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2018年6月24日更新

沖縄でつかんだ楽しすぎる“天職”|はてるまこうさん(写真家)

ヤマトンチュの沖縄ライフ『楽園の暮らし方』<vol.03>
沖縄に移住した人たちの「職」と「住」から見えてくる沖縄暮らしのさまざまな形を紹介します。

はてるまこうさん(写真家)


はてるまこうさん(本名・副田公秋さん)は、会社の転勤でやって来た沖縄に住み続けるために30代で脱サラ。居酒屋の経営者を経て、“天職”だという写真家になった

 

撮って、教えて、毎日が写真ざんまい

九州から移り住んで41年、写真家のはてるまこうさん(71)は、一つだけ沖縄に不満がある。
「島が小さいことがちょっと不満。那覇から車で2時間も走れば北端の辺戸岬に着いてしまうさ。辺戸岬の先に屋久島がくっついていたらな、というのが僕の一番の願望(笑)。そしたら、こんなにすばらしい島はないよ」
「不満なのはそれだけ」という沖縄を、はてるまさんは、「感覚的にはまだ50歳」という体力と、ふるさとの鹿児島で野山を駆けめぐり遊んだ少年時代と変わらない好奇心で飛び回っている。ある時は月光に照らされた幻想的な滝に、またある時は数百年の歴史が降り積もる古い城跡に。「これは」と思う場所には2年も3年も通うことも珍しくない。吹きすさぶ寒風が肌を刺す冬の海岸べりでも、ハブが出そうなうっそうとした森でも、会心の一枚が撮れるまで通い続ける。
「イメージした写真が撮りきれるまで何度でもしつこく通うよ。僕は気性的に相当あきらめっぽくて何事もてげてげ(鹿児島弁で“てーげー”の意味)だけど、写真だけはこだわるよ」



はてるまさんの写真(はてるまさん提供)。「沖縄で一番好きな場所」という伊平屋島で撮影。本島を探し回っても見つけられなかったグンバイヒルガオの群生に遭遇した時の感激の一枚。「青い海と空だけをただ撮ってもおもしろくないさ。こうして花を入れればはるかに絵になるさ」。


南城市のニライカナイ橋。うろこ雲が橋の上に流れてくるまで1時間待って撮った。「写真は技術も大事だけど、撮り時を待つことも肝心。さっさとあきらめて帰ったらいい写真は撮れんよ」

 

異色の経歴の写真家

「天職だろうな」という写真家になる以前、はてるまさんは写真とはまるで縁のない仕事ばかりしてきた。20代の頃は菓子食品メーカーの敏腕営業マンだった。気さくな人柄で取引先に気に入られ、成績優秀で営業所長に抜てきされたりもした。
沖縄に来たのは、「美しい海にあこがれて」転勤を自ら願い出たことから。数年で帰るつもりだったが、趣味の魚釣りやダイビングを楽しむのに理想的な自然が身近にある暮らしや、「気疲れしない」島の人間関係に慣れ親しむうちに去りがたくなった。
「こんなに住みやすい所はないなと思うようになった。内地であくせく働くより、沖縄で自営業をしながらのんびり暮らそうと会社をやめたよ」
脱サラして居酒屋を始めると、これが運良く繁盛した。「店の雰囲気がよくて食材も新鮮」と連日開店前に数十人が並んだ。ところが数年後にバブルがはじけると、順風満帆の追い風は激しい向かい風に変わった。経済的な痛手を負い、「逃げ出したくなるほど苦しい思い」を味わった。



那覇市内の3階建ての持ちビルがはてるまさんの自宅兼事務所。「本当は知人がここを買う予定で、僕は一緒に見に来ただけだったんだけど、『君が買った方がいい』と言われて『そうですね』とあまり深く考えずに衝動買いした(笑)」


ビルの1階が事務所。月に数回ここに生徒が集まり、撮影会で撮った写真をはてるまさんに講評してもらう。妻の保子さんが育てている鉢植え植物が、緑が少ない通りの“プチオアシス”になっている


元々はアパートとして人に貸していた3階を自宅にしている。意外なことに、家にははてるまさんの写真が飾られていない。「あまり飾ろうとしないし、そもそも家では写真の話をほとんどしません」と、はてるまさんと同じく鹿児島県出身の保子さん。沖縄に40年あまり暮らし、「鹿児島に未練はない」と話すはてるまさんだが、晩酌に飲むのは日本酒かふるさとの芋焼酎



2階は長男の副田桂一さんが経営する居酒屋「酒菜屋 楽」。「堅苦しくなくて、誰でも楽しめる店になれば」という気持ちを店名に込めたという。こだわりは「“居酒屋らしくない”料理を出すこと」。県内外から仕入れた旬の食材を盛り込んだ、ひと味違う料理が自慢だ

 

絵心豊かな写真

以前から興味があった写真に本格的に打ち込むようになったのは、苦境を切り抜けて生活に平穏が戻った頃からだ。「やるからには全国的に活躍できる写真家に」と、撮った写真を本土のコンテストに積極的に応募した。作家名も、沖縄を専門に撮る写真家になる決意を込めて、本名の副田公秋ではなく、はてるまこうとした。
少年時代は絵描きになることを夢見ていたはてるまさんの絵心あふれる写真は、応募が数万点に上ることもある全国のコンテストで1位や2位に輝いた。うわさを聞きつけた県内の大手企業から仕事を頼まれるようになり、「とんとん拍子に」写真家としてデビューした。

 

マル秘テクも洗いざらい

うわさは写真愛好家たちの耳にも届いた。「一度でいいから沖展に入選したい」などと言って指導を請う人たちが次々と現れた。ならばいっそのこと教室を開こうと、はてるまこう写真塾を開いたのが19年前、52歳の時だ。人当たりの良いチャーミングな人柄と「洗いざらい教える」丁寧な指導が信頼を得て、現在は塾のほか3教室で講師を務める。
「僕は自分の撮影技術を全部教える。マル秘テクニックまで包み隠さずにね。教えたことを吸収して、僕を追い越すぐらいうまくなってほしいけど、まだそういう生徒はいないな(笑)」
「生まれ変わっても写真家になるはず」というほど写真が好きでたまらないはてるまさんに、目指すゴールを聞いた。
「もっといい写真を撮りたい。ただそれだけ」
全国の写真コンテストで名をはせた40代50代は「勢いのある」写真が撮れた。今は写真家として経験を積んだ分、そして人として円熟味が増した分、「もっと内容のある」奥深い写真が撮れる気がするという。
「もっといい写真が撮れるんじゃないかな。そのためにジムに通って足腰を鍛えているよ」
天職をつかんだ人の情熱は、いつまでも冷めることはない。




主宰する写真塾の撮影会の様子。自分で撮った見本写真を見せながら、生徒の質問に丁寧に答えていた。入塾して9年になる永味節子さんは、「先生は技術はもちろんのこと、誰にでも公平に教えてくださる人柄もまたすばらしい。そろそろ卒業したいと思いつつ、毎回新たな発見があるのでなかなかやめられません」と話していた



文・写真 馬渕和香(ライター)


毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1694号・2018年6月22日紙面から掲載

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