彩職賢美
2020年12月24日更新
[彩職賢美]子供社長クリエイタースクール代表 カメラマンの仲宗根美幸さん|自由な発想育てる映画スクール設立
10年以上、東京でカメラマンとして活動。東日本大震災後間もなく被災地を訪れ、人間いつ死ぬか分からないと肌で感じました。そこで「どう生きるか」を考えた時、故郷の沖縄で念願だった映画スクールを開こう、と決めたんです。子どもたちに、映像を通して自由な発想を持ってほしい。
個性受け入れ深く関わる
子供社長クリエイタースクール代表
カメラマン
仲宗根美幸 さん
企画から編集まで
主役は「子ども」
映像制作を教える「子供社長クリエイタースクール」代表の仲宗根美幸さん。自身は子どものころ、学校が苦手だった。「テストや型にはまったことがイヤで、不登校だった時期もある」。そんな仲宗根さんが目指すのは、「子どもが笑顔になれる自由な学校」だ。
発想の源は、海外での経験にある。フリーのカメラマンとして活動を始めたころ、学校建設の撮影のため、カンボジアやフィリピンなど東南アジアを回り子どもたちに接した。路上で暮らすストリートチルドレン、紛争で親を目の前で殺された子、壮絶な過去を持つ子どもたちの笑顔はまぶしく、力があった。それ以前に日本の施設で会った子どもたちの表情とのギャップに驚き、「自由な場を作り、日本にも笑顔の子を増やしたい」と感じるようになった。
スクール名の「社長」は、パワーあふれ、創造性豊かな子に、という思いから。コンセプトは、「子どもが主役」。企画から監督・演出、脚本、照明、録音、撮影、編集まで、すべて子どもたちが行う。「サポートはしますが、自分でやることで身につく。ゆくゆくは、子どもが子どもに教える仕組みを作りたい」
設立して6年。子どもたちは月に4回集い、技術を習得。米軍基地、福島の原発などをテーマに作品を製作し、国際大会の平和フィルムフェスティバルで、4年連続上位入賞を果たしている。
昨年は、ユーチューバー、中学生イベンター、アーティストなど、才能あふれる子どもたちがプレゼンをする大会「令和の小さな偉人」も県内で開催。スポンサー集めから運営まで、すべて子どもたちが行った。
子どものころの夢は絵描き。不登校だった小学低学年、学校に行くきっかけになったのは、絵だった。祖父の「学校で、絵を描けばいいじゃん」という言葉に背中を押され、周囲の友だちを描き始めた。「その子の目、特徴、クセ。ひたすら見て描いていましたね。怖がられていたはず(笑)。それから、学校に行くのが面白くなってきた」。人を観察をする目は、今の仕事にも生きている。
仲宗根さんの行動力は並ではない。県外での大学時代、友人と人材派遣の会社を起業。その給与と奨学金で、学費と生活をまかなった。奨学金は、数年で完済した。
カメラマンを志したのは社会人になってから。美容商材の営業として働いていたころ、美容室のフォトコンテストでカメラマンにあこがれた。知り合ったカメラマンの「カメラマンになるなら、東京かニューヨーク」との言葉に、上京を決めた。経験も知識も、まったくなかった。東京で100以上のカメラマン事務所に片っ端から電話をし、アシスタントとして飛び込むも、用語すら分からず数カ月で挫折。しかしその後、あきらめられずに再チャレンジ。働きながら夜専門学校に通い、幅広いジャンルのカメラマンのアシスタントを経て独立した。「人間扱いされないこともあったけど、さまざまなカメラマンに技術を学んだおかげでレパートリーが広がった」
現在は、仕事の拠点である東京や大阪と、スクールのある沖縄を往復する日々だ。「スクールには、個性的な子が多い」と仲宗根さん。これまでに、不登校の子、自己表現が不得意な子など、さまざまな個性の子を受け入れてきた。「夢はニート」と言っていた子が、スクールに通ううちに動画クリエーターを目指すようになったことも。
「子どもにも親にもどっぷり関わる。必要な時には怒るけど、子どもたちと一緒に遊んでいるみたいで、何より自分が楽しい。やめようと思ったことはない」と笑った。
生徒の作品が国際大会で上位入賞
国際大会の平和フィルムフェスティバルで、上位入賞をした生徒の作品を紹介する。企画から制作、編集、翻訳まで、すべて子どもたちが行った。年齢は作品製作当時のもの。
「平和の島」岩本はく(9)
ぐーたらすることやばば抜きをすること。何気ない日常が平和、と感じさせる作品。2017年同フェスティバル9~13歳の部 名誉賞。
「平和とは?」 脚本・編集・監督 平識飛由斗(10)
5歳から86歳まで、多世代の人にインタビューし、平和とは何かをまとめた。2018年同フェスティバル9~18歳の部2位。
◆子供社長クリエイタースクール
メール:abarenzyasorimn@gmail.com
仲宗根さんの思い出深い作品
「人の撮影が一番面白い。会話を通してその人らしさを引き出す」という仲宗根さん。個性的な踊り子たちに魅せられて3年間ストリッパーに密着し、作品にした。
「人生を変えた」という東日本大震災の撮影。仕事で震災の2週間後に東北に行き、4年間、毎月通い続けた。壊れた家、がれきに埋もれている人を数え切れないほど見た。周囲から「何しに来た」と石を投げられ、手が震えてシャッターが切れなくなった時期も。被災者からの「あなたたちが記録で真実を語らないと、誰が語るのか」という言葉は、今も心に残っている。
プロフィル
なかそね・みゆき
南風原町出身。日本文理大学商経学部商学科卒業。大阪で営業をしていた際に、カメラマンを志して上京。働きながら、東京写真学園プロカメラマンコース卒業。ENBUゼミナール監督コース卒業。さまざまなカメラマンのアシスタントとして経験を積み、独立。東京や大阪を拠点に、フリーランスのカメラマンとして活動。2014年、沖縄で子供社長クリエイタースクールを設立。
[今までの彩職賢美 一覧]
撮影/比嘉秀明 文/栄野川里奈子
『週刊ほ〜むぷらざ』彩職賢美<1374>
第1742号 2020年12月24日掲載