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新城和博

2019年12月5日更新

吉原と首里の弁財天|新城和博のコラム

ごく私的な歳時記Vol.67|首里に引っ越して20年。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、この20年も振り返りながら、季節の出来事や県産本の話題をつづります。



吉原と首里の弁財天

 今年の秋はなんかせわしなかった。
 首里城正殿の火災があって、もう何年も前のような気がしているくらい、いろんなことがあったような気がする。実際はそうでもなくて、ただ唖然(あぜん)としているうちに過ぎてしまった。なんどか首里を散歩して、トックリキワタ(ナンヨウザクラ)をながめたりしているうちに、台風を挟んで、夏が戻ったかのような気候になったと思ったら年末である。
  今年はホウオウボクがなんだかずっと咲いていて、そのうちにトックリキワタの花が咲き出して、街路樹の季節感はなにがなんだか分からない。世界的な気候変動をこんなことで実感している。



▲吉原弁財天


▲不忍池の弁財天

 そんな慌ただしさのなか、東京に出かけた。仕事のついでに、個人的嗜好(しこう)のまち歩きをした。知り合いのカメラマンの方にお願いして、宿泊した浅草かいわいを案内してもらった。目的地は、旧吉原である。そう、あの吉原。かつて遊郭のあった地区である。いまは吉原周辺を取り囲んでいた「お歯黒溝(どぶ)」は埋めたてられ、一見したら、どこからどこまでが吉原だったのか分からない。しかし、かすかに残る道路の高低差を見つけて歩くことによって、だいたいの範囲はわかるのである。
 いまもその名残が残る感じは、那覇の辻(つじ)と一緒である。普通に住宅地が広がる地区でもあるので、そういう目線で歩いていないと分からないかもしれない。
 ここでたくさんの遊女が亡くなったという。その供養として吉原弁財天がある。浅草から歩きはじめ、日は落ちていた。吉原を形をたどるように歩いて、吉原神社から急にまがった道の先に、そこだけほのかに明るく照らされた弁財天があった。吉原神社の飛び地となる境内の石碑、石畳はきれいにされていて、ぼくらが立ち寄ったときは、おじいさんが水をかけて丁寧に掃除をしていた。
 かすかに線香のにおいがする小さな境内の奧にいくと、吉原観音像、弁天像が置かれていた。小さな池に水の音がする。おさい銭を入れて鈴をならすと、綱に添えられている小さな鈴がしゃりんしゃりんと鳴った。そのもの悲しい響きは境内を越えて通りにこぼれて、かつての吉原の闇をよみがえらせるかのようだった。土地の記憶というのはそうそう消えるものではないのだなぁ。

 
▲上野かいわいの弁財天

江戸では、七福神のなかでも特に弁財天は人気らしい。ぼくもなぜだが気になる弁財天。今回も浅草~吉原、翌日歩いた上野かいわいにもいくつか弁財天があった。水にまつわる神様なので、境内は、小さな池、湧き水を擁している。見つけると、できるだけお参りするようにしている。ぼくは吉原、上野の弁財天に手を合わせながら、首里城内から湧く水をひいている円鑑池の弁財天堂を思い出していた。あの夜、首里城正殿の大火に照らされたであろう、水にまつわる弁財天もさぞ悔しいことだっただろう、なんて考えたりして。
 

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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。

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