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2022年5月12日更新
【復帰50年特別企画】変わるもの 変わらないもの|ジョージレストラン(那覇市 辻)
沖縄が1972年に本土復帰してことしで50年。衣・食・住の分野から、商売を通して世の中の移り変わりを見てきた女性経営者や事業後継者にインタビュー。復帰して変わったこと、変わらないことなどを、これまでの歩みと共に語ってもらった。
復帰50年特別企画
米兵集ったAサインの店
復帰後、客層は県民中心に
ジョージレストラン(那覇市辻)
左/宮城 美智子さん(68)右/宮城 健さん(65)那覇市の「平和通り」に接する日本一短い商店街「八軒通り」で琉球舞踊衣装店那覇市辻にあるジョージレストランは、先代の宮城郁夫さん・苗子さん夫妻が1954年にコザでAサインレストランとして開業してから創業68年になる。56年に現在の場所に移転。店主は息子の宮城健さん(65)で、姉の美智子さん(68)、妹の雅子さん(56)ら家族で店を切り盛りしている。
Aサインとは本土復帰前、米軍公認の飲食店・風俗店に与えられた営業許可証のこと。米軍人や軍属が安心して入れる衛生的な飲食店の証しで、「A」は「Approved(許可済)」の頭文字で、公認店は赤い「A」文字の許可証を店頭に掲げて営業した。同店では、記念として当時の許可証を展示している。
美智子さんは復帰前の学生のころから休みの日には店の手伝いをしていた。「当時の辻はバーやクラブが立ち並びネオンがきらめく街だった。客は那覇軍港の船乗りなど米軍関係者が多かった」と振り返る。辻ではAサインレストラン1号店だったこともあり、行列ができるほど繁盛していたという。
看板メニューのタコスやピザをはじめ、洋食や中華などバラエティー豊かなメニューを取りそろえていた。店主の健さんは「あの頃の人気メニューは、50セントのフライライス(チャーハン)やサンドイッチなどの軽食。米兵がペイデイ(給料日)にバーで飲む前の腹ごしらえとしてよく利用したと、先代から聞いています」と話す。
健さんらの母親の苗子さんは、店と家事に大忙しだった。雅子さんは「母は手先が器用で働き者。当時は24時間営業で、母は夜もずっと店に出ていたので、私は幼稚園の頃さびしくてよくお店のホールの隅でいすを並べて寝ました」と話す。
上はAサイン。下は辻に移転した当初のレストランの外観。入り口にいる女の子は美智子さん
人気のピザ(ミックス、Mサイズ)。先代の味を守り続けるこだわりのメニュー
創業当初からあるジュラルミン製の食器。右は米国製。左は戦後に沖縄で廃棄された米軍戦闘機の残骸を加工して作られたものだそう
家族向けの店にシフト
復帰後、街に米兵の姿はなくなり、店の利用客は県民が中心になった。75年に大学を卒業し、店で正式に働くようになった美智子さん。24時間営業の店が最も混み合う時間帯が早朝5時から6時だったという。美智子さんは「飲んだ帰りに訪れる客が多かった。酔っぱらいの相手をしないといけないので夜勤の時は大変だった」と話す。
その後、徐々に夜の営業時間を短くしていき、家族向けのレストランにシフトしていった。2018年には店舗を建て替えたが、一部の食器や家具は創業当時のものを大切に使っている。美智子さんは「これからも時代の変化に対応しつつ、母が作ったレストランの味を守っていきたい」と笑顔で語った。
みやぎ・みちこ/1954年生まれ。ジョージレストラン創業者、宮城郁夫の長女。75年からレストランで働く。
みやぎ・たけし/1957年生まれ。ジョージレストラン創業者、宮城郁夫の次男。84年に店を継ぐ。
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『週刊ほ〜むぷらざ』復帰50年特別企画
文/池原 拓
第1814号 2022年5月12日掲載