彩職賢美
2018年11月29日更新
[彩職賢美]鍼灸師 琉球鍼灸網RAMN代表世話人の屋部加奈子さん|鍼灸を身近に
「医療に鍼灸の力を生かしたい」と話す鍼灸師の屋部加奈子さん(38)。県内で数少ない、病院で働く鍼灸師だ。「医療の現場は結果を求められる分シビアだが、鍼灸が担えることは多い。鍼灸師の活躍の場も広がる」と、医療従事者への啓発など、医療との連携に取り組んでいる。
医療との連携に取り組む
鍼灸師 琉球鍼灸(しんきゅう)網RAMN(ラムーン)代表世話人
屋部加奈子 さん
県内で、鍼灸を取り入れている医療現場は少ないという。屋部さんは、「鍼灸の効果を知ってもらいたい」と、来院患者へ施術前後の体調変化をアンケート。「手術後の痛みや加齢による痛みなど、痛みが引かない患者を中心に鍼灸を施術。ほとんどの方の痛みが軽減し、鎮痛剤を減らせました」。中には、膝の痛みが軽減し、車いす無しで歩けるようになった人もいるという。「『何をしたの』と驚かれました」と笑う。「痛みは人を精神的に追い込む。技術があることは大前提、気持ちに寄り添うことも大事にしています」。
「鍼灸で人と人をつなぎたい」と、3年前に琉球鍼灸網RAMN(ラムーン)を設立。医師向けの鍼灸セミナーや、県外の講師による鍼灸の勉強会などを開いてきた。「鍼灸の仕事について、知られていないことは多い。鍼灸網の活動を通して、後進の雇用の場につなげたい」という思いも後押しした。
「やると言ったら、やる。一生懸命やるのが、当たり前」と、テキパキと話す。バイタリティーは、人一倍だ。京都の大学卒業後、「高齢者医療に従事したい」と勤めた名古屋の鍼灸整骨院で、訪問鍼灸マッサージの基盤作りに携わる。顧客の開拓と施術のため、市内を車で走り回った。朝から晩まで無我夢中で働き、意識を失ったこともある。「理想はあったけれど、未熟で周囲とぶつかって孤立。患者さんとの距離の取り方も分からず、抱え込んでしまった」。
沖縄に帰り、2年間は「冬眠状態」に。その後、「医療から離れたい」と、ホテルでリラクセーションのマッサージを担当。大学時代、マッサージ師に弟子入りした経験が生きた。「成果報酬で、下手だと帰れ、と言われるけれど、結果が見えるのが楽しかった。お客さんへの言葉かけや会話など、細やかなコミュニケーションの取り方を学べました」。徐々に、「一回きりの施術でなく、医療として長く関わりたい」と思うようになるが、その後、結婚、出産。現場を離れた。
転機となったのは、離婚だ。当時、子どもは0歳と2歳。「子どもたちのために、独り立ちしないと」と決意し、すぐに勤務先となる病院を見つけた。両親の協力のもと、早朝に実家に子どもを預け、職場へ向かう日々が続いた。「病院で働き続けるためにも、鍼灸の必要性を患者さんにも病院側にも分かってもらわないといけない。結果を出すことを意識した」。患者は高齢者で、膝や肩、腰痛の人が多かった。結果を積み、現在も働き続ける。
離婚は大変だったが、得たこともあった。「それまでは一人ですべてやろうとしていたが、友人、知人、行政、弁護士など多くの人に助けてもらった。人に頼ろう、と思えるようになりました」
子どもたちは現在、7歳と9歳。手が離れるようになったため、積極的に県外の勉強会に参加し、妊婦や小児向けの鍼を学ぶ。「琉球鍼灸網の活動を続けていくためにも、今は自分の知識を深める時期、と決めています。県外で活躍する同業者の話を聞くと、刺激になる」
来月、イベントを主催する。「今までは専門家向けに活動していたけれど、今回は一般の方向け。県内で、これだけ大きな鍼灸のイベントは初めてだと思います」。思いと共に、行動が広がっている。
鍼灸を広めるために
写真は屋部さん提供
屋部さんは、3年前に琉球鍼灸網を設立。鍼灸師の仲間と、鍼灸を広めるための話し合いや、活動をしている。写真は定例会。その一環で、12月16日に「健康沖縄はりQフェスタ2018」を開催。県立博物館(那覇市)の講座室で、入場無料。県内外の鍼灸師による講演会や体験ブースもある。屋部さんは「私が鍼灸師になったのは、106歳で亡くなった祖母が鍼灸で体調管理を実践していたから。90代で海外旅行をするほど元気だった。健康管理に役立ててもらえたら」と話す。
https://www.facebook.com/kenko.okinawa.hariq.fes/
趣味は寺院巡り
写真は屋部さん提供
「お寺は落ち着くから好き」と屋部さん。小学6年生からディズニーランドよりもお寺派だったという。「一番好きなのは、京都の広隆寺です」。県外の講習を受ける合間に、お寺を巡るのが楽しみだという。写真は長谷寺(奈良県)。
屋部さんのハッピーの種
写真は屋部さん提供
Q.大切にしていることは何ですか?
何といっても、子どもたちですね。元々さばさばしていてせっかちな性格なのですが、子どもができて、待つことを覚えました。人は人、まあいっかと思えるように。できるだけ仕事場や仕事関係のイベントに連れていき、仕事を見せるようにしています。私も子どものころ、母の仕事場に連れて行ってもらい、「私のために頑張ってくれている」と思えました。うちの子も、「うちのお母さん鍼灸師なんだぜ」と友だちや先生に話してくれているようです。
PROFILE
やぶ・かなこ
1980年、那覇市生まれ。2004年、京都の明治鍼灸大学(現:明治国際医療大学)卒業。名古屋の鍼灸整骨院で、訪問鍼灸マッサージに携わる。06年に帰沖し、結婚、出産。沖縄協同病院を経て、とよみ生協病院、嶺井第一病院で働く。15年、琉球鍼灸網を設立。鍼灸の啓発や体験事業、医療従事者向けセミナーなどに取り組む。
[今までの彩職賢美 一覧]
撮影/比嘉秀明 編集/栄野川里奈子
『週刊ほーむぷらざ』彩職賢美<1319>
第1636号 2018年11月29日掲載