彩職賢美
2022年12月8日更新
[沖縄・輝く女性を紹介]彩職賢美|NPO法人沖縄福祉教育研究会会長 比嘉信子さん|「どんな人にも価値がある」
[ 12月3日〜9日は障害者週間]
小学6年生の時に眼病になり、目が見えなくなりました。五体満足で元気でありたい、そう思っている人がほとんどでしょうね。私自身、目が見えない自分を受け入れるまでに13年かかりました。さまざまな人に出会い、経験を重ねた今、「どんな人にも価値がある」と実感。学校での授業や講演、当事者の相談業務を通して伝えています。
撮影/桑村ヒロシ
障がい者への理解広げたい
NPO法人沖縄福祉教育研究会会長
比嘉信子さん
子どもたちへ授業、講演
当事者の自立をサポート
比嘉信子さん(65)の自宅にお邪魔すると、「どうぞ」とお茶を出してくれた。比嘉さんは、料理や洗濯、掃除などの家事からメークまで、すべて自分でする。
「盲学校で先輩に鍛えられました。浴室の掃除は、壁までぴかぴかに磨き上げないとしかられる。目が見えないのに分かるの? って思うでしょ。手で触るとね、ホコリや汚れがよく分かるんです」と笑う。
障がいについての授業や講演、そのコーディネート、当事者からの相談業務など、さまざまな活動をしている比嘉さん。背筋はシャンと伸び、声も表情も明るい。
石垣島育ち。木や石垣に登るのが好きなおてんばな少女が視力を失ったのは、突然のことだ。小学6年生の夏休み明け、針に糸を通そうとしたが針の穴が見えない。翌日、眼科で「網膜色素変性症という難病で、半年で目が見えなくなる」と診断された。日に日に視力は落ち、卒業式には人に手を引かれないと歩けなくなっていた。
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卒業後、本島の盲学校へ入学。そこで一人でバスに乗り、市内の病院へ行く歩行訓練があった。一歩先に何があるか分からず、転び、下水にはまり、体中傷だらけに。追い打ちをかけたのが、周囲の冷たい反応だ。バスの行き先を聞くも無視され、往復に8時間かかった。「『こんなにみじめな思いをするなら』と夜中、屋上の手すりから飛び降りようとしたんです。その瞬間、父母の顔が頭をよぎり、踏みとどまりました」
その後も「なぜ自分が…」という思いは、消えなかった。「障がいを感じないほど、何でもできれば幸せになれるのか」と勉強に打ち込み、盲学校を卒業後、夢だった電話交換手に。全国障害者技能競技大会の電話交換手部門で全国1位になった。直後は称賛を浴びたが半年もたつと忘れられ、むなしくなった。さらに、26歳で婚約が破談に。「女性としての幸せも消えた」
どん底だった比嘉さんを救ったのは、「試練に耐えるものは幸いである…」という聖書の一節だ。「試練を乗り越えて神様とつながった時、幸せになれる」と感じ、価値観が180度変わった。「人には超えられないことがある。障がいや能力に関係なく、すべての人に価値がある」
「実体験としても実感しています」と比嘉さん。脳性まひで言語障がいがある友人がいる。「彼女が『私に障がいがあってよかった』と言ったんです。どうして? と聞くと、『必要最低限のことを言うのもやっとだから、人の悪口、陰口を言わなくてもいい』って。心がすごいですよね」
25歳、初めて小学校で障がいについて講演した。「これからは障がい者を助けたい」「医師になりたい」。子どもたちの素直な感想がうれしく、仕事の傍ら講演を続けた。依頼は年200件を超え、異なる障がいがある仲間を募って沖縄福祉教育研究会を設立した。39歳で結婚したのを機に退職し、講演活動に軸を移す。現在は、シオン治療院で鍼灸(しんきゅう)師をしながら、専門学校で障がい者福祉を教え、当事者の相談に乗るピアサポーターとしても活動している。
原動力は「人の役に立つことがうれしい」という思いだ。「頼まれたことを引き受けてきただけ。困難はあっても、どうにかなると思ってきたし実際そうだった。やってみたら思った以上に大変で、やっちゃった、と思うこともあるけれど」と笑う。
当事者から、「仕事についた」「結婚して子どもができた」と聞くのが喜びだ。初めての講演から25年後、感想をくれた子が医師になったことを知った。活動は花を咲かせ、実を結んでいる。
久米島の石垣に感動
「何でもしたい。知りたい」と好奇心旺盛な比嘉さん。国内だけでなく、モンゴルやイスラエル、イタリア、中国、韓国など、たくさんの国を旅行してきた。「テレビの旅行番組は見れないけれど、実際に行って歩き、匂いをかぎ、食事すると体感できる」と話す。
中でも印象に残っているのが、30代で訪れた久米島の上江洲家だ=写真。
「「ふぞろいの石が積まれた石垣が『350年立っている』というガイドさんの話を聞いて、驚きました。障がい者、健常者、弱者、強者の差別なく、互いを認め合う社会こそ強いのではないだろうか、と。人は口があるので悪口も言う。口がない石は、互いに文句を言わずに仲良く立っている。物言わぬ石に比べて、人間はどうだろう、と考えました」
(上江洲家の写真は、久米島町観光協会提供)
支えてくれた両親へ感謝
比嘉さんを支え続けたのは、両親だ。「両親は、実母の兄夫婦。実の親ではないけれど、大切に育ててくれました」と比嘉さん。
今も忘れられない一言がある。「目が見えなくなった時、父は声をあげて泣き、『これからつらいこともあるかもしれないけれど、どんな時も信子を守るし一緒に闘う』と言ってくれた。その言葉を聞いた時に、不安な気持ちが消えました」
差別の激しかった時代、「めくらに教育を受けさせるなんて」と周囲に笑われる中、両親は比嘉さんを本島の盲学校へ通わせて、毎月仕送りを続けた。「自立させたいとサポートしてくれた。盲学校で学んだことは、私の大きな財産です」
両親は比嘉さん以外に、実子でない子ども5人(4人は短期)を育てた。「以前から感謝していたけれど、両親が亡くなった後、本当にすごい人たちだったと尊敬の念が強くなった」。思いを形に残そうと、家族の思い出を本にし、昨年、自費出版した=写真。
比嘉さんのハッピーの種
Q 趣味は何ですか。
A 読書です。パソコンの音声図書館がお気に入り。発売されたばかりの本も、パソコンさえ開けばすぐに読めるので便利です。私は、時代小説や現代小説、障がい者関係の本などを読んでいます。
また、視覚障がい者のサイトで知り合った、全国に住む友人たちとのやりとりも楽しい。メールは音声で流れてきて、パソコンで入力して返信します。
プロフィル/ひが・のぶこ 1957年、竹富町黒島に生まれる。生後10カ月で実母の兄夫婦に引き取られた。62年石垣島へ。69年眼病のため失明し、本島の沖縄盲学校へ入学。77年に沖縄盲学校を卒業し沖縄コロニーセンターに入所。79年アビリンピック(全国障害者技能競技大会)電話交換手の部で金賞、労働大臣賞受賞。92年にNPO法人沖縄福祉教育研究会を設立。96年に結婚。現在、シオン治療院で鍼灸師をしながら専門学校で障がい者福祉を教え、ピアサポーターとして当事者の相談に乗っている。
■問い合わせ先/NPO法人沖縄福祉教育研究会
電話=090・6856・4692(比嘉)
[今までの彩職賢美 一覧]
文・栄野川里奈子
撮影/桑村ヒロシ
『週刊ほ〜むぷらざ』彩職賢美<1414>
第1844号 2022年12月8掲載