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2019年11月15日更新

写真を真ん中に 人とつながる|勇崎哲史さん(写真家)

ヤマトンチュの沖縄ライフ『楽園の暮らし方』<vol.17>
沖縄に移住した人たちの「職」と「住」から見えてくる沖縄暮らしのさまざまな形を紹介します。

勇崎哲史さん(写真家)
 

北海道出身の写真家、勇崎哲史さんにとって写真は表現の手段であるとともに人との関係性を結ぶ大切なすべ。ゆかりのある大神島や本島内の戦跡の撮影に打ち込む一方で写真教室を開いて写真好きの輪を広げている


撮ったら贈る、を心がけ。講師として写真家の育成も

沖縄が本土に復帰した1972年5月、写真家志望の学生だった勇崎哲史さん(70)は〝写真を拒む島〟にいた。

「宮古島の沖に大神島という島があって、そこの人たちは写真に撮られることを拒絶するんだよと人から聞いて無性に行きたくなったんです」

膨らむ好奇心を胸に島に上陸した勇崎さんは、警戒されないようににこやかな笑顔を終始絶やさないようにしながら、道端で遊ぶ子どもたちや畑仕事に精を出す老人らにカメラを向けた。聞いていた話と違って、撮られることを嫌がる人はほとんどいなかった。

「撮った写真を後日届けに行ったのですが、皆さんえらく喜んでくれて、盛大な歓迎会まで開いてくれました」
こんなに喜んでくれるなら、島の全家族の写真を撮って、それもまたプレゼントしたいと考えが浮かんだ。親切な島人が23軒ある家々を回って「協力してあげて」と頼んでくれた。

「(宮古島の)平良の写真館なら数千円かかるところをこの人は無料で撮ってくれるんだよ、と言ってね(笑)」

現像した写真は再び島に渡って直接手渡した。撮影後に亡くなったおじいさんの写真を見て「おじいがよみがえったみたいだ」と言って泣き出す人もいた。

「写真をやって来てよかったのは、贈り物として人にギフトできるものが自分にもあると思えることです。カメラを間に挟むことで人との関係性を結べることが自分の人生を豊かにしています」

 

写真を封印、そして再開

半年にわたる沖縄での撮影を終えると、勇崎さんは故郷の札幌に戻って写真スタジオを立ち上げた。しかし写真で食べていくことは思った以上に難しく、結局、写真活動を「一度封印」して、「もともとアイデアマンっぽいところがある」自分の発想力を生かせるプランナーの仕事に就いた。アイデアマンの本領は見事に発揮され、発案した企画は次々と成功を収めた。例えば北海道の東川町で25年前から開催されている「写真甲子園」を考案したのも勇崎さんだ。

写真活動の「封印」を解いたのは40歳の頃だ。写真の道に引き戻されるような出来事がいくつも重なったことが気持ちに変化をもたらした。原点に返るつもりで20年ぶりに大神島を訪れて家族写真を撮影した。撮った写真を20年前の作品と合わせて写真集「大神島 記憶の家族」にまとめて発表した。大神島を撮ることが一生かけて追求したい〝ライフワーク〟になった。
 

1970年代と90年代に撮影した大神島の家族写真を一冊にまとめて92年に発表した写真集。前書きに「大神島に象徴される沖縄の心は、僕の発想や生き方を支える原点となった」と書かれている
 

島をたつ時、多くの人が見送ってくれた(写真は1972年に撮影、勇崎さん提供)
 

 

「忘れてはいけない沖縄戦の記憶を写真を通して残し伝えたい」と、昨年から沖縄本島各地にある戦跡を撮影している。「慰霊の日を境に梅雨が明けてセミが鳴き始める。沖縄戦が終結した1945年の夏に思いをはせながら、戦跡とそこで羽化するセミの姿を撮影しています」。写真は浦添市の前田高地にあるディーグガマ周辺。右下に羽化するセミが2匹写る。計20カ所で撮影した40点を来年秋に開く展覧会で発表する予定だ(写真は勇崎さん提供)

 

個性をもり立て背中を押す

12年前、那覇に移り住んだのも大神島を撮り続けるためだ。「大神島に行きたいと思った時に行けるように」島の近くにいたかった。写真講座を開いて、それで生計を立てることにした。

写真を知り尽くしている上に語り上手でもある勇崎さんの講座はおもしろく、「写真の前では誰もが対等。講師も生徒もない」という信条を実践する謙虚な人柄も魅力となって受講生は増えていった。

「写真教室と言うとノウハウを習う所だと思う人が多いですが、僕は撮影のノウハウをほとんど教えません。僕なんかよりずっと可能性を持っている人に僕のノウハウを教えてしまうとその人は僕止まりで終わってしまうから。僕の役目は、誰もが持つその人ならではの個性を見つけて、それをもり立てて背中を押すことです」
才能を見いだされて背中を押された教え子の中には、“写真界の芥川賞”と言われる木村伊兵衛写真賞を受賞した石川竜一さんもいる。

「竜一君に僕が教えたことなんてほとんどありません。竜一君に限らず誰に対してもそうですが、僕にできるのはその人にしかない個性を見つけて後押しすることです」

慎み深い言葉を聞いてこんなことを思った。勇崎さんと人とを結びつけるものが写真のほかにもう一つある。それは、勇崎さんの中からじんわりとにじみ出る豊かな人間力だ、と。

 

 

自宅の2階で写真講座を開いている。受講生の源河正章さんは「歴史を含めていろんな角度から写真を学べます。何をどこまで写すか、以前よりよく考えてからシャッターを切るようになりました」と話していた
 

県立博物館・美術館で開かれた受講生の展覧会「フラグメンツ」。10年前に始まり来年第7回を迎える(写真は勇崎さん提供)
 

写真集「絶景のポリフォニー」と「okinawan portraits 2010-2012」によって木村伊兵衛写真賞を受賞した石川竜一さんは勇崎さんを「写真の師」と呼ぶ。「先生と出会わなければ、ただ単にわーっと叫んでいるだけのような写真しか撮れなかったと思います。見る人の心に語りかける“言語”を持つ写真を撮ることの大切さを教わりました」

 

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勇崎さんの自宅兼仕事場は那覇市の一角に残る趣ある木造古民家。泡盛酒造所の役員をしていた人が建てたものだという。「こんなにすてきな家を借りられて夢のようです。外でお酒を飲むよりもうちの2階で飲んだ方が風情がありますよ」。表に止めたバイクは生活と撮影の足。「仮面ライダーならぬカメライダーです(笑)。これに乗って辺野古までも撮影に行きます」


寝室として使っている一部屋をのぞいて全ての部屋が仕事場。写真に関する資料や機材でぎっしり埋め尽くされている

 

文・写真 馬渕和香(ライター)


毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1767号・2019年11月15日紙面から掲載

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