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COLUMN

新城和博

2018年7月5日更新

カーチーベーが吹くと…|新城和博のコラム

ごく私的な歳時記Vol.41|首里に引っ越して20年。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、この20年も振り返りながら、季節の出来事や県産本の話題をつづります。

雨が降らない梅雨が明けると、スコールまじりの夏がやってきた。
不思議なもので空梅雨でも、夏至南風(カーチーベー)が吹いて夏本番となると、とたんに雲の形もかわり、日差しも強くなった(ような気がする)。2018年の初夏、カーチーベーが吹きあれた。うちのすぐそばの弁が岳の木々も風に吹かれて揺れていた。アカショウビンの特徴的なリルルルルーという鳴き声はいまも聞こえている。





その弁が岳にある御嶽(うたき)がさきごろ国指定の文化財となった。その名も「弁之御嶽(びんぬうたき)」。いままではだいたい「弁が嶽(べんがだけ)」と言っていたのだけど、これからは「びんぬたき」と呼ばないといけないのかしら。かつて首里の王様自らが訪れ祭祀(さいし)を行っていた、位の高い聖域であることはもちろん承知していたが、なにかあると拝みにいっていた場所なので(もちろんビンシーを持っていくような本格的なものでなくて、もっとカジュアルな感じ)、ちょっと妙な気分ではある。

その弁が岳の向こうから夏の雲が顔を出していた。





数日後、東京からやってきた編集者と漫画家さんを那覇まち歩きに誘った。ジュンク堂書店那覇店で待ち合わせして、そのあと、すぐそばにある琉球王国時代からの古道・長虹提跡のお話をするために美栄橋駅前広場に那覇市が設置している歴史案内板を見ながらしゃべっていたら、通りすがりの年配の女性がぼくに向かって何か話しかけてきた。

「てぃーち?」と聞こえた。ひとつ? なにが? と思って聞き返したら、「あら日本の方?」うちなーんちゅですけど。「外国人の方かと思って、教えてあげようかと思ったのよ」

「てぃーち」とは、teach、つまり「教えましょうか」ということだったのだ。「わたしはね、最近那覇市とかも外国人観光客にやさしくしてとかいっているから、英語習って教えてあげようとしているのよ。80あまるけど」。

なんて親切なんだろうと感動した。いや戸惑った。

そのあと久茂地の川沿い、若狭の防波堤沿いを歩いて、歴史案内板を見つつ、辻にたどり着いた。辻の御嶽は、この歓楽街のほぼ真ん中の小高い場所にあって、その前の道路では旧暦の一月になると二十日正月の伝統行事であるジュリ馬行列が行われる。そこにも立派な歴史案内板が設置されていた。どれどれと読もうとしたら、そばにいたおじさんがやってきて話しかけようとして、「あ、日本人ね」と言った。

なんとここでもまた外国人観光客に間違われたのである。そのおじさんも外国人にやさしく那覇の歴史を教えてあげようとしていたのだ。

なるほど、これが噂(うわさ)の「ウェルカムんちゅ」※か。カーチーベーが吹くとウェルカムんちゅが増えるのかしら。


※日本国内はもちろん海外から来られる観光客を「うとぅいむち(おもてなし)」の心で温かく迎え入れる沖縄県民のことです。(一般財団法人 沖縄観光コンベンションビューロー(OCVB)のサイトより)


 

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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。

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