彩職賢美
2017年12月21日更新
[彩職賢美]世界のブエノチキン合同会社代表の浅野ブエコ朝子さん|翔べ!チキン野郎
浅野ブエコ朝子さん(35)はコピーライターから転身して「世界のブエノチキン合同会社」の社長になった。ブエノはスペイン語で「良い」「素晴らしい」を意味する。浅野さんは「両親が県産やんばる若鶏を焼いて35年。ブエノチキンは世界一の丸焼きチキン。もっと多くの人に食べさせたい」と意欲を燃やす。1月には第2子が生まれる。
丸焼きチキンを多くの人に
世界のブエノチキン合同会社代表
浅野ブエコ朝子 さん
「ブエコ」は、アルゼンチンの人っぽく見せるためにつけたミドルネーム。いわば演出だ。ブエノチキンを営む両親の子、そして2代目だから、ブエコ。それほど、やんばる若鶏の丸焼きチキンにのめり込んでいる。「チキン野郎」の文字が躍るTシャツもコピーライターだった浅野さんならではの感性だ。
自営で食品販売をしていた父が母と一緒に店を開いたのが1982年。ちょうどその年に浅野さんも生まれた。ブエノチキンで大きくなったと言っても過言ではない。店の経営が苦しい時も、焼き場に立ち続けた2人の背中を見て育ったのだ。
店を継ごうと思ったのは6年前、クリスマスを前にした超多忙な時期だった。「もともと足が悪かった父がその足を悪くしてしまって。ことしの営業は厳しいなあという2人の会話が耳に入ったの」。その時の危機は、父は通院しながら、浅野さんは会社に休みをもらって手伝い、店は休まずオープンし乗り切った。そのとき、浅野さんは思った。「両親が人生の半分を費やして守り育てたブエノチキンの味を継ごう」と。忙しさが一段落したころに熱い胸の内を打ち明けた。両親は反対した。「給料はない」「会社員の方が安定している」。お決まりの反対理由は想定内。浅野さんの固い決意に両親はしぶしぶ了解した。
テークアウト専門だった店の隣にイートインを併設する際にも両親に猛反対された。浅野さんは納得してもらうためにプレゼンテーションを行うことにした。仕向けたのは5歳年下ながら尊敬する夫の太輝さんだった。すべて手書きでB5用紙16枚に「なぜイートインが必要なのか」の説明を論理的に展開した。
一代で終わるのはもったいないと思った。情報の発信さえしっかりやれば、もっと事業展開できるはずだ。8年ほど前からネットショップを担当している浅野さんには確信があった。フェイスブックやツイッターなど会員制交流サイト(SNS)が流行する以前からインターネットの発信力には着目していた。根底には、商品に対する絶対の自信。「一度食べてもらいさえすれば」。浅野さんの挑戦は実を結びつつある。ツイッターで「ブエノ」とつぶやいても反応はゼロだったのが、今はつぶやく人がすごく増えたという。SNSで知って来店する人は増えると見越している。
法人化はことし1月に果たした。経営する塾を法人化した夫の助言が大きかった。夫との出会いは、店の隣にあった洋服屋だった。夫は塾の講師をしながら日曜日だけ洋服屋でアルバイト。その洋服屋は現在、ブエノチキンのイートインスペースになっている。この12月に拡大改装オープンした。観光客が来てもその場で食べられるスペースが広がった。
制作した店のホームページが、カラーミーショップ大賞の「デザイン大賞」(上囲み参照)を受賞したのも2代目の功績だ。創業35周年と法人化を祝ってボーナスも出した。
従業員は今、従兄が焼き場を任せられるようになり、従姉2人が仕込み担当を担う。父母の力はまだまだ必要だが、浅野さんは経理と広報、外交、ネットショップなどを担い、体制は整いつつある。「父母は70代。急激な変化は嫌う。これからも2人に納得してもらいながら事業を進める」。社名に込めた「世界」への挑戦は続く。
おことわり
クリスマス用予約受け付けは終了しました。
手書き資料で両親にプレゼン
イートインスペースをオープンする計画に反対する両親、特に猛反対の母に納得してもらうために使った手書きの資料=写真。
運転資金は自分の預金を使い、なくなったらやめる。売り上げ計画も実現可能性のある数値目標を掲げて説明。両親はしぶしぶ納得したというが、2代目就任後も事あるたびにけんかが絶えないという。それでもけんか別れしないのは「家族の絆」があるから。
6万店舗から1店が受賞
ネットショップのサービスを提供する会社「カラーミーショップ」が主催するコンテスト。全国のネットショップの中から最も優れたショップを表彰する。売り上げや運営年数だけでなく六つの審査基準で各賞を決定する。
ブエノチキン浦添は、同コンテストが初めて開催された2014年に、6万店舗の中から1ショップだけが選ばれる「デザイン大賞」を受賞した。
東京であった受賞式には浅野さんが「チキン野郎」のTシャツを着て出席した=写真。
クリエイター団体の会長も
浅野さん=前列左から2人目=が会長を務めたこともある、ocy(オキー、Okinawa Creators Yui)は、沖縄のクリエイター同士の交流とクリエイティブワークの向上を目指して集まった団体。浅野さんは創設時からのメンバーだ。
浅野さんのハッピーの種
Q.幸せと思うときは?
2歳の娘を抱きしめながら、旦那さまと「幸せだねぇ」と言い合っている時ですね。
あとは、お店でお客さまが「本当においしい」とチキンを褒めてくださる時です。自分自身が後継ぎになって良かったと思えることはもちろんですが、店を続けてきた父母の苦労も報われると感じるからです。
それから店舗前で挙げた結婚式は最高の思い出です。沖縄タイムス紙にも載りました。
PROFILE
あさの・ブエコ・あさこ
1982年那覇市出身。沖縄尚学中学、高校を卒業後、立教大学(東京都)へ。卒業後、沖縄に戻り広告代理店へ入社。コピーライターとして8年間勤め、社外では広告クリエイターの交流団体ocyの運営に携わり、会長も務めた。2012年、30歳で退社。両親の営む「ブエノチキン浦添」2代目となる。店のHPが14年、カラーミーショップ大賞「デザイン大賞」を受賞。17年に店を法人化。「世界のブエノチキン合同会社」代表となる。
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撮影/比嘉秀明・編集/上間昭一
『週刊ほーむぷらざ』彩職賢美<1282>
第1588号 2017年12月21日掲載