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2020年2月21日更新
夢への飛躍、おにぎり通して後押し|ドロメール田所慶子さん (おにぎり店経営)
ヤマトンチュの沖縄ライフ『楽園の暮らし方』<vol.20>
沖縄に移住した人たちの「職」と「住」から見えてくる沖縄暮らしのさまざまな形を紹介します。
ドロメール田所慶子さん(おにぎり店経営)
宮城県出身のドロメール田所慶子さんは、4年前に移り住んだ瀬底島で、腕利きのパティシエであるフランス人のご主人と人気の洋菓子店兼カフェを営む。咋秋、地元の若者らが可能性を羽ばたかせる場になればと、新たにおにぎり店を開いた
カフェ運営から事業拡大。“未開封”の可能性をアシスト
「人生は片道切符」。本場のパン文化を学びたくて29歳でフランスに渡った時も、数年前、瀬底島に残っていた築1世紀の古民家を手持ちの財産をはたいて購入し、宮城県から移り住んだ時も、思い返せばどんな時でも、ドロメール田所慶子さん(45)はそんな思いを心のポケットに入れて生きてきた。
「命を落としそうになりながら九死に一生を得た体験を何度かくぐり抜けて来て、“生きる”というのは“生きている”と“生かされている”が半々なんだと思うようになったんです」
「片道切符しか持たない人生なら、今この時にしかない“旨味”を楽しまないともったいない」。そう語る田所さんは、一度やると決めたことは電光石火の行動力で実現させていく。今住んでいる古民家にしても、写真を見てピンと来て、瀬底島に来たこともないのに購入を決めた。フランス人でパティシエの夫、ヴァンサンさんと自宅の庭に開いた「Ringo Cafe(りんごカフェ)」も、驚異のバイタリティーであっと言う間に人気店に成長させ、つい最近も、島内の空き店舗をわずか40日で改装しておにぎり店を開業させた。
「やりたいことが決まるとイメージがトレビの泉のようにあふれ出て来るんです。人間って、目指す目標が決まると脳みそが動きだすものです」
4年前にオープンした「りんごカフェ」。パリの名店で修業したヴァンサンさんのお菓子を手作り感が楽しい店内の雰囲気とともに味わえる
看板商品のマカロン。泡盛やさんぴん茶といった沖縄味のマカロンもある
500円からのスタート
「人生をすごく速いスピードで走って」、次々と夢をかなえてきた田所さんだが、道のりは平たんなばかりではなかった。7年暮らしたフランスから宮城に帰郷した1年後、東日本大震災に見舞われた。夫婦で菓子店を営んでいた街は、押し寄せた津波で海と化した。肉親の行方が一時分からなくなり、無事を確認できたのは10日後だった。
連日お客さんが引きも切らずに訪れるりんごカフェも、オープン当初は「泣きたくなるほど」客足がまばらだった。
「売り上げが500円しかない日もありました。彼にはショックだったと思います。でも彼に言いました。『私は何も心配していないよ。だって500円あれば卵が2パック買える。あなたには卵をお菓子に変えるすばらしい技術があるんだから』と」
「失敗とは途中で匙を投げること。歩き続ければいつかゴールにたどり着く」と信じる田所さんが思い描いた通り、ほどなくりんごカフェは評判を聞きつけた客であふれるようになった。
ウッディーな外観にフレンチシックな内装の「MUSUBI 172」はおにぎり店というよりカフェのよう。田所さんにスカウトされて6年勤めた職場を辞め、店長に就任した當間良樹さん(右上写真)は、「新しいことにチャレンジしたくて転職しました。食材に敬意を払うことの大切さなど、学ぶことが多いです。僕にも夢がありますが、そこに向かう一歩になると思います」と話していた
宮城県産の無農薬天日干し米など、厳選した素材で作られるおにぎりは、出勤途中の人や近くのビーチに遊びに来る観光客らに好評だ。「『おにぎりってこんなにおいしいものなんだ』と喜んでくださる方もいます」と田所さん
可能性の殻をたたく
りんごカフェに来店する人のお目当ては、パリの老舗菓子店で修業したヴァンサンさんが作る絶品のマカロンだけではない。気さくで、誰とでもすぐに打ち解ける田所さんの人柄にひかれて会いに来る人も少なくない。「悩む人を見ると助けたくなる母性が湧く」田所さんの性分を知ってか知らずか、中には人生相談のような話をする人もいる。
「そういう方には『あなたが授かった個性や資質は宝物ですよ。やりたいこと、進みたい道をあなたが決めさえすれば宝の威力が発揮されますよ』とお話しするんです。皆さん元気になって帰って行かれます」
おにぎり店「MUSUBI 172」を開いたのも、おにぎり販売で利益を得るためというより、「せっかく持っている可能性が未開封なままになっている」若者らに飛躍するきっかけを与えたいという動機からだ。「やりたいことがあるのに飛び立てていないように見えた」地元の知り合い男性を店長に抜てきして店の運営を任せている。
「たとえて言うなら、私が日々しているのは卵の殻をスプーンの背で割ること。『殻を割らないとあなたの旨味は出てこないよ』という気持ちで、りんごカフェでもMUSUBIでもパキーンパキーンと割っています(笑)」
「好きな動物は鳥」だという田所さんは、夢に向かってずっと飛び続けてきた。飛ぶ喜びを人一倍知っているからこそ、踏み切れずにいる人を「思い切って飛んでみて」と鼓舞したくなるのだろう。
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りんごカフェと同じ敷地にある築100年の古民家に一家4人で暮らす。シックな色合いの壁やキッチンツールを梁(はり)からつり下げた“見せる収納”が、和の空間にパリのアパルトマンのような空気感をプラスしている
古さを磨いて美しさに
フランスのノルマンディー地方に住む義父母を訪ねた時のことだ。60~70年前から使い続けてヒビやカケが入った食器や、何度も研ぎすぎて変形したステーキナイフが食卓に並べられた。
「使いすぎて白いお皿が褐色になったりもしていました。心がしびれましたよ。手に入れると決めた物を、最後まで責任を持って使うことは何て美しいんだろう、と感動しました」
そうしたつつましい暮らし方の根底には「人間は生きる糧を自然から借りているだけ」と考える義父母の「自然への半端ない敬意」があることも知った。
それ以来田所さん自身も、古い、汚いと言って捨てられるようなものをあえて引き取って活用するようになった。自宅の裏にあった家畜小屋をりんごカフェに改装した時も、人からもらった古材で床を張ったりテーブルを作ったりした。
「たとえ古くても、大切に使われて育てられたものには新しいものにも負けない価値があります」
古さが磨かれて美しさに変わった田所さんの住まいやりんごカフェに、その価値はありありと息づいている。
文・写真 馬渕和香(ライター)
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1781号・2020年2月21日紙面から掲載