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2023年6月22日更新

[沖縄]6.23慰霊の日企画|県内の戦争遺跡は1000以上|身近な戦跡を歩いてみよう

6月23日は慰霊の日。県の調査によると、県内には1077カ所の戦争遺跡が確認されており、自宅の近くや学校、公園など私たちの身近な場所にも戦跡がある。沖縄平和ネットワーク事務局長の北上田源さんに身近な戦跡を巡ることの大切さを聞き、編集部が街に残る戦跡を歩いた。

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学びの鍵は具体性と関連性

沖縄平和ネットワーク事務局長の北上田源さんは、「身近な場所にある戦争遺跡を周知し、活用することが平和への思いを未来につなぐことにつながる。戦争を教えるときは具体性に加えて、学ぶ側が自身との関連性を意識できるように伝えることが重要」と話す。赤嶺初美(ライター)・比嘉知可乃


北上田源さん
きたうえだ・げん/1982年、京都府出身。沖縄平和ネットワーク事務局長。琉球大学教育学部社会科教育専修准教授。琉大生時代から平和ガイドに取り組み、平和学習について助言を行っている。白梅学徒隊の戦争体験を語り継ぐ活動を継承する若梅会のメンバーの一人。



 戦 争体験者の話は教科書にない具体性があり、戦争の実相を学ぶ重要な機会だった。しかし、沖縄戦の記憶を持つ人が年々減っている今、「それに代わるものとして、沖縄戦の記憶を現代に伝えるために戦争遺跡の活用がより大事になってくる」と、琉球大学教育学部准教授で沖縄平和ネットワーク事務局長の北上田源さん(41)は話す。


アジア・太平洋戦争で激しい地上戦が繰り広げられた沖縄には、南部だけでなく、中部、北部、離島にも、戦争の記憶を残す場所がいたるところにある。北上田さんは「身近にある戦跡を知り、足を運んでほしい」と呼び掛ける。

具体的に話し想像させる

平和教育についての指導や助言も行う北上田さんは、「戦争を教えるとき、具体性に加えて、学ぶ側が自身との関連性を意識できるかがとても重要」と説く。

琉球大学の敷地もかつては激戦地であり、戦後は米軍の演習場として使われていたことも。そのことを、沖縄戦を学ぶ入り口として学生に伝えている。「戦時中の部隊の動きについて、現在の学食から農学部の方に移ったなど具体的に示すと学生たちの驚きは大きく、反応が違う。毎日通っている大学や、歩く道も見え方が変わってくる。それは私自身も経験したこと。そうやって具体的にそれぞれの地域で起こったことを伝えることができれば、学ぶ側も沖縄戦の様子を想像しやすい。そしてその目を地域に向けて、しっかり学んでいくということが、平和教育においてすごく大切なんです」と力を込める。

市町村史などの活用を

沖縄県の調査によると、県内には1077カ所の戦跡が確認されている。しかし、その歴史を記す説明板や保全対策がない場所も多く、「地域住民でさえ、よく通っているのに気付いていない、知らなかったということは珍しくない。自分から意識的に動かないと情報はキャッチできない」と指摘。情報を得る方法として、市町村史の活用や、地域の博物館などで調べてみるよう提案する=左囲み。

「地域の戦跡について学ぶことは、地域の歴史に目を向けるということ。戦争体験者に直接話を聞くことができなくても、身近な地域で起きたことに着目することで具体的に沖縄戦を学ぶことができ、自分とのつながりを意識しやすいのではないか」

戦跡の保存が課題

「現代を生きる私たちは、身近な地域の沖縄戦をきちんと掘り起こし、住民や子どもたちにつなげていく役目がある。しかし、戦跡を保存する重要性が必ずしも共有されているわけではない。より多くの人に保存の重要性やその意義を知ってもらい、県全体として機運を高めていくことが必要だ」という。

戦跡は、私たちの日常生活のすぐそばに息づいている。沖縄で暮らす者として、慰霊の日だけでなく、いつでも足を運び、戦争と平和を学び考えたい。

北上田さんおすすめの書籍


沖縄の戦争遺跡
吉浜忍著
吉川弘文館発行


沖縄の戦跡ブック「ガマ」
沖縄県高教組教育資料センター「ガマ」編集委員会編
沖縄時事出版発行


沖縄が歩んだ道
新城俊昭監修
汐文社発行


 【身近な戦跡を調べる方法】 
1 市町村史の戦争記録編を読んでみる

沖縄では各市町村史が発行されており、沖縄戦の記録についてもまとめられているものが多い。中には字誌(史)が発行されている地域もあり、より詳細でよい資料となる。各市町村の図書館などで閲覧することができる。


2 地域の博物館に行ってみる

各地域の博物館にも、沖縄戦についての展示や、地域に残る戦跡に関する展示があるところが多い。職員などに、地域の戦跡がないかを聞いてみるのもいい。

また、沖縄県平和祈念資料館(糸満市)やひめゆり平和祈念資料館(糸満市)、対馬丸記念館(那覇市)などは沖縄戦に特化した展示資料があり、身近な地域の情報も含めて、住民の視点から沖縄戦を学ぶことができる。



 編集部が行ってみた身近な戦跡 
平敷屋製糖工場跡(うるま市)
弾痕残る大きな煙突

ホワイトビーチを見下ろす場所に位置する「平敷屋製糖工場跡」

うるま市勝連平敷屋の集落内に、れんが造りの大きな煙突がある。高さは約16.3㍍。1940年に、製糖業を営む地元の人たちが協力して作った共同製糖工場の跡だ。

那覇の十・十空襲以降は工場が操業できず、その後米軍の攻撃で破壊され、3基あった煙突のうち一番大きな煙突だけが残った。

注目したいのは、煙突の表面。沖縄戦当時の弾痕が多数残っており、平敷屋区長の西新屋光男さん(64)は「東側から攻撃を受けたため、煙突の裏側に弾痕が多いようだ」と説明してくれた。間近で見ると「この地で戦争があった」のだと感じさせられると同時に、後世に戦争を伝えるために残ったようにも思える。


煙突に残る弾痕からは銃弾も発見された

2015年には国の「登録記念物」に指定され、敷地内には説明板が設置されている。平和学習の一環として地元の小中学生にこの場所を案内している宮城松生さん(89)は、「戦争や平和について学べる貴重な場所。保存して残すことが大切」とその価値を考える。
「痛みを耐える無言の煙突-」。煙突の足元に置かれた板には宮城さんの言葉が書かれ、訪れる人に戦争の悲惨さを訴えている。
参考:うるま市ホームページ


敷地内の説明版


前田高地(浦添市)
日米両軍の激戦地

田高地の広場。眺めがよく、家族や友人と訪れるのもいい

沖縄戦で日米両軍による激しい戦闘が繰り広げられた、浦添城跡一帯の丘「前田高地」。米国映画「ハクソー・リッジ」で有名になったこともあり、観光客や修学旅行生も数多く訪れる。

駐車場から数分歩くと広がる広場は、眺望がよく、開放的。戦争が全く似合わない場所だ。浦添の街を見下ろし、近隣の保育園から聞こえる子どもの笑い声を耳にすると、平和な今がずっと続くよう願わずにはいられない。

思わず息を飲むのは「前田高地平和の碑」。草木が生い茂る中にあり、さきほどの広場とは打って変わってその場に身を置くと悲惨な戦争が頭に浮かぶ。

敷地内に設置されている複数の説明版は戦争について知識を深めるのに役立つ。駐車場やトイレが整備されているので、家族で気軽に足を運び、平和について話す機会にしてみては。
参考:浦添市ホームページ
 

文/赤嶺初美(ライター)・比嘉知可乃
『週刊ほ〜むぷらざ』6.23慰霊の日企画

第1872号 2022年6月22日掲載

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