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2018年5月25日更新
モノのいのち 引き受け、つなぐ|須藤健太さん(20世紀ハイツ店主)
ヤマトンチュの沖縄ライフ『楽園の暮らし方』<vol.02>
沖縄に移住した人たちの「職」と「住」から見えてくる沖縄暮らしのさまざまな形を紹介します。
須藤健太さん(20世紀ハイツ店主)
須藤さん(右)と妻の香代子さん、そして二人が「ピッピ」の愛称で呼ぶ小学6年生の一人娘、日和子(ひよりこ)ちゃん
震災で沖縄に。人気のイベントも主催
どの家にもある、何年も何十年も置きっぱなしになったモノ。持ち主でさえ、そこにあることを忘れてしまっているモノ。そんな、〝ないも同然〟になってしまったモノたちを、古物商の須藤健太さん(44)は放っておけない。
「連れて帰って埃を拭き取り、洗って磨いて店で〝再デビュー〟させてあげるとモノは見違えるように生き返る。『よしっ』と気合が入ってシャキーンとする。その変身ぶりを見守る喜びが店を続ける原動力になっています」
首都圏で生まれ育ち、若い頃は音楽で身を立てる夢を追いかけていたという須藤さん。高校を卒業した後は「生活の半分が音楽」という日々を送っていたが、あるアルバイトを始めたことで人生に転機が訪れた。
「引っ越し業者で働いた時に、高級住宅街の邸宅にあったアンティーク家具や、新婚夫婦がほんの数日間しか使わなかった新品の家財道具などがいとも簡単に処分されるのを見て、〝もったいない病〟にかかったんです」
不要品のあわれな末路を気の毒に思った須藤さんは、古いモノを生かす仕事に興味が湧いた。「修行」のつもりで東京都内の高級リサイクル店に入店。初めにこんなことを教わった。
「入店したその日に、『物欲を捨てなさい』と言われました。物欲があるとモノを手放せなくて、この仕事はできませんから」
西洋のアンティークから和骨董、昭和レトロな品々まで、時代も国もさまざまなモノたちが一堂に集う20世紀ハイツ。古びて存在感が薄れてしまった、「風化したモノ」たちにもう一度光を当てたいと、須藤さんが11年前に東京で開店し、東日本大震災後、沖縄に移転した。モノの買い取りは県内にとどまらず、県外まで出かけていくこともある
モノが同居するハイツ
修行を終えて、東京の都心から少し離れたのどかな住宅地に「20世紀ハイツ」を開いたのは33歳の時だ。アンティークを売る店なのにアパートのような名前を付けたのは、店主の自分と商品のモノとの関係が「大家と店子(借家人、テナント)」のようだと感じたからだ。
「店に並ぶモノたちは、よそで生まれ育って、何の因果かうちにやって来て、ここでリフレッシュしてから新たな所へ行く。いわば彼らは、僕のアパートメントの店子のようなものです」
骨董屋の仕事は楽しかった。8坪の小さな店に所狭しと置かれた古物を眺めては、遠い昔にそれらを作った「今はもうこの世にいない、絶対に会えない人たち」に思いをはせて、感慨にふけったりした。モノは作った人たちの〝生きた証し〟だから、見るからに売れそうにないモノでも「せめて存在していてほしい」と引き取ることもあった。
東京で働き、暮らすことに不満はなかった。だから妻の香代子さん(46)の実家のある沖縄に「強い愛着」を感じてはいたけれど、すぐに移住することは考えていなかった。7年前、東日本大震災が起きるまでは。
「放射能の影響で僕の周りの多くの人が『私も出て行く、私も出て行く』と東京を離れていった。沖縄の広い空の下でのんびり暮らすのもいいなと、前向きな気持ちで移住を決めました」
店は、「浦添から北中城までの細道という細道をバイクでめぐって見つけた」見晴らしのよい外人住宅。「東京の店からの眺めは、お向かいさんのうたた寝姿ぐらいでしたけれど(笑)、ここは海、空、街、森の緑ときれいな4層が眺められる」と須藤さん。店内にはカフェコーナー(上)もある。2年前に、那覇に2号店を出店した
骨董屋冥利に尽きる瞬間
幸い、香代子さんの父が所有する古民家に住まわせてもらえることになった。住居とは別に、店舗として宜野湾市の高台に建つ眺めのよい外人住宅を借りた。
「アクセスが悪い場所なのでお客さんがまるで来ません(笑)。なぜやって行けているのか自分でも不思議だけど焦りはない」
千数百年前のトンボ玉から明治時代のオールドノリタケの磁器、ピカソの石版画やYMOの古いレコードまで、店には膨大な数の商品がひしめく。その9割は、買い取りを希望する人の家まで須藤さんが直接出向き、モノの一つひとつと「面接」をし、「一緒に来るか?」と声をかけて持ち帰ったものだ。「輝きを失ったモノでも、手で頻繁に触れてあげれば再び輝く」と信じる須藤さんは、毎日商品を洗ったり磨いたり、こまめに置き場所を変えたりして、気に入ってくれる人が現れるのを待っている。
「大事にしてくれる人とモノがめぐり合えた時は本当にうれしいです。高額な品物が売れて大金を手にしてもそれほど喜びを感じないのに(笑)」
幸運にも良い縁と出合えたモノたちはきっと、親切にしてくれた〝大家〟の須藤さんに「ありがとう」と礼を言って20世紀ハイツから巣立っていくのだろう。
暖色の照明が商品をほんのり浮かび上がらせる夕暮れ時は、昼間とは別世界の雰囲気に
この道に入って「物欲をきっぱり捨てた」須藤さんが唯一売ることをためらう大正時代のぽち袋。「お客さんに『ぜひ譲って』と頼まれていくつかお譲りした時は、後でものすごく悲しくなりました(笑)」
家族3人が暮らすのは、香代子さんの曽祖母が約50年前まで住んでいた赤瓦の古民家。「曽祖母に育てられた父が、おとなになってから『お世話になったひいおばあちゃんのために』と建てた家です」と香代子さん
日本の昔の家が現代にタイムスリップしてきたような須藤さんの家。明治時代の鏡台や昭和30年代のレトロな子供用整理ダンスなど、家具や建具は歴史が染み込んだものばかり。家が建った1959年当時に新築祝いとして贈られた柱時計もまだ現役で活躍している
香代子さん、日和子ちゃんの親子2代で着た子ども服が飾ってある。「孫が着る時まで飾っておくかも」と須藤さん。右上は今も音楽活動を続ける須藤さんのライブの写真
3年前から毎年クリスマスの時期に開かれている人気のイベント「オキナワマルクト」。「異業種同士が交流できる、ヨーロッパの市のような場所を沖縄にも」と須藤さんが発案して始まった。「東京にいた頃は財力やコネがないと新しいことを始めにくいと感じていた。でも沖縄は、物事を始めることへの“壁”が少なくて、行動を起こせば必ず広がります」(写真は須藤さん提供)
文・写真 馬渕和香(ライター)
毎週金曜日発行・週刊タイムス住宅新聞
第1690号・2018年5月25日紙面から掲載