新城和博
2025年8月19日更新
八月がくるたびに、想像すること|新城和博さんのコラム
ごく私的な歳時記Vol.128|首里に引っ越して30年ほど。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、季節の出来事や街で出会った興味深い話題をつづります。
八月くるたびに、戦争のことを考えてるわけではないけれど、戦後80年といわれると、やっぱりいろいろ思うことはある。
戦争の気配を、こんなに生々しく感じるようになるとは思わなかった。
世界のあちこちで、まさしく僕の世代が祖母や母たちから聞いたイクサがいまも続いているということとか、わたしたちの島じまで「疎開計画」が立てられていることとか、80年前と重なることが多いと感じてしまう。
僕の記憶ではないけけれど、知らず知らずのうちに肝の隅々に染みこんでいたイクサ世の体験を、いまとても生々しく感じる。
もう少し、あと少し。時間は止まらないが、当たり前のように迎える明日が穏やかであるようにと祈る―としか言いようがないが―ようになるとは、ね。
100歳になる叔母は、特攻機が米軍の船めがけて突っ込んでいく様子を島の海岸から見たという。最近になって聞いた話だ。
「ヒュルヒュルヒュルヒュルーと、悲しい音していたよー。あんなしなければいいのにねー、と思いよったさ」
「悲しい音がした」と叔母は、昨日聞いたように語った。
昨日? 80年前だ。
でも歴史的に俯瞰(ふかん)してみたら、つい最近の現代史なのかもしれない。
僕は想像した。悲しい音ってどんな音だろうと。
昨日も僕の住んでいる首里の上空で軍用機の音がした。
あんな至近距離で夜、さまざまなことをお構いなしに爆音を響かせるのは、軍用機以外にない。
でも、そんな音ではないだろう。その音には悲しみは感じない。
沖縄戦を体験していないわたしたちだとしても、世界のあちらこちらでずっと紛争が続いていることは知っている。
同じ時代に戦争はいまも行われている。これは想像ではなく事実を確認することだ。
ネットの向こう側から届くさまざまな映像。そこにいいようのない悲しみが響いているとを想像する。その瞬間この世界から消えてしまう人びとがいるということを。
80年前の戦中を知ることが、現在を想像することであり、そして悲しい響きのない未来を創造することであってほしい。
戦後80年の夏は、沖縄でも、まだもうすこし続く。
戦争の気配を、こんなに生々しく感じるようになるとは思わなかった。
世界のあちこちで、まさしく僕の世代が祖母や母たちから聞いたイクサがいまも続いているということとか、わたしたちの島じまで「疎開計画」が立てられていることとか、80年前と重なることが多いと感じてしまう。
僕の記憶ではないけけれど、知らず知らずのうちに肝の隅々に染みこんでいたイクサ世の体験を、いまとても生々しく感じる。
もう少し、あと少し。時間は止まらないが、当たり前のように迎える明日が穏やかであるようにと祈る―としか言いようがないが―ようになるとは、ね。

100歳になる叔母は、特攻機が米軍の船めがけて突っ込んでいく様子を島の海岸から見たという。最近になって聞いた話だ。
「ヒュルヒュルヒュルヒュルーと、悲しい音していたよー。あんなしなければいいのにねー、と思いよったさ」
「悲しい音がした」と叔母は、昨日聞いたように語った。
昨日? 80年前だ。
でも歴史的に俯瞰(ふかん)してみたら、つい最近の現代史なのかもしれない。
僕は想像した。悲しい音ってどんな音だろうと。
昨日も僕の住んでいる首里の上空で軍用機の音がした。
あんな至近距離で夜、さまざまなことをお構いなしに爆音を響かせるのは、軍用機以外にない。
でも、そんな音ではないだろう。その音には悲しみは感じない。

沖縄戦を体験していないわたしたちだとしても、世界のあちらこちらでずっと紛争が続いていることは知っている。
同じ時代に戦争はいまも行われている。これは想像ではなく事実を確認することだ。
ネットの向こう側から届くさまざまな映像。そこにいいようのない悲しみが響いているとを想像する。その瞬間この世界から消えてしまう人びとがいるということを。

80年前の戦中を知ることが、現在を想像することであり、そして悲しい響きのない未来を創造することであってほしい。
戦後80年の夏は、沖縄でも、まだもうすこし続く。
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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。