彩職賢美
2022年8月25日更新
[沖縄・輝く女性を紹介]彩職賢美|琉球古典音楽野村流保存会師範 比嘉いづみさん|古典音楽の魅力 世界に伝えたい
横浜生まれの私にとって、古典の歌三線は3人の育児に追われる日々の支えでした。古典は地味で初めはどれも同じメロディーのように聞こえますが、微妙な違いに味わいがあり、歌詞が美しいところが好きです。知られないのはもったいないという思いで、SNSやリアルな舞台で発信しています。世界にもその魅力を伝えていきたい。
撮影協力/中村家住宅 https://www.nakamurahouse.jp/
育児の支えになった歌三線
琉球古典音楽野村流保存会師範
比嘉いづみさん
独り占めはもったいない
教室でネットで積極発信
三線との出合いは偶然だった。比嘉いづみさんは横浜生まれ。結婚を機に沖縄に来たのは27歳のとき。披露宴2次会のカチャーシーの音色にひかれ、三線教室に見学に行った。カチャーシーとは似つかぬ、ゆっくりとしたテンポで演奏し、うなるように険しい表情で歌う生徒たちがいた。古典と民謡の違いも知らなかった。
「お経みたいで不思議な感じだな」と思いながら教室の温かな雰囲気が気に入って見学を続けるうちに、先生が転勤になったので別の人に引き継ぐと聞かされた。新しい先生は厳しかった。自分が教えるからには真剣に取り組むようにと言って、コンクール受験を課した。生徒ではないと言いそびれ、最初の位である新人賞を受けることになった。
練習してみると楽しかった。教わった通りに声を出すと、教わった内容がふに落ちた。小学校の6年間続けたピアノは上達しないと叱られてばかりだったが、ピンクレディーをまねて歌うのは好きだった。古典音楽も歌詞の意味は分からないものの、先生の歌唱を音として捉えるのが楽しかった。3カ月後、初挑戦で新人賞に合格した。その後比嘉康春さん(後に県立芸大学長)に師事した。
翌年1997年に第1子が生まれた。歌三線を続けるのは無理かと考えていると、家族も師匠も続けるよう勧めてくれた。次の位の優秀賞からは出産・子育てと並行した挑戦になった。
週1回の稽古が「母親ではない自分」になれる時間だった。「声を出してストレス発散になるし、先輩たちにかわいがってもらいました」。ふだん子どもたちを見てくれる義母に別の用があるときは、師匠の妻や友人が見てくれた。「沖縄独特の助け合いの精神、ユイマールの心が子育て中の私を助けてくれました。古典音楽の心と同じように、脈々と受け継がれているんだと思いました」
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2007年に教師、14年に師範の免状を取り、教えることができる立場になったが、ためらいがあった。「沖縄に生まれ育った人だけが理解できる何かがあるのではないか」。それでも、神への祈り、人の普遍的な感情を描いた歌詞や、それを伝えてきた先人の姿を思うほど、自分だけのものにするのはもったいないと思うようになった。
14年に北中城の自宅で、17年に横浜で教室を開いた。横浜には月1回、老いた両親を訪ねることを兼ねて足を運んだ。流派の関東支部が催す発表会も生徒の動機づけになった。そこにコロナ禍が起こり、オンライン指導に切り替えた。
オンラインで指導した横浜の生徒が21年の新人賞を受験した。沖縄で会い、演奏させてみると、バチの持ち方がよくない。画面を通した指導の盲点に気付き、細かく指示するようにした。生徒は今年合格した。
自身の活動では、舞踊家・西村綾織さんと組んで月1回のオンラインライブを1年間続けた。配信のための機材集めから照明の当て方まで試行錯誤した。フェイスブックやインスタグラムで発信し続けた。西村さんに誘われて出場したコンテスト「ミセス・オブ・ザ・イヤー」世界大会の舞台で歌三線を披露することもできた。
「琉球古典音楽を世界に発信する」と掲げてきた目標の一部は達成できたと感じた。挑戦を続けることで「なりたい自分になってきた」と思えるようになった。「次は実際に海外に行って演奏を披露したい。止まっているわけにはいかない」。古典音楽を核に多面的な形を現してきたばかりの、未完成の自分をどうつくっていくか楽しみにしている。
コンテスト出場 発信力高める
2021年、年齢など「リミット」にとらわれないことを目指すコンテスト「ミセス・オブ・ザ・イヤー」に出場した=写真。沖縄、日本、世界の各大会で歌三線を披露した。
衣装などきらびやかな見た目の裏で、歩き方のレッスンをこなし、スポンサーも自分で募らなければならなかった。「『三線が弾ける主婦』だった私が社会の荒波に自分から飛び込んでいって面白い経験ができました」と笑いながら振り返る。
出場者には内面から光る人が多くて共感できた。自分が注目されることで発信できることがある。そう思えたことが活動の幅を広げるきっかけになった。
横浜・沖縄 オンラインで稽古
コロナ禍で横浜教室はオンラインでの指導になった。月2回のグループレッスンに5人、毎週の個人レッスンに1人が参加している。県出身だったり、転勤で住んだ経験があったり、よく旅行で訪れたりと、いきさつはさまざまだが「いつも沖縄を感じていたい」という思いは共通する。以前のように年1回の発表会はできなくなっているが、関東で行われる古典音楽のイベントには積極的に参加している。
オンラインでつながる教室が、沖縄への思いを共有する時間になり、離れて暮らす家族のような雰囲気になっている。
■問い合わせ先/インスタグラム:idumi_okinawa.sanshin
時代超える心情 歌詞に共感
歌詞である琉歌には好きになったものが多いという。あえて一つだけ挙げてもらったのは「本嘉手久節」の一節。花は女性を表している。「恋人との語らいが楽しくて、つい時を忘れてしまった。時を超えて万人に通じる、そんなピュアな気持ちを艶っぽい旋律に乗せて歌うこの歌が私は好きです」
プロフィル/ひが・いづみ
1966年横浜市生まれ。94年結婚を機に沖縄に移住。3人の子を産み育てながら、沖縄タイムス伝統芸能選考会・三線の新人賞からグランプリまでの4賞を8年で合格。2014年琉球古典音楽野村流保存会の師範免状を取得し、地元の北中城村で教室を開設。17年には横浜にも教室を開いた。19年に沖縄タイムス芸術選賞奨励賞を受賞、県指定無形文化財・沖縄伝統音楽野村流の伝承者に認定された。
[今までの彩職賢美 一覧]
撮影/比嘉秀明 文/安里努 撮影協力/中村家住宅
『週刊ほ〜むぷらざ』彩職賢美<1409>
第1827号 2022年8月11日掲載