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2019年8月22日更新

いつまでも子を思う母心―七つ墓|地元の宝ありんくりん[5]

執筆:竹内章祝
モノレールの美栄橋駅のすぐそばに「十貫瀬(じっくゎんじ)」という木の生い茂った丘があります。別名、七つ墓とも呼ばれています。今回は、暑い夏にひんやりするお話です。

美栄橋駅周辺の歴史スポット

十貫瀬は、十貫のお金を岩の上に置き忘れたが、5~6年後にもそのまま残っていたことから名付けられました。また当時、丘には七つのお墓が並んでいたとされ、別名七つ墓とも呼ばれています。

飴を買う女

その昔、十貫瀬近くの菓子屋で一人の女性が飴を買いました。来る日も来る日も女性は飴を買っていきました。ところが…。不思議なことに彼女が払うお金はいつも、翌日になると紙銭(あの世のお金)に姿を変えてしまいます。

店の主人は不思議に思い、ある日、飴を買った彼女の後をつけて行きました。すると…。なんと彼女は飴を持ったまま七つ墓の中へす~っと消えて行きました。そこで主人が墓の中をのぞき込むと、なんとその女性は既に亡くなっていて、墓の中で横たわっていました。さらに、その女性のそばで、赤ちゃんが先ほど買った飴をしゃぶっていたのでした。

生まれた子を一人残して死んでいった母親が、子を守るために霊となって飴を買い与えていた、そのことを悟った店の主人はこの子どもを引き取り、大切に育てました。するとこの日以来、飴を買う女性の霊は現れなくなったそうです(諸説あり)。


引き裂かれた夫婦

ではここからは、十貫瀬周辺の情報を。

十貫瀬の丘から崇元寺橋方面に向かって走る一本の道路があります。この辺りは以前、ジックヮンジヌメー(十貫瀬の前)と呼ばれ、社交街が軒を連ねていたそうです。実はこの道、今から500年以上も前(1451年)の琉球王朝時代に、首里と那覇を結ぶために作られた「長虹堤」という全長1㌔㍍ほどの海中道路の跡なのです。川や海を渡れるよう堤防と石造アーチ橋で作られ、その美しさは「遠望すれば長虹のごとし」と謳われるほどでしたが、今では往年の姿を望むことはできません。

十貫瀬の裏側、ガーブ川を渡ると左手に緑ヶ丘公園があります。この公園の一角には張献功という韓国人陶工のお墓があります。この張献功、豊臣秀吉の時代に朝鮮半島から薩摩に連行された陶芸家で、1616年に琉球王朝の依頼で琉球にやってきます。彼は現在の泉崎に湧田窯(現沖縄県庁)を開き、琉球における陶芸の技術普及に努め、やちむんの基礎を築きました。

同時にやってきた2人の韓国人陶工は帰郷しますが、彼は「仲地麗伸」と名乗って琉球にとどまり、陶芸の発展に大きく貢献したのでした。

張献功はある女性に恋をし、王府の協力を得てその女性を伴侶としますが、実はその女性には既に夫がおり、半強制的に夫婦仲を引き裂かれ嫁ぐことになったのでした(諸説あり)。その女性はその悲しみを緑ヶ丘の高台から「瓦屋節」として以下のように詠っています。「瓦やづちのぼて 真南向かて見れば 島の浦ど見ゆる 里や見らぬ」(瓦屋の丘の頂に登り 南の方角を向くと故郷の村は見えるけど 貴方の姿は見えない)。この瓦屋節の歌碑が緑ヶ丘公園に残されています。

美栄橋周辺に行く際にはぜひ立ち寄って、いにしえの歴史を感じてみてください。

七つ墓の周辺地図​


 
十貫瀬
 
長虹堤跡

瓦屋節の歌碑


張献功の墓
 

 

執筆者

たけうち・あきのり
末期の沖縄病に感染した東京下町出身の人情派! 韓国や戦中のユーゴスラビアなど20年近くを海外で過ごし、沖縄に移住。沖縄地域通訳ガイド(韓国語)、通訳案内士養成研修講師など。
 

毎週木曜日発行・週刊ほ〜むぷらざ
「第1673号 2019年8月22日紙面から掲載」

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