことだったから、やらないといけないねーという気持ちがあった」と話した。


芭蕉布で作った衣装で踊る奥島さん。衣装は、歌詞や踊りに合わせて自作している

若い頃から踊ることが好きだった奥島さん。10代の頃は本土の会社に勤めていて、昼の休憩時間にはほかの社員たちが昼食を食べに行って誰もいない職場でご飯も食べずに軍歌を歌いながら踊っていたこともあったという。「この年になっても体が続くまでは何かあれば踊りたいという気持ちはいつもある」と奥島さんはほほ笑む。

 
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何事もやってみる!
だめならやめればいい


枝川豊子 さん(95)
えがわ・とよこ 1929年生まれ。国頭村出身。婦人会の会長、老人会の副会長を経て、松竹の会の会長を務める

会長になり20年 交流支える

赤いジャケットを颯爽と着こなす枝川豊子さんは95歳。那覇市三原で、地域ふれあいデイサービス(ミニデイ)を運営する運営協議会「三原松竹の会」の会長を20年務める。那覇市の協議会で、最年長の会長だ。

 赤  いジャケットに、パールのネックレス、指輪がきらり。枝川さんは「オシャレが好き。服はたくさんあるからもう買わないけど、選ぶのは楽しい」と話す。

3人の子育てをしながら、75歳まで統計調査員(非常勤の公務員)として働いた。夫は54歳で急逝。子どもたちは独立し、長男一家と2世帯で暮らすまで約30年、一人暮らしだった。支えになったのが、近所の人との交流だ。婦人会の会長を約15年、老人会の副会長を約30年務めた。「大変じゃなかったですか?」という質問に、「頼まれたら快くやる。難儀はしても、みんなと楽しく過ごせたら良い」と笑う。

現在は、ミニデイ(地域で高齢者が交流)を運営する松竹の会の会長だ。よく通る声で参加者を呼んだり、それぞれの手帳をチェックしたり、ゆんたくしたり…。ボランティアで、会の世話役を担っている。 「何事もやってみて、だめならやめればいいじゃない」 がモットーだ。


ミニデイでは、社会福祉協議会から派遣された職員が、体操やレクを行う


ミニデイの参加者ら。ミニデイに参加しているのは、65歳以上で地域で生活している人


 地域の人から花束 

枝川さんは、国頭村出身。結婚後、夫の転勤に伴う引っ越しを繰り返した後、那覇市へ居を構えた。「北部出身の女性が集まる婦人会もあって、そこで字の婦人会の会長もした。そのころは大きなホテルで和服を着て、盛大に忘年会や総会をしていたね」

区で三線の会や民踊の会を立ち上げ、民生委員も経験した。地域に深く関わる中で、自然と友人は増えた。買い物に出かけたり、誕生日に贈り物をしたり、長く付き合い続けている友人は多い。通りを歩いていると、声を掛けられることもしばしば。「ここに住んで、良かったなと思いますよ」

12月13日に、市の老人会のカラオケ大会に「95歳の記念に」出場。バーブ佐竹の「女心の唄」を歌った。その後、壇上で地域の仲間から、大きな花束と「お世話になりました。支えられました」という言葉をもらった。サプライズだった。「大勢の前で、手を振って、花を振って、帰った。花は今も芳しい香りがする」


 とにかく動く 

「とにかく動く」と自身を表す枝川さん。毎日朝6時に起き、洗濯をして炊事をする。「作るのも食べるのも好き」と、食事は自分で作り、3食食べる。得意料理は、野菜チャンプルーやンブシー(煮物)だ。食材の買い出しは、週に1回。徒歩8分ほどのスーパーへ歩いて往復し、荷物は配達してもらう。毎日夜10時に就寝し、朝までぐっすり眠る。

「失敗しても、引きずらない。悩むことはないですね。毎日が楽しい」という枝川さん。心にいつもあるのは、「踏まれても根強く生きよ道芝のやがて花咲く春も来る」という言葉だ。


地域ふれあいデイサービスとは
地域の公民館などを利用して、65歳以上の高齢者が交流。健康チェックや体操、レクリエーションなどを行う。地域のボランティアからなる運営協議会が運営する。那覇市では現在、127カ所の実施場所がある。
 

『週刊ほ〜むぷらざ』年末年始特別号・人生100年時代 元気で長生きのヒント!
第1951号 2024年12月26日掲載

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funokinawa編集部

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