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2012年3月8日更新
海を「撮る」こと「新たな表現に向かって」
海んちゅ写真家 古谷千佳子のフォトエッセー「潮だまり」vol.12
海を「撮る」こと
新たな表現に向かって
子供のころは、目の前の光景を「カシャッ」と、写真を撮るかのように目の奥に焼き付けて、後から自由に引っ張り出すことができた。体験が伴えば、記憶としてとどめられると信じてきたのだが、いつしかそれが出来なくなっている。
先日、元海人(うみんちゅ)の山城久雄さん(68)の口から、こんな言葉が出てきた。
「頭に写してあるから…」
素潜り漁、1本釣り、マグロ船と、およそ50年にわたる海人時代の記憶を今でも鮮明に覚えていて、それを鉛筆で描き続けている。その正確で力強い描写が、とにかく凄い。1本1本の細やかな線と濃淡で表現する波。うねり、さざなみ、潮目…。私が皮膚で感じてきた海の様子が、表情を伴ってリアルに描かれている。
沖縄に数多くある伝統漁法の中で、私が好きなのは素潜り漁。その中でも海人の目線が明確に見える電灯潜り(夜の海中に電灯を持ち込み、潜って漁をすること)の面白さは計り知れない。
昼間、海人の横を泳ぎ続けても、実際に海人が何処を見ているのか分かりにくい。海人は魚を見つけても、反対方向を向きながら近づいたりするので、獲物が突かれる寸前まで気が付かないことも多々あった。電灯潜りでは、明かりの照らす所=海人の見ている所、と分かりやすいところが良い。ただ、電灯で照らされる世界のみが私の目に映るように、写真に写るのは光があたっているところだけ。
けれども山城さんの鉛筆画は、暗い海中に見たもの全てを描写できる。また、写真は一瞬の時間を切り取るが、絵は時間を重ねて描くことも出来る。時と枚数を重ねることで、成立する写真の世界と、時に縦横無尽に描かれる絵画。
平成の時代に海人を撮り続け、素朴な素潜り漁を追いかけたら"オジィ海人"にたどり着いた。今、彼らの若き時代をリアルに描いた世界と出会い、海人達と潜ってきた様々な海の記憶が、するするする〜っと蘇ってきた。追いかけ、撮り続けた海人写真家も、母となり、沖縄で学ぶ「調和」の精神へと成長の時。素晴らしきご縁で、新たな表現イタシマスしますよ〜!
[文・写真]
古谷千佳子(ふるや・ちかこ)
那覇市在住。海の仕事に従事、スタジオで写真を学んだ後、海人写真家となる。海・自然と調和する人々の暮らしや伝統漁業を主に撮影する。TBS「情熱大陸」などに出演。著書に 写真集「たからのうみの、たからもの」、「脳を学ぶ2」(共著)ほか
http://www.chikakofuruya.com/
古谷千佳子のフォトエッセー『潮だまり』
週刊ほーむぷらざ 第1289号・2012年3月8日に掲載