My Style
2019年6月21日更新
滋味あふれるそばと笑顔の味|又吉妙子さん(沖縄そば店「夢の舎」店主)
ヤマトンチュの沖縄ライフ『楽園の暮らし方』<vol.13>
沖縄に移住した人たちの「職」と「住」から見えてくる沖縄暮らしのさまざまな形を紹介します。
又吉妙子さん(沖縄そば店「夢の舎」店主)
沖縄そば店を営む又吉妙子さんは三重県から首里に嫁いで47年。義母から受け継いだ味と自分の味とをブレンドしたオリジナルのそばは全国に熱烈なファンを持つ
首里に嫁いで47年。そばづくりに見つけた生きがい
沖縄そばにまつわる失敗談が、又吉妙子さん(71)にはある。
出身地の三重県から24歳で沖縄に嫁いで少したった頃、「脂っこくてパサパサしている」沖縄そばが苦手で、義理の母に「こんなものを食べるの?」と思わず口走ってしまった。
「『こんなもの、じゃない。食べ物を粗末に言ってはだめ!』とパシッと叱られました(笑)」
戦後、島人たちが食材不足の中でいかに食事を作り、命をつないだかを義母は話してくれた。
「当時、沖縄そばはヘタしたら月に一度しか食べられないごちそうだったそうです。ガジュマルの灰が手に入らなくてそのへんの枝を燃やして使ったとか。お義母さんに教わったことは私の宝物です。食べ物自体が沖縄の歴史だと気づかせてもらった」
今年、沖縄県から「琉球料理伝承人」に認定された。「沖縄の食べ物の歴史はそのまま島の歴史。だからつないでいかなくちゃ。そのために私にできることをしていきたい」
妙子さんが考案した海ぶどうそば。アーサ入りそばと並んで人気だ
理にかなった料理
義母の話や読んだ本を通して、沖縄の料理が「すごく理にかなっている」ことを知った。
「沖縄の料理は暑い気候の中でも食べ物が日持ちするように調理されています。火の通し方や調味料の配合を工夫して腐りにくくするなど、暑さが生んだ知恵がたくさんあります」
観光バスガイドの仕事をしながら義母が持つ貸家で軽食店を始めたのは29歳の時だ。首里高校の向かいという立地を考えて、メニューには学生受けするラーメンやたこ焼きを並べた。
「どんぶりに山盛りのかき氷を100円で出したりね。榮光さんが学生さんの相手が上手で、連日首里高生でにぎわいました」
店は本部富士の登山口に向かう道沿いにある
店舗として借りているのは築約70年の古民家。お忍びで芸能人も訪れる
未知の島にお嫁に
榮光さんとは、妙子さんの夫だ。首里生まれの榮光さんと本土出身の妙子さんは、まるでドラマのような出会いをした。
「文通相手だったの。今で言うメル友ね」
文通が始まったのは中学2年の時。沖縄が本土復帰する前だ。「あの小さな島に水はあるんだろうか」と素朴な疑問を抱くほど沖縄を知らなかった妙子さんに、榮光さんがつづる沖縄の日常は鮮烈な印象を与えた。
「戦時中の壕に潜ったとか、龍潭池のほとりで鉄兜を見つけたとか、インパクトの強い話をよく書いてきました。達筆すぎて読めないような字で(笑)」
高校に進学しても社会人になっても文通は続いた。恋人というより親友のような間柄だった。その関係が変化したのは、妙子さんに縁談が次々と舞い込むようになってからだ。嫌気が差して妙子さんが電話をかけると、榮光さんは「沖縄に(嫁に)来るか」と言ってくれた。
「『行く』と返事しました。父は『あんな遠い所に娘をやれない』と反対しましたが、嫁いだ後は『そこの家の娘として頑張れ』と応援してくれました」
店のファンの中にはボランティアでお手伝いに来る人もいる。岩手から来た広沢仁一さん=写真=もその一人。「自分が苦しい時にお二人が助けてくれた。恩人です」
そばの味ともう一つの味
本土復帰の年に沖縄に嫁いで、仕事を掛け持ちしながら二人の子どもを育てた妙子さんに転機が訪れたのは、榮光さんが「陶芸をやる」と言って本部町の山中に窯を開いた後だ。自身も首里の店を閉じて窯の近くに移し、手打ち沖縄そばの店を始めた。店名は、「夢を語る場所に」と榮光さんが「夢の舎」と付けた。
麺は、陶芸で土をこね慣れている榮光さんが打った。スープは、義母から受け継いだ味を妙子さんが自分流にアレンジ。季節の野菜の旨みがきいた、さっぱりとしていてコクもあるスープを作り上げた。
二人三脚で完成させた滋味深いそばが評判になり、ナビがあっても迷子になりそうな山奥の店にもお客さんは来てくれた。妙子さんが「人を引きつける磁石を持っている」と話す榮光さんと、人なつこい笑顔を絶やさない妙子さんの人柄を慕って繰り返し来店する客も多い。
「『数年ぶりに来ました』、『結婚して子どもができたので連れてきました』と言って通い続けてくださる。ありがたいですね」
二年前に榮光さんが入院してからは一人で店を切り盛りする。
「正直、体はしんどいですけれど、仕事は生きがい。お客さんから幸せをもらっています」
忙しい作業の手を止めて、妙子さんが帰るお客さんに、「こんな不便な所の店を見つけてくれてありがとう!」、「忘れ物はない? 携帯は持った?」と明るく声をかけた。そばの味と人の味。人が通い続けるわけが分かった。
店を営業している日はすぐ裏にある小屋に寝泊まりしている。「米軍の通信隊が使っていたコンテナなの。電波が届かないようになっているから携帯も鳴らない。自由きままに過ごせて結構快適よ」
自宅は首里の市営住宅の一室だ
都会と田舎のいいとこ取り
都会の便利さと空気が澄んだ田舎の気持ち良さ。その間を行き来する二拠点生活を妙子さんは楽しんでいる。
店休日に帰る自宅は首里の一角にある市営住宅。徒歩圏にスーパーが二軒と病院と薬局がそろい、友人らから住みやすそうな所だとうらやまれている住環境だ。
「豆腐一丁買うにも車で5キロ走らないといけない本部の山中からしたら大都会。でもこっちに長くいると落ち着かなくなってくるの。澄み切った自然の空気が恋しくなるのよね」
だから車の運転が危なげなくできる間はやんばるで店を続けたいと話す。
「世間に迷惑をかけたくないからいつかは免許を返納します。そうしたら首里でお店をやろうかな」
本土出身者としては数少ない「琉球料理伝承人」。その肩書を生かして、元気な限りは沖縄料理の継承に力を注ぐつもりだ。
妙子さんへの誕生日プレゼントにと榮光さんが書いてくれた色紙。表には「春は春、桜は桜、君は君」と自作の詩。裏には感謝の言葉がつづられている。「榮光さんはとことん人を大切にする人。99パーセントの人は彼に会うとファンになる。私もその一人です」
文・写真 馬渕和香(ライター)
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1746号・2019年6月21日紙面から掲載