うちの亀ちゃんは何でも屋|紅型ばかりやっている自由な嫁の自由な日記vol.7【亀谷明日香のコラム】|fun okinawa~ほーむぷらざ~

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亀谷明日香

2016年10月29日更新

うちの亀ちゃんは何でも屋|紅型ばかりやっている自由な嫁の自由な日記vol.7【亀谷明日香のコラム】

〜紅型ばかりやっている、自由な嫁の自由な日記
我が家に屋根ができるまで


 

我が家に屋根ができるまで

 私たちの家は、築50年を越えた古民家を移築して建てた、手作りの家だ。
一家のお父ちゃん、「亀ちゃん」が、3年以上の年月をかけて作った家だ。
家の屋根は瓦屋根で、コンクリートでできている。
この屋根も、もともとこの家が建っていた北中城で
建物を解体した際に、ひとつひとつ外して運んできたもので、50年以上前のものだ。





私は、この屋根を解体する作業を見るまで
瓦屋根が一体どのようについているのか知らなかった。
沖縄は台風の被害もあるので、本土と比べても特にこの部分は念入りにしなければならないのもあると思うが
ひとつひとつの瓦の裏に針金を通し、木ネジで屋根の木材にくくりつけてあるのだ。
うちの瓦は枚数にして1000枚以上!!これは大変な作業である。
それに、外したものをまたすぐそのまま使えるかといったらそうではない。
長年の汚れや、接着の際に使った漆喰(しっくい)の残りなど
全部きれいに取り除かなければ、次に使うとき隙間が空き、そこから水が入ってしまう。
この1000枚以上の瓦の大掃除だけでも、一カ月もかかっていた。
手伝いに来てくれた友達や、子どもたちまで総動員で瓦に立ち向かう日々だった。
 
古民家を移築すると決まったときに
私が心配していたひとつに、雨漏りがあった。
以前、沖縄の古民家に住んでいる友達に、「いいなあ、広くて、すてきなおうちだね」というと
「うーん、でも、雨漏りがひどくて大変だよ」という答えが返ってきたことがあった。
雨漏りするから、使えなくなっている部屋があったり
連日屋根に上って雨漏りをなおしている、という話を聞いて
やはり、すてきな気持ちの良い暮らしをするのにも
たくさんの苦労やメンテナンスが必要なのだなあと知った。
せっかく一から建てるのであれば、最初の段階でなるべく雨漏りしないように作ってほしい! と
私は亀ちゃんにお願いした。
むちゃなお願いかな? と思ったけれど、でも、せっかくできた家が
雨漏りのため、使えない部屋がある、なんてなったら、もったいないじゃない?と。
これだけはお願い、という気持ちでお願いした。





屋根を付ける作業は本当に時間がかかり、大変そうだった。
こつこつと、根気のいる作業。
この期間、うちに泊まり込みで屋根作業を手伝ってくれたSちゃんと一緒に
毎日毎日、一日中屋根の上での作業。
ずっと斜めの場所にいるから、腰や身体のあちこちが痛くなる、といいながら
数カ月間、瓦をのせ、漆喰を塗り、防水塗料を塗り…。
丁寧な作業の結果、本当に、雨漏りの心配のない立派な屋根が出来上がった!
長い年月が経つにつれて、どうしてもまたメンテナンスが必要になってくるだろうけど
自分で全部作業をしているから、なおし方がわかるのがいい、というのが亀ちゃんの言葉。
これは屋根に限らず全部のことに言える。全くもって、頼りになる!!
 
屋根がのると、重さで家がしっかりとする。
このときにはまだ、壁も床もなかったけれど
もう立派に「家」! という見た目になってきていることに私たちはワクワクし
この屋根の下でみんなでお弁当を持ってきてピクニックをしたり
そのうち壁や床ができてくると、寝袋を持ち込んで初めてのお泊まりや
鍋パーティーなどもするようになった。
ちょうどこの頃、季節は冬で
まだあちこちが半分屋外のようなこの家は、とても寒かったけれど
どうしてもこの家で初日の出がみたい!! と、家族全員、冬のキャンプ装備で年越しし
初めてこの家から朝日が昇るのを見た2013年の正月は、忘れられない思い出となっている。






紅型ばかりやっている、自由な嫁の自由な日記[コラム]
vol.8 もらいものばかりのお家
vol.7 我が家に屋根ができるまで
vol.6 暑い夏を乗り切る!我が家の暑さ対策

コノイエ+プラス[コラム]
vol.5 台風の季節の拾い物
vol.4 賑やかな大家族暮らし
vol.3 古民家移築プロジェクトの始まり
vol.2 自分たちの住む家を造る
vol.1 うちの亀ちゃんはなんでも屋!

亀谷明日香

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紅型アーティスト
東京都出身。1996年に沖縄に惚れ込んで移住。沖縄県立芸術大学にて紅型を4年間学ぶ。在学中から紅型作品、土産物等を作り、販売を始める。2009年、紅型雑貨屋「虹亀商店」を沖縄本島南部の南城市知念にてオープッン。四児の母として子育てをしながら、日常にある沖縄の自然に日々感動し、染めています。

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