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2025年9月25日更新
[沖縄スポット]首里望む城郭 水豊かな城下|読谷村座喜味|シマ散策(拡大版)⑦
読谷村のほぼ中央に位置する座喜味は村内でも古い集落で、かつては読谷山間切(読谷村の旧名。間切は現在の市町村に相当)の中心的な村(現在の字)だったそう。15世紀に護佐丸が築城した座喜味城で知られ、集落内には湧き水が点在する水の豊かな地です。読谷村教育委員会文化振興課の担当者に座喜味城跡をはじめ、集落内の井泉などを案内してもらいました。
集落は座喜味城を頂きとする丘陵の南斜面に広がっていて、西にあるカー(井泉)を起点にぐるりと川が囲んでいる。読谷村教育委員会文化振興課の松田香怜さんは「赤土の丘陵に建つ座喜味城は、築城の名人として名高い護佐丸によって、軟弱な地盤でも丈夫な造りにするため工夫が施されています。集落内には小川や暗渠(あんきょ)が流れ、点在するカーは地域の人たちに大事にされてきました」と話す。

深緑にたたずむ井泉

ウェンダカリガー
ガジュマルの大木の根元にあるウェンダカリガー。正月の若水くみや、病気になった時などに行う「水撫で」に使われた。集落の北西側にすむウェンダカリの人たちが主に利用したのが名前の由来
川 の起点である井泉「ジョーガー」は、上流にあることから「上ガー」とも、座喜味城で利用していたので「城ガー」と呼ばれたとも言われている。隣には昭和初期の干ばつ時に造られた「ミージョーガー」がある。松田さんは「隣り合う二つのカーの水の味は違っています。ジョーガーは古くから飲料水として利用され、その水で入れたお茶は格別の味だったそうです」と話す。

ジョーガー・ミージョーガー
奥がジョーガー。古くから飲料水として用いられ、その水で入れたお茶は格別の味だったという。手前はミージョーガー。「ミー」は「新しい」の意で、昭和初期の干ばつの際に新たに造られた。ジョーガーとは水質が異なり、炊事や洗濯に用いられたという
ガジュマルの大木の根元にあるウェンダカリガーは、集落の北西側に住む人たちが主に利用したカーだ。正月の若水(ワカミジ)をくむカーで、女性よりも男性がくむと縁起が良いとされたという。旧暦の9月は「水撫で(ミジナディー)」の行事で利用されている。「水撫でとは、村の井戸からくんできた水を指に浸して体につけて清めるまじないで、病気になった時などに行われました。行事ではカーを巡る際に水を額につけて無病息災を願います」

ティランカー
集落の西にあるティランカーは由来については不明だが、集落の南と南東に住む人たちによって、お茶や豆腐作りに利用された。旧暦9月の「水撫で」で拝まれている
集落を囲む川には古い橋がいくつか残っているが、橋が架かる以前は飛び石伝いに川を渡らなくてはいけなかったという。座喜味で最初に架けられた橋は、18世紀に上地親雲上(ペーチン)が造った東(あがり)ザーク橋と言われている。「上地親雲上は、凶作では米などを民百姓に貸し与えて飢えから救うなど数々の善行が伝わる人物。王府が編さんした歴史書『球陽』でも功績がたたえられ、座喜味では『ウシータンメー』と呼ばれ崇敬を寄せています」。集落の東にあるウッチンガーは、ウシータンメーが掟(ウッチ)の役職(現在の区長に相当)だった時に発見し、整備したカーで、それにちなんで「掟ンガー」と呼ばれる。

ウッチンガー
集落の東にあるウッチンガーは、18世紀初頭に東上地のウシータンメーが掟をしていたころ、田んぼの近くの岩間に発見した湧泉。川沿いにあり、せせらぎが風情を感じさせる。周囲は遊歩道が整備されている
前述のウェンダカリガーだけでなくジョーガーをはじめ集落内のカーは、旧暦1月の初御願や旧歴9月の水撫でなどの行事で拝まれている。また、かつては出産の際、産水として用いられた産(うぶ)ガーもある。
美しい曲線描く城壁

座 喜味城は1420年頃、読谷の領主だった護佐丸が築城した。護佐丸は座喜味の北東約4㌔、現在の恩納村にある山田城を居城としていたが、尚巴志による北山攻略(1416年)に参戦した後、地の利を考慮して座喜味城を築いたと言われる。松田さんは「伝承では与論島から人夫を徴用し、山田城の石を運んで建てたといわれています。城の近くには人夫の宿泊地や埋葬地があったと伝わる『ユンヌ(与論)ンドー』という地名が残っています」と説明する。
座喜味城は他のグスクと異なり、石灰岩ではなく名護層(赤土)の丘陵に建っている。「築城の名人として名高い護佐丸によって、赤土の軟弱な地盤でも丈夫な造りにするため、地中に基礎を掘り込み、城壁を厚くして曲線型にするなど工夫が施されています」。石積みは、四角形に加工した石を積み上げた「布積(ぬのづみ)」を主として、場所によって布積より崩れにくい「相方積(あいかたづみ)」や、自然の石を加工せずに積み上げた「野面積(のづらづみ)」が用いられていて、高い築城技術がうかがえる。

座喜味城のアーチ門は、沖縄に現存する最古のものとされる。アーチの上部にはくさび石がはめ込まれているが、これはほかのグスクには見られない特徴だという
城は標高120㍍余の丘陵にあり、城壁の上から遠く首里や本部半島、東シナ海が一望できる。また、城の近くには、外国から船が来たことを首里に伝えるのろしを上げた場所といわれる「シラシ御嶽」がある。

後に護佐丸は中城の領主になり、1440年には中城城に居城を移す。「座喜味城跡からは15~16世紀頃の中国製陶磁器や古銭などが出土していて、護佐丸が中城に移った後も何らかの目的で使われていたと考えられています」。また、19世紀に護佐丸の子孫の座喜味親方(うえーかた)盛普が慶賀使(将軍の代替わりを祝うために江戸へ派遣した使節)の任務を無事に果たして帰国した際、城内に灯籠を奉納している。
案内してくれたのは

読谷村教育委員会 文化振興課
松田 香怜さん
世界遺産座喜味城跡ユンタンザミュージアムに勤務。同館では、座喜味城跡をはじめ、読谷の文化財や自然、民俗、沖縄戦について展示している。
電話・098(958)3141
取材/池原拓 『週刊ほ〜むぷらざ』シマ散策
第1989号 2025年9月25日掲載