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2019年10月3日更新

[彩職賢美]HIV人権ネットワーク沖縄副理事長の宜寿次政江さん|生き抜く力 次世代へ継承

25歳で国立ハンセン病療養所「沖縄愛楽園」の証言集編集に携わった。聞き取り調査をしているとき、一人のおじいちゃんに「今さら何を聞きに来た」と大声で問われた。その時から、私に何ができるのか、答えを探し続けています。隔離政策の中を生き抜いた方たちの人生や思いを伝えていくこと。それが私にできる一つの役目だと思っています。

感じたことを自由に表現

HIV人権ネットワーク沖縄
副理事長
宜寿次政江 
さん

ハンセン病体験者から学ぶ 多様な思い受け止め、発信

治ることのない恐ろしい伝染病とみなされ、法律によって患者が強制的に療養所へ隔離されたハンセン病。実は感染力が弱く、自然治癒することもある。特効薬が開発された後も、1996年まで隔離政策は続けられた。隔離政策に対しては2001年、熊本地裁で違憲の判決が出ている。

「ハンセン病をめぐる問題は恐ろしい人権侵害として、当時ムーブメントになっていました」。大学で法律を学んだ宜寿次さんは02年、恩師に誘われて、愛楽園自治会が始めた入所者への聞き取り調査に市民ボランティアとして参加した。「目の前の入所者から聞く話はステレオタイプではなく、自分の理解を超えていた」。

家族から引き離されたり、断種手術をさせられたり、つらい、悲しい思いが語られる一方で、仲間が一緒だったから、療養所があってよかったと、違った捉え方をしている入所者も。「人の感じ方は複雑で、多面的。どれもその方の人生体験から出てきた言葉なのですが、私に器がなく、受け止めることができなかった」

証言を書籍化する編集作業を仕事として担ってほしいと声がかかったが、断って法律事務所に勤めた。そこでうまくいかず、結局、依願して編集作業をすることに。「一度逃げ出したからこそ、弱さや卑怯さをおもしろいと感じるようになり、いろいろな考えや思いを受け止める素地ができました」

自治会職員として常駐し、入所者のさまざまな話を聞いた。電車を乗り継ぎ、国内の療養所を点々とした入所者の話に「隔離政策の中でも自分で生きる場所を探し、たくましく生き抜いてきた人がいる。思うように生きることができなかった人たちから、思うがままに生きてみてもいいんじゃないかと教えられた」。

背中を向けたままの入所者に、「いまさら何を聞きに来た」と問われ、無力さを感じたことも。「本当にその通りだと思った。そんな思いをしている人たちに対して、何もできないのに話を聞いていることが苦しかった」
 
泊まり込みで編集作業をしていたある夜、園内を歩いていて、ふと不安に襲われた。入所者は寝静まり、周りには誰もいない。「50年後、ここに生きた人たちのことを知っているのが私だけになっていたら、すごく恐ろしい。次の世代に引き継いでいかなければ」。抱いた思いをその場で携帯に録音し、心に刻みつけた。


子どものころから正義感にあふれ、悪いことを正したい性格。「ハンセン病体験者の方に出会わなかったら、人の思いの背景や、向き合っている事実にまで思いを巡らせることなく、白か黒かで物事を決めてしまう冷たい人間になっていたはず」と、振り返る。

中学2年生のときに見たテレビドラマをきっかけに弁護士に憧れ、法曹界を目指した時期もあった。証言集の編集に関わったことで「理論や正誤で人の行動や考えを判断するのではなく、一人一人が感じたことを自由に表現できる世界に身を置きたい」と考えるようになった。

現在は、HIV人権ネットワーク沖縄の副理事長を務める。「病気に対する差別、偏見、人権問題、ハンセン病と同じことがHIV・エイズでも起こっている」

力を入れているのが、演劇による人権啓発。HIVに感染した女子高生が、ハンセン病回復者と出会うことで、生きる勇気を得るきっかけを見つける人権劇「光りの扉を開けて」。役作りを手助けするアドバイザーとして、演者にハンセン病のことを伝え、当事者との交流や療養所訪問などをコーディネートする。

演者の中心は、小・中・高・大学生や20、30代の社会人。「愛楽園の人たちから託された『いまさら何ができるんだ』という大きな宿題を、一緒に背負ってくれる存在」と感じている。

生きづらさを抱えている子と接する機会も多い。「演じる経験や入所者との触れ合いを、自分の生きる力に変えている子がたくさんいる。入所者の体験が、私を含め、若い世代に大きな学びを与えていることを、入所者一人一人に届けたい」。新たな目標を見つけ、前進する。


沖縄の真相を知る「沖縄県ハンセン病証言集」

(宜寿次さん提供)

宜寿次さんが聞き取りや編集に携わった「沖縄県ハンセン病証言集 沖縄愛楽園編」は、2007年に発刊。70年以上療養所で暮らしてきた人、断種から逃げ回ったが、諦めて手術を受けた人、家族のことを思って今も名前を明かせない人など、隔離政策の中で生き抜いてきた人々の声が収められている。「資料編」「宮古島南静園編」もあり、県内の市町村立図書館、大学図書館などで見ることができる。

証言集の編集をきっかけに、編集の仕事に携わるようになった宜寿次さん。現在は字誌を中心に手掛ける。「『人はそれぞれまったく違うということを確認し、それを楽しめる世界に住みたい』と思っていることが、いま学んでいるコーチングを通して明確になった。本づくりはそのアプローチの一つ」と話す。


生きる勇気を「光りの扉を開けて」

HIV人権ネットワーク沖縄の比嘉正央理事長が、ハンセン病回復者の金城幸子さんに出会い、その生き方に感動して原案を作成した人権劇「光りの扉を開けて」。2004年に初上演されて以来、沖縄県内だけでなく各都道府県で上演されている。

「金城さんの代わりに、イベントでハンセン病のことを話すことになったのが、この演劇に携わるきっかけ」と宜寿次さん。2019年度は広島県のほか、愛媛県、鹿児島県での公演を予定。12月22日(日)には那覇市の首里公民館で無料上演する。現在、首里公民館で稽古を行っていて、出演者やサポートボランティアも募集中だ。

HIV人権ネットワーク沖縄 http://www.hiv-net.com/


宜寿次さんのハッピーの種

Q.趣味や楽しみは?
プロレス観戦です。新日本プロレスの、オカダカズチカ推しです。あとは寝ること。三年寝太郎に憧れています。




プロフィル
ぎすじ・まさえ

1977年、沖縄市出身。琉球大学を卒業後、沖縄県ハンセン病証言集の編集に携わる。2008年からHIV人権ネットワーク沖縄で、人権の啓発活動などを展開。13年から副理事長。仕事では字誌を中心に、書籍の編集なども手掛ける。

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撮影/比嘉秀明 文/比嘉千賀子(ライター)
『週刊ほ〜むぷらざ』彩職賢美<1345>
第1679号 2019年10月3日掲載

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この記事のキュレーター

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比嘉千賀子

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編集者
住まいと暮らしの情報紙「タイムス住宅新聞」元担当記者。猫好き、ロック好きな1児の母。「住まいから笑顔とHAPPYを広げたい!」主婦&母親としての視点を大切にしながら、沖縄での快適な住まいづくり、楽しい暮らしをサポートする情報を取材・発信しています。

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