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2018年11月22日更新
仏料理シェフ、百点満点の沖縄生活|若林豊さん(レストラン Limpid店主)
ヤマトンチュの沖縄ライフ『楽園の暮らし方』<vol.07>
沖縄に移住した人たちの「職」と「住」から見えてくる沖縄暮らしのさまざまな形を紹介します。
レストラン「Limpid(リンピッド)」店主
若林豊さん
スノーボードのプロ選手だった若林豊さんは、30代で料理の世界に飛び込み、厳しい修業を乗り越えて沖縄にカフェレストランを開いた。右は妻の益美さん。プロポーズの時、中央の貝殻アートを手作りして益美さんにプレゼントした
手作りの店、家族との縁引き寄せ
スポーツ選手からフランス料理の料理人へと、若林豊さん(42)はドラマチックな転身を遂げた。
20代はスノーボードのプロ選手として活躍した。体のバランスを保つのが抜群にうまく、曲面状の雪の上でジャンプや宙返りの完成度を競う種目「ハーフパイプ」を得意とした。
しかし30歳になった時、体への負担を考えて選手人生にピリオドを打った。釣りが趣味だったこともあり魚屋で働き始めたが、料理を本格的に勉強したい意欲が芽生えて33歳で転職した。
「結婚式場の厨房に入ってフランス料理を学びました。先輩たちは皆年下ばかり。最初のうちは『何もできないのに何しに来たの?』みたいな視線を浴びて肩身が狭かったです」
店は、カフェやレストラン、雑貨店などが集まる浦添市の港川外人住宅街にある。沖縄の海や空を連想させるアクセントカラーの青が道行く人の目を引く
厳しかった料理人修業
料理以前に、そもそも厨房で飛び交う言葉からしてちんぷんかんぷんだった。「エマンセ(スライス)して」、「アッシェ(みじん切り)して」とフランス語交じりに指示を出されても、どうしてよいか分からずに右往左往。シェフや同僚たちの足手まといになる自分が歯がゆかった。
作った料理をひどい言葉でけなされたりもして、心は何度も折れそうになった。しかし踏みとどまって一つ一つ経験を積むうちに、仕事をスムーズにこなせるようになっていった。
「シェフに信頼してもらえるようになって、任せてもらえる仕事が増えていきました」
修業を終えた暁には、旅行で何度も訪れていた沖縄で店を開くと決めていた。生まれ育った神戸も含めて、本土の都会に店を出すことは選択肢になかった。
「都会でせわしなく働くよりも、沖縄の自由な空気感の中で自由に仕事をしたかったんです」
そして5年前に沖縄に移住。その決断は正しかったと話す。
「沖縄での暮らしは、いいことしかありません。自由にのびのびと仕事ができるし、家族と過ごす時間もたくさん持てる。仕事帰りに時々、家族と海を見に行くのですが、内地の都会で働いていたらとてもできなかったことだと思います」
10人ほどが座れる大きなテーブルや一人客でも居心地のよいカウンターは、フローリングの廃材を加工して手作りした。窓辺や壁に、自分で釣ったアーラミーバイの骨を組み立てたオブジェや照明が飾られている
若林さんが描いた人生初の壁画。「沖縄の地図と、自分で釣った大物の魚の絵を描きました。この映画のフィルムみたいなものには、妻と出会ってからの家族の歴史を描き込んでいきます」
真剣な面持ちで一皿一皿を丁寧に仕上げていく若林さん。全身に集中力がみなぎる
土いじりが好きで、店の裏庭でサラダなどに使う野菜やハーブを育てている
絵のように美しく盛り付けられた若林さんの料理(写真は若林さん提供)
手作りの店が導いた幸せ
若林さんは今、浦添市の外人住宅街でカフェレストラン、「Limpid(リンピッド)」を営む。家庭的なフランス料理をカジュアルに楽しめる店として人気が高い店の魅力は、食材を柔軟に組み合わせたひらめき豊かな料理だ。「料理が楽しいのは、決まりごとが少なくて自由だから」と話す若林さんは、例えばかつおの刺身をアーモンドで風味付けしたり、焼いた魚に甘い芋のソースを添えたりと食材を自由に足し算する。
若林さん自身が手がけた内装も、店のチャームポイントになっている。木工をするのも本気で絵を描くのも初めての経験だったというが、廃材でこしらえたテーブルなどの家具も、壁一面に大胆に描いた壁画も、全くの素人とは思えない出来栄えだ。
「自分の店を出せるのは一生に何度もないことだから、一から手作りしてみることにしたんです。神がかってるかも、と自分でも思うくらいに(笑)、アイデアが次から次へと湧いてきました。もの作りの楽しさを学べたし、『僕でもできるんや』と自信を持てるようにもなりました」
若林さんが作る料理に似て、カラフルで、楽しくて、あたたかみのある手作りの店は、お客さんだけでなく、家族との縁も若林さんのもとに運んできた。
「たまたま彼のお店に入ったら、内装や雰囲気がとてもすてきで、翌日もまた来てしまったほど気に入ってしまったんです」
そう語る妻、益美さん(30)と若林さんは、海好きという共通点を通してすぐに意気投合。出会って1年ほどで結婚した。今年6月には長女の琉海ちゃんも生まれた。
「店が家族と引き合わせてくれました。あとはマイホームを持てたらいいですね。今でもめっちゃ幸せだけど、さらにもっと心が豊かになりそう」
家を建てたら娘の勉強部屋を手作りしてあげたい、と話す若林さん。名前の通りの豊かな人生を「いいことしかない」沖縄で一歩一歩築いている。
自宅は店まで車で約15分の賃貸マンション。「生活するのに便利で、周辺にほどよく自然が残っているところが気に入っています」と益美さん。もう少し田舎にマイホームを建てたいと現在土地を探している
3LDKの部屋は家具や生活道具が少なくてすっきりと片付いている。20歳ぐらいからバッグ一つで世界約50カ国を旅してきたという益美さんは、「生活するのにモノはあまり必要ないと思っています。掃除をするのも楽ですよ」と話す
益美さんお気に入りのウッドデッキは、素足でベランダに出られるようにと若林さんが作ったもの。「娘のおもちゃも手作りしてくれます。自分で作れば、たとえ壊れても直しやすいからと言って」と益美さん
文・写真 馬渕和香(ライター)
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1716号・2018年11月23日紙面から掲載