彩職賢美
2022年7月7日更新
[沖縄・輝く女性を紹介]彩職賢美|一般社団法人ジョブリッジ研究所 代表理事 赤嶺 久美さん|人と人をつなぎ 就労支援進める
53歳のときに法人を立ち上げ、若者や子どもたちが働く意義を見つけられるようサポートしてきました。人材育成、働き方がライフテーマになったのは、私自身がほとんど非正規就労だったことから。常にチャレンジャーの気持ちです。人と人をつなぎ、信頼関係をつくって一緒にいい結果を出すために働けることを喜びに感じています。
仕事通した肯定感 若者らに
一般社団法人ジョブリッジ研究所
代表理事 赤嶺久美さん
自らも非正規就労の連続
キャリア教育がテーマに
2013年に赤嶺久美さんが53歳で立ち上げた一般社団法人ジョブリッジ研究所は、翌年うるま市の事業を受託し、8年間にわたって若者や児童生徒の就業意識を高める取り組みをしてきた。小中学生のジョブシャドウイング(職場観察)・職場体験では市内の事業所と学校をつなぎ、高校への出前イベントでは地元ゆかりの人たちを招き職業観を語ってもらった。
学習の前と後にとったアンケートで興味深い変化があった。「働くとはどういうことだと思うか」という問いへの答え(自由筆記)で出てくる単語の頻度を測った。学習前は「稼ぐ」「お金」が目立ったのに対して、事後には「将来」「考える」といった単語が多くなった。「お金を得るという一面的なイメージだったものが、『将来』という自分ごととして深く考えられるようになったのではないかとみています」と分析する赤嶺さん。キャリア教育や人材育成がライフテーマになったのは、自身の働き方が影響している。
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沖縄キリスト教短期大学(当時)の学校推薦で受験した日本航空客室乗務員への就職は不採用だった。県の臨時職員をしながら受験した翌年の南西航空(当時)は視力が原因で内定取り消しになった。以来、8度転職したうち正社員だったことは1度しかない。
37歳の頃から本土メーカーの工場に季節労働者を派遣する窓口で働いた。求職者のキャリアにならない仕事だと思う半面、高い賃金が必要な状況を聞くと身につまされた。自分も勤務時間が短く育児と両立できるからと、この仕事を選んだのではなかったか。一回り以上若い求職者に「早く帰ってきて就職してね」と伝えるのが精いっぱいの助言だった。もんもんとしながら働く意味について考えた。
別の職場の問題でメンタルダウンも経験した。回復して仕事を探す中で、労使の団体と県で構成する財団法人・雇用開発推進機構の存在を知った。「人材育成に興味があったけれど、仕事として成り立たないと考えていました。税金を使ってやる仕組みがあったんだと、初めてパズルのピースが合った気がしました」
嘱託のコーディネーターとして働き始めた。うるま市で実践したジョブシャドウイングはこの頃学んだ手法だ。地域の資源(ひと・もの・こと)をつなぐ経験を積み、自らが仕事に求めていたのはこんなコーディネートの妙味だったのだと思った。
一方、単年度主義など行政の仕事ならではの難しさもあった。現場の課題は行政の想定からはみ出る部分も多かった。それらの困難を昇華する術(すべ)を磨いてきた。嘱託の立場ではできない、事業企画段階からの参画を果たすため法人を立ち上げた。
人材育成に本格的に取り組み始めた雇用開発推進機構の経験から15年、自身の職業生活は42年になる。「私にとって働くことは人生そのもので、人生はオーディションの積み重ねです。同時に人によって職業観、仕事のスタイルがさまざまであることも知り、互いに認め合うことを心掛けるようになりました」
人間関係が固定した正規雇用でなかった分、仕事で知り合った人たちに別の場面で助けられることも多かった。「うるま市の皆さまはじめ、多くの方々にご支援ご協力いただきました。心から感謝しています」
仕事を通して自分らしさのコアを見つけることが自己肯定感につながると考えている。「地域・行政・学校・企業の皆さまの連携で、次代を担う子どもたちを育むことがとても大切だと思います」。事業は一区切りついたが、今後も人材育成を軸に活動していくことを誓った。
■一般社団法人ジョブリッジ研究所
きものの女王で沖縄を意識
22歳の頃、赤嶺さんは「全日本きものの準女王」に選ばれた。中学校の恩師の半ば命令で県大会に出場し、全国大会でも女王に次ぐ2人の準女王の1人になった。米国ロサンゼルスで日系人社会の祭りに参加。当時、減少していた繊維輸出を盛り返そうという業界と日本政府の取り組みだった。自分たちを前面に立てる裏には政治的経済的な狙いがあると気付くような、世の中を俯瞰(ふかん)して捉える若者だった。
紅型を着た赤嶺さんは県系人に取り囲まれた。「東京では『沖縄では英語しゃべってるの』などとステレオタイプなことを言われ、アメリカに来ても沖縄の人と見られるんだなと思いました」。中学生で経験した日本復帰から9年。東京に憧れながらも一体となることには違和感がある。そんな付かず離れずの位置にいる沖縄を意識した。
仕事では、県の臨時職員として第2次沖縄振興開発計画の文案読み合わせを手伝うなどしていた。復帰への期待と失望、そして新生沖縄県に向けた熱意。先輩たちの思いを身近に感じ、いつか行政の仕事をしたいと思った。裏腹に、その後勤めたのは本土から管理職が赴任してくる民間企業だった。社会人になって27年が過ぎ、地元沖縄を対象にした仕事と巡り合った。
全日本きものの準女王としてアメリカで日系人イベントに参加する赤嶺久美さん(左端)
動画でコロナ禍に即応
ジョブリッジ研究所がうるま市から事業を受託した8年間のうち、最近の2年間は、赤嶺さんの長男・謙一郎さんが経営するNO MARK株式会社とのコンソーシアム(共同事業体)として企画運営した。折しも新型コロナウイルス感染症の流行で学校が休校、分散登校になるなど臨機応変が求められた時期。ITに強みがあるNO MARK社が、単なる外注先ではなく企画から携わることで、講師の話を動画配信して対応できた。教室に講師が出向く従来の形よりも、児童生徒が自分の興味関心に合った講話動画を選べるという効果もあった。
NO MARK側もキャリア教育を事業に取り入れるようになった。「沖縄の魅力を世界に発信する」を狙いに、沖縄の写真を毎日発信するインスタグラムや写真集を手掛ける。写真集は県内の教育委員会に寄贈する。
従来学校で行ってきた職業講話を動画で収録した
プロフィル/あかみね・ひさみ 1959年生まれ。2007年財団法人雇用開発推進機構のチーフコーディネーターとなって以来、キャリア教育、人材育成に取り組み、各種セミナーの講師を務める。13年に一般社団法人ジョブリッジ研究所を設立。14〜21年度うるま市グッジョブ連携推進事業等を受託し、事業を統括した。22年度沖縄産業開発青年協会の就職支援アドバイザー。
[今までの彩職賢美 一覧]
撮影/比嘉秀明 文/安里努(ライター)
『週刊ほ〜むぷらざ』彩職賢美<1406>
第1822号 2022年7月7日掲載