コーヒーフェスティバル特集の編集後記|fun okinawa~ほーむぷらざ~

沖縄で暮らす・食べる
遊ぶ・キレイになる。
fun okinawa 〜ほーむぷらざ〜

沖縄の魅力|スマイリー矯正歯科

COLUMN

ぎだちゃん

2016年9月28日更新

コーヒーフェスティバル特集の編集後記

現在、funokinawaのサイト内で公開中の「コーヒーフェスティバル」。取材を終えた後に、ふと振り返ってみた。


編集後記

僕は、今回の取材をさせていただくまで、沖縄のコーヒーシーンに大変うとい存在だった。
コーヒーもコンビニコーヒーや「ス●ーバッ●ス」で飲むことが多かった。コーヒーそのものを味わうというよりもミルク感のあるカフェオレやカプチーノが好きだったし、ミルク感があるものを飲みたいときに飲むのが、僕の中でのコーヒーへの感覚だった。

でも興味が無かったわけではない。挽きたての豆の香りや、入れたての香りは大好きで、むしろ興味はあった。
実家では豆を挽くミルがあって、母や姉がコーヒーをいれるときには、豆を挽き、プクプク膨らむ粉を見ながら、「いい匂いがする~!!」と騒いでいたくらいだから。

一人暮らしをはじめて、コーヒーを自分でいれることはないまま。
カフェに行って飲むことはしても、コーヒー専門店と言われるところにはなんとなく敷居の高さを感じていたし、もしかしたら詳しくないことに何か引け目を感じていたのかもしれない。自分が好きな味を探求することをサボっていた、とも言えるかな。

 

ピンときていなかったのに、飲んだら衝撃!?

だから、正直に、恥ずかしいけれど、スペシャルティコーヒーの「スペシャルティ」が何を意味するのか、言葉だけではピンと来ていなかった。

取材の合間に、飲ませてもらった1杯1杯のスペシャルティコーヒー。
自分の中にあったコーヒーという飲み物の概念が一変しちゃったんですねー。
わーお!

こんなに豊かな香りがするの?! 
パッションフルーツみたいな酸味とフルーティーな香り!? 
甘栗ののような懐かしい香ばしさ! 
はぁ~~、、ライムが合うエスプレッソって。。。

一言では言えないけれど、自分の味覚に無い飲み物と出会って、衝撃を受けた。これがスペシャルティコーヒーなんだ!と、その単語の意味を身をもって体感した。

 

クールな情熱に触発されて

ものすごい短期間に、県内でも抜きんでた焙煎(ばいせん)士の方々にお会いする貴重な機会に恵まれた今回。
その中でお一人お一人の考え方、何に重きを置いているのか、どんな状況の中でコーヒーに出会って突き詰めていったのかなど、コーヒーを通した人生ストーリーを聞くにつれ、確実に引き込まれた。その「情熱」は、熱い部分と、クールな部分が両方あって、消えない炎のように燃えていた。

沖縄にこれだけの情熱を持って向き合っている人がいるということが、喜びでもあり、そもそも僕にとって、大きな意味を持つ出会いになった。感性の感度をにぶらせてはいけない、と。あきらめないでいいものを発信し続けていきたいと、再出発の思いです。

 

編集後記 × 後日談

長くなってごめんなさい。
あと一つ。

この取材からしばらくして、松本料理学院でレシピの取材をさせていただいたときに、松本嘉代子先生とコーヒーの話になりました。

すると、先生から「...私の兄がよく話していたものですよ。母は家で、とても濃いコーヒーを入れてくれたんだって。母はフィリピンに移民にいっていたので、あちらで飲んでいたんでしょうね...」と。

そのときに、点が線になったことが出てきたんです。
それは、、、

 

YAMADA COFFEE と セラードコーヒーの取材から

それはコーヒーフェスティバルの取材で、YAMADA COFFEEにうかがったときのこと。

東京でコーヒーの修行をしていた山田さんが沖縄に戻り感じた話を聞いていたら、
「沖縄のコーヒーの消費は統計的にも全国で真ん中より上の消費量。とくに年配の方がしっかり飲んでいる。うちにも普通の家の人が豆を買いに来るんですよ」 
と。
アメリカ文化の影響がこんなところにもあるんですかね~と、僕の中でなんとなくやり過ごしてしまったが、松本先生と話した後に振り返り、年齢の高い方たちのコーヒー消費の高さは、沖縄の人が移民に出たことが大きく影響しているんじゃないかなと思った。


そう思ったもう一つの理由がある。
これはセラードコーヒーの末吉さんの取材をしているときに、28年も前に自家焙煎を始めたきっかけについて聞いた。そこにも「移民」がキーワードになっていた。

当時、ブラジルに移民として行った末吉さんの伯父さんが、現地ブラジルでコーヒー農園の開園に出資した。その後「自家焙煎したコーヒーが日本でもうけるようになるから」と、着物屋さんをしていた末吉さんのお父さんにすすめたことだった。

伯父さんが移民にいかなければ、セラードコーヒーはなかったかもしれないんだな~...。

 

コーヒーをから見える、沖縄の歴史?!
沖縄のコーヒーヒストリー × 移民

ハワイ、ペルー、アルゼンチン、ブラジル、ボリビアなど各地に渡ったウチナーンチュ。新旧はあるものの、みんなコーヒーを生産している国で、日本人がコーヒーを飲むようになる以前から、慣れ親しんだ飲み物として身近にあったと思われる。

世界のウチナーンチュ大会が開催される今年。
こうして、僕とコーヒーとに縁が生まれ、その移民の歴史に、沖縄の中に根付いているコーヒーというものが、なんとなくかかわっているようだと感じたことも、また面白い(ぜひ証明したいけれども、、、)。
「10人集まれば、だれか一人は身内に移民がいる」といわれるほど、海外への移民が身近なことである沖縄に思いをはせてみた。しかし、そのままいくととんでもない広がりを見せそうなので、今回はここでストップ!!!笑

 

何はともあれ、コーヒーフェスティバルへ

ぜひ、
10月2日(日)は宜野座村文化センターがらまんホールで開かれる「コーヒーフェスティバル」へ足を運んでみてくださいね!

詳しくは、「特集 okinawa COFFEE festival in Garaman Hall」
 

ぎだちゃん

タグから記事を探す

この記事のキュレーター

スタッフ
ぎだちゃん

これまでに書いた記事:107

プランナー(企画・編集)
「自由に生きたい」。そのためには健康や豊かさについての情報を知ることから始まると思っています。だからこそこのサイトでの情報発信して、お伝えしていきたいと思っています。アメリカ南部をこよなく愛し、ゴスペルを歌うお弁当男子。あ、基本はハチャメチャな感じです。

TOPへ戻る