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2025年1月30日更新

[沖縄スポット]桜咲くグスク 北山の参拝地|今帰仁城跡とその周辺|シマ散策(拡大版)

桜が見ごろを迎える今帰仁城跡。今回は今帰仁城跡でボランティアガイドを務める「今帰仁グスクを学ぶ会」の案内で、東御廻りと対をなす参拝行事「今帰仁上り」に関わる今帰仁城跡や村内の拝所や史跡を訪ねました。

桜が見ごろを迎える今帰仁城跡。今回は今帰仁城跡でボランティアガイドを務める「今帰仁グスクを学ぶ会」の案内で、東御廻りと対をなす参拝行事「今帰仁上り」に関わる今帰仁城跡や村内の拝所や史跡を訪ねました。
 

今帰仁上りの地 門中の縁(ゆかり)の拝所

【今帰仁城跡とその周辺】

今帰仁上り(ぬぶい)とは、「門中」と呼ばれる血縁集団が行う参拝行事。今帰仁グスクを学ぶ会の平良勝男さんは「東御廻り(あがりうまーい)とともに沖縄の全ての門中が行わないといけないものといわれ、各門中が祖先に縁のある今帰仁村の御嶽(うたき)や拝所、墓、旧跡などを参拝する。門中の一大行事としての現在も脈々と伝わっている」と話す。

 40カ所以上の拝所 現在も続く伝統 

 旧 暦の8月から10月ごろに各門中ごとに催される今帰仁上り。参拝場所は今帰仁村内を中心に、村外合わせ40カ所を超える。


写真は今帰仁グスクを学ぶ会がガイドの際に今帰仁上りの御願を再現している様子。写真提供・今帰仁グスクを学ぶ会


城内上の御嶽。自然石の大岩が霊石として拝まれている

今帰仁グスクを学ぶ会の平良勝男さんは「各門中によって参拝する箇所が決まっていて、個々の参拝場所の由来・来歴も門中ごとに違いもある」と説明する。参拝の頻度も門中によって異なり、拝所に近い地域は毎年、遠いところはその距離によって3年・5年・7年・9年・13年と奇数年ごとに行う。


今帰仁城跡からの眺望。東シナ海を望み、伊是名島を遠望

標高約100メートルの石灰岩丘陵にある今帰仁城跡は、14世紀の三山時代の北山王の居城として知られる。城内には拝所が点在し、上へ進むと城の女官が住んでいた御内原と呼ばれる場所に「城内上の御嶽」がある。「琉球の開闢(かいびゃく)神話でアマミキヨが最初に造った七つの御嶽の一つとされ、城内でも神聖な場所」


今帰仁ノロ殿内火之神の祠。ハンタ道の近くにある 

城を下りた北側の林にあるのが「今帰仁ノロ殿内(どぅんち)火之神の祠(ほこら)」。「かつては今帰仁ノロ殿内の屋敷があったが、17世紀の島津侵攻で今帰仁城が落城したので、火之神を残して現在の今泊集落に移ったと考えられている」。今帰仁・親泊・志慶真の祭祀をみる今帰仁ノロは、現在は仲尾次家が代々継いでいる。


今帰仁城へ続く古道「ハンタ道」。道中には琉球石灰岩よりも古い石灰岩もみられる


井泉「親川」。かつては集落の飲料水として利用され、女性の髪洗い場としても使われたという

今帰仁城跡がある丘陵の麓、城へ登る古道である「ハンタ道」の入り口にある「親川(えーがー)」は、かつて今泊集落の人々の生活用水として大切にされてきた湧き水だ。泉のそばには香炉が置かれ、集落の祭祀はもちろん、各門中の参拝で訪れる人も多い。

ハンタ道は天然の石灰岩の坂道で周囲には木々がうっそうと茂り、かつての城周辺の様子が感じられる。
 


 尚円王の弟や歴代監守、高級神女官の墓 
 
 今 帰仁上りで参拝する場所には、琉球王府ゆかりの人物が葬られた墓もある。今帰仁城跡の北東、諸志集落のサダ浜海岸沿いにある「赤墓」もその一つ。納められた石棺が赤く塗られていることから名付けられたという。この墓は、第二尚氏初代国王・尚円王の弟で、伊是名島から上間村(本部町具志堅)に移り住んだ上間大親の墓といわれ、祖先の生地である伊是名島に向けて造られている。


赤墓。崖下をくり抜いて造られた墓

平良さんは「16世紀、尚円王の子の尚真王が船で行幸(ぎょうこう)していた時、暴風で難破しそうになったのを上間大親とその息子たちに助けられた。王は自分を助けた恩人が叔父にあたる人だと知って驚き喜んだ。上間大親は地頭職と上間村を賜ったと伝えられている」と話す。


池城墓。墓正面は那覇の石工による石積み

崎山集落の東、川沿いの丘陵にある「池城(いちぐすく)墓」。その墓碑には「さき山大やくもひ」、「同女房大あむしたれ」、「同人たまぐすくのろくもい」と記されている。「さき山大やくもひは王族で高官だっと思われる。また、『大あむしたれ』は、王府のノロ組織の頂点である聞得大君に次ぐ役職である三平等大あむしられ(首里・真壁・儀保)の一つ、儀保大あむしられといわれている」


大北墓。別名、「按司墓」とも呼ばれる。第二尚氏時代の北山監守2世、4〜7世や今帰仁阿応理屋恵按司など近親者が葬られている。初代の尚韶威(尚真王の第3子)は玉陵に葬られている

「大北(うーにし)墓」は運天港に面する崖下をくり抜いて造られた墓。第二尚氏時代の北山監守を勤めた按司とその一族が葬られている。「北山監守とは、尚巴志による三山統一後に北山地域の監視と統治のために設けた琉球王国の官職で今帰仁城を拠点としていた」
 
 


案内してくれたのは

今帰仁グスクを学ぶ会
平良勝男さん
今帰仁グスクを学ぶ会は、今帰仁城跡でボランティアガイドを務めている。城跡周辺のガイドも行っており、今帰仁上りの参拝場所を訪ねるコースも案内している(有料)

■問い合わせ先/電話=0980(56)4406

取材/池原拓

『週刊ほ〜むぷらざ』シマ散策 
第1955号 2025年01月30日掲載

 

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