旅行
2025年5月15日更新
[旅の日企画]45歳で世界一周|スマホで旅は手軽に
5月16日は旅の日。45歳で世界一周した「旅する沖縄人」さんにインタビューした。「スマホで格段に旅はしやすくなった。一歩踏み出せば、新しい世界が広がっている」と話す。その先に見えた世界とは―。

366日で21カ国 東回りで周遊

366日かけて21カ国を周遊。メキシコからスタートし、東回りで世界一周をした「旅する沖縄人」さん。旅のきっかけは、新型コロナと母との別れだった。
※写真は全て「旅する沖縄人さん」からの提供です
旅のきっかけは、二つのできごとでした。一つ目はコロナで長年経営してきた飲食店が厳しい状況だったこと。二つ目は、母が亡くなったこと。精神的にひどく落ち込んでいた中で、「先のことは分からない。今しかできないことをしよう」と、長年の夢だった世界一周をすることに決めました。当時子どもが4歳で、5歳までに長い旅をしたいとも考えていました。幸い、妻も理解してくれました。最初は家族で行く予定でしたが、妻の仕事や子どもの保育園の関係で、家族とは2カ月ヨーロッパを一緒に回ることになりました。

ギリシャのサントリーニ島、オレンジの朝日に染まる街並み。

町の至る所で出合ったネコ

スペインの教会、サグラダファミリア。着工から100年以上たった今も建築が続いている

スペインのバルセロナ、ブライ通り。ピンチョスのお店が並び、気軽な値段でバル巡り。

生ビールも種類豊富

「ドナウの真珠」と言われるハンガリーのブダペスト。イブニングクルーズで美しい夜景を眺めた

トルコのイスタンブール、カドゥキョイ。傘のオブジェの下にたくさんのバーが並んでいる。世界各地でお酒を飲むのは、旅の楽しみの一つ
心に残った「オキナワ」
20年前、学生時代にタイに留学、10年前には東南アジアやインドへ旅をし、大きな旅は3回目。けれども出発前は不安ばかり。体調も良くはなかったんです。
それでも、とにかく出発。最も行きたかった南米を最初に訪れました。特に心に残っているのは、南米ボリビアにある「コロニアオキナワ」です。そこの学校で年に1回のお話大会が開かれていて、「おじいちゃんのようにサンシンがじょうずになりたい」「おとうさんに、ビールをのませたい」とたどたどしい日本語で話す子どもたちを見て、こみ上げてくるものがありました。私は親と同世代です。戦後、ジャングルを開拓した1世がいて、それから学校ができ、第1回の大会が開かれ、35回続いてきたのか…と。「HIGA」「NAKADA」という看板があったり、移民資料館に三線が飾られていたり。至る所で沖縄を感じました。

ボリビア、コロニアオキナワにある学校へ。大学院のころ「地球の裏側に沖縄以上に沖縄らしい場所がある」と聞いて23年。異国の地で見た「オキナワ」の文字に心が震えた
他にも標高5千メートルを超えるペルーのレインボーマウンテン、想像を超える貧しさとその中でも明るく暮らす人々のいたキューバなど、印象的だったことは数知れず。2カ月旅した子どもは帰国後、前より積極的になったと保育園の先生に聞きました。自信がついたのかもしれません。

ペルーのレインボーマウンテンは標高5千メートル、美しい虹色の土肌が特徴的

ペルーのアンデス山脈にある世界遺産「マチュピチュ」で昇る朝日を眺めた

ペルー原産のアルパカは穏やかでかわいかった

キューバの革命広場。内務省のビル壁面にはチェ・ゲバラの肖像。キューバは経済的に厳しかったけれど、人々は明るかった

アルゼンチン最南端の都市ウシュアイア。海と山に囲まれた街並みは美しかった。当時アルゼンチンペソが暴落していて、ワインやステーキがお手頃だった

おいしかった食べ物ダントツの1位は、トマトベースの冷製スープにエビやカキなどの海鮮が入っている「カクテル」。メキシコのサン・ミゲル・デ・アジェンデという小さな町の市場で初めて食べてドはまり
旅は格段にしやすく
一昔前と比べて、旅は格段にしやすくなりました。以前は宿も交通手段も一つ一つ現地で交渉が必要だったのですが、今はスマホで予約ができます。私は英語は不得意ですが、翻訳アプリに助けられました。世界は近くなったと感じます。
どこかへ行きたいと思ったら、一歩踏み出してみる。その先に、新しい世界が広がっています。
旅する沖縄人さん

インスタグラム @okinawa_travel
沖縄生まれ沖縄育ち。教員を経て独立。2023年5月から世界一周。インスタグラムで情報を発信。「夢をあきらめない40代からの世界一周のすすめ」「EXPLORE the World 世界一周の歩き方01メキシコ編」を電子書籍、ペーパーバックで出版
聞き手、構成/栄野川里奈子
『週刊ほ〜むぷらざ』旅の日企画 45歳で世界一周 スマホで旅は手軽に
第1970号 2025年05月15日掲載