新城和博
2025年2月20日更新
待ち遠しい二月のある日|新城和博さんのコラム
ごく私的な歳時記Vol.124|首里に引っ越して30年ほど。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、季節の出来事や街で出会った興味深い話題をつづります。
二月を待ち遠しく思うことがある。沖縄でもっとも寒い日々かもしれないし、南下してきた桜前線が、冬枯れに飽きた那覇の街のあちらこちらをピンク色に彩ってくれるような暖かさもある。ではあるが、そういったこととは関係なくやってくるある一日が待ち遠しいのだ。
いつもよりも早く起きる。まだ夜の続きのような朝のなか、いつもとは違う趣でトイレに入り用事をすませて、そそくさと家を出る。「暁ですよ」というラジオ番組から流れるうちなーぐちをBGMに車は到着。すでに十数名の男女が寒いなか開場を待っている。出遅れたがしかたない。定刻にしか開かない扉の向こうには静かな楽園が待っている。半日かけて、一期一会で集まった人びとの身体の隅々を数値化し、過去と現在の結果をカルテに刻み、あまつさえ未来さえ予見してしまう。それでも定期健康診断の日は、ぼくにとって、日常のあれこれを忘れておだやかに過ごす日なのだ。
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様々な検査や検診はまぁ楽しいものではないが、スタッフの人たちはやさしく扱ってくれるし、そんなに嫌いでもない。しかしなんといってもぼくが待ち遠しいのは、待ち時間である。健康を診断されているという大義名分のもと、とにかく読書にいそしむことができるのだ。一通り検査がおわると、早く受け付けしたかいあって、いつもなら「これから仕事だ、ああああ」と思う時間なのに、とりあえずやることはなにもない。もう「待つ」だけ。カフェラテとかお替わりして、まったりできるのだ。
知り合いはだれもいないから、なんとはなしの世間話なども準備しなくていい。今年は、読みかけの英国の古典小説、お勉強したくなった文化人類学、いまだに手をけていない文庫数冊をもってきた。気分によって選んでみたい。もうすでにこれは、ミニマムな図書館だ。読書のあいだにはヘッドスパもしてもらう…。
窓の外には小高い森の稜線に、青い煙突、赤い鉄塔、茶色い病院が並ぶ。高いところにあってしかるべきのフォルムの向こう側からぼくはやってきた。今年もなんとかこの風景を眺めることができた。
確かに、なんとなく嫌な数値は年と共にすこしずつ増えてきたが、まだぎりぎりボーダーラインにいる自分の現状についてはいかんともしがたい。健康か破滅か。選ぶのは自分しだいなのだ。
暖かい待合室には、なにもすることなくうつらうつらしている人たちが、流されるままのテレビを見ている。少しけだるい顔をしているけれど、自分の未来が少しでも良きことがあるようにと思っているのだ。どこかで海鳴りのようないびきがしてきた。
病院の待合室とはすこし違っていて、なにかしらの治療を受けにきているわけではないので、この待ち時間は、日常から離れることの出来る自由な時間。少なくともぼくは毎年、静かに本を読むことの出来るこの時間を好ましく思う。来年もこの日を迎えられるよう、するべきことをしよう、とは思うが、とりあえず一冊は読み終えたい。
二月はやっぱり待ち遠しい。健康診断がおわると、ぼくの誕生日がやってくる。
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いつもよりも早く起きる。まだ夜の続きのような朝のなか、いつもとは違う趣でトイレに入り用事をすませて、そそくさと家を出る。「暁ですよ」というラジオ番組から流れるうちなーぐちをBGMに車は到着。すでに十数名の男女が寒いなか開場を待っている。出遅れたがしかたない。定刻にしか開かない扉の向こうには静かな楽園が待っている。半日かけて、一期一会で集まった人びとの身体の隅々を数値化し、過去と現在の結果をカルテに刻み、あまつさえ未来さえ予見してしまう。それでも定期健康診断の日は、ぼくにとって、日常のあれこれを忘れておだやかに過ごす日なのだ。
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様々な検査や検診はまぁ楽しいものではないが、スタッフの人たちはやさしく扱ってくれるし、そんなに嫌いでもない。しかしなんといってもぼくが待ち遠しいのは、待ち時間である。健康を診断されているという大義名分のもと、とにかく読書にいそしむことができるのだ。一通り検査がおわると、早く受け付けしたかいあって、いつもなら「これから仕事だ、ああああ」と思う時間なのに、とりあえずやることはなにもない。もう「待つ」だけ。カフェラテとかお替わりして、まったりできるのだ。
知り合いはだれもいないから、なんとはなしの世間話なども準備しなくていい。今年は、読みかけの英国の古典小説、お勉強したくなった文化人類学、いまだに手をけていない文庫数冊をもってきた。気分によって選んでみたい。もうすでにこれは、ミニマムな図書館だ。読書のあいだにはヘッドスパもしてもらう…。
窓の外には小高い森の稜線に、青い煙突、赤い鉄塔、茶色い病院が並ぶ。高いところにあってしかるべきのフォルムの向こう側からぼくはやってきた。今年もなんとかこの風景を眺めることができた。
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確かに、なんとなく嫌な数値は年と共にすこしずつ増えてきたが、まだぎりぎりボーダーラインにいる自分の現状についてはいかんともしがたい。健康か破滅か。選ぶのは自分しだいなのだ。
暖かい待合室には、なにもすることなくうつらうつらしている人たちが、流されるままのテレビを見ている。少しけだるい顔をしているけれど、自分の未来が少しでも良きことがあるようにと思っているのだ。どこかで海鳴りのようないびきがしてきた。
病院の待合室とはすこし違っていて、なにかしらの治療を受けにきているわけではないので、この待ち時間は、日常から離れることの出来る自由な時間。少なくともぼくは毎年、静かに本を読むことの出来るこの時間を好ましく思う。来年もこの日を迎えられるよう、するべきことをしよう、とは思うが、とりあえず一冊は読み終えたい。
二月はやっぱり待ち遠しい。健康診断がおわると、ぼくの誕生日がやってくる。
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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。