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新城和博

2023年10月11日更新

透明人間、那覇大綱挽を見る~2023年10月、4年ぶりの通常開催|新城和博さんのコラム

ごく私的な歳時記Vol.110|首里に引っ越して20年。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、これまでの概ね30年を振り返りながら、季節の出来事や県産本の話題をつづります。

秋の風は、那覇の旗頭が呼び寄せるようだ。ビルの谷間に薄く広がる水色の空に切れ切れの白雲、威風堂々、または鮮やかな色合いで跳ねて揺れるとぅーる(旗頭の飾り)の美しさ。日差しの強さは夏の名残で、ビルの影に入れば涼風も感じるような一日。



今年こそはと、4年ぶりの通常開催となった那覇大綱挽。2019年10月は大綱が切れて、その後、首里城の火災があり、年明けて世界的なコロナウイルスのパンデミックで、2年間の中止。2022年10月は、那覇大綱挽は行われたが、申込制で開催した綱挽は、勝負の前に綱が切れるという予期せぬ災いがあった。
今年の那覇大綱挽は、10月8日だった。10月10日という那覇10・10空襲から戦後平和を願い復活した那覇の象徴としての大綱挽は、この十数年間で意味合いを変えたかもれない。でもギネス記録がなんちゃらとか観光資源がふにゃららとか気にしないで、秋の気配を感じながら那覇の町まち、村むらの旗頭の道行きを眺めゆく人びとの心地よさは、いまもなお健在だった。確かにぼくたちは変わった。国際通りも新しいビルが立ち並びはじめ、飛び交う言葉もうちなーぐちややまとぅぐちだけでなく、英語、華語、耳をそばだてればインドネシア語、ミャンマー語などいろいろだ。



午前中のおつとめをして(毎週日曜日は家の中をくまなく掃除するのがうちの習わし)お昼前に首里からバスで降りてきたけれど、壺屋小学校からはすでに東・西の旗頭はすべて出発していた。あわてて、安里から久茂地の方向へ、足早に行列を追い越して、なんとか東方のすねーいの最後の方と、西方の一番旗から全部見ることができた。やはりモノレールで県庁前駅で降りて行列を待っていればよかったかしら。いつもならだいたいここらあたりで、知り合いの1人や2人、数十人と出会ったりするけれど、不思議なことに今年は誰にも声をかけられなかった。群衆のなかでぽつんと一人で綱を見るのもいいだろう。そんなたたずまいの人もじつはたくさんいるのだ。何にも属さず、やることもなく、ただ見るだけの那覇市民としての自分は、街をうろうろ、おろおろしている透明人間のようだ。



久々の綱挽の勝負は、結局最後まで見てしまった。鎖骨骨折の身ゆえ、恐ろしくてあの群衆の中で綱を挽くことはできやしないが、4年ぶりの歓声を見逃すわけにはいかなかつた。カヌチ棒を入れ、勝負の準備が整い、東西の支度が両端から綱の上をゆるりと中央で相対するまでの時間、ぼくはあちらこちら移動しつつ、綱と人びとのたたずまいを見ていた。いや五感で味わっていた。
勝負は、制限時間の30分、残り1分というところで、いきなり決まった。あと2分、あと1分です、という会場アナウンスに、東の先頭で大綱の上に立ち、ハーイヤ、ハーイヤのかけ声と両腕をひらひらと舞うように、綱挽くリズムを取っていた東の実行委員長(みたいな感じのおじさん)が、てぃー(空手)の両手突きのように最後の力をふりしぼって、連打した。その途端、29分間どちらにも動かなかった綱が、地鳴りのような歓声、響きとともにズズッと動き出した。まるで大綱が生命を宿したかのような躍動。ハーイヤのおじさんは、綱の動きに耐えきれず、そのまま綱の上にあおむけに倒れた。おじさんの両腕はそのまま天に向かって突き出して、その動きは、もうすでに歓喜の踊りのようだった。きっとあの秋晴れの空の青が目に飛び込んできたことだろう。東の実行委員長(推定)のその姿を見られただけで、今年の那覇大綱挽の記憶は、ぼくのなかで十分だった。



 

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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。

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