彩職賢美
2018年4月12日更新
[彩職賢美]宮古織物事業協同組合専務理事の神里佐千子さん|宮古上布は人生
30代半ばで宮古上布に出合い、「私から宮古上布を取ったら何も残らない。一生の仕事」と言い切る神里佐千子さん。「苧麻(ちょま)から手績(てう)みの糸を作り、織り上げる技術が宮古にはある。糸績みの技術にDNAが受け継がれている。今後も続けるには、どうしたらいいか」。糸の作り手や織り手の育成にかかわり、事業の継承・運営に取り組む。
宮古島編
島のDNA受け継ぎたい
宮古織物事業協同組合専務理事
神里佐千子 さん
宮古出身だが、宮古上布を知ったのは成人後。夫や子どもと共に東京から帰郷したころだ。病気・手術を経験し、「一般的な仕事は難しい。何か手仕事をしたい」と思っていた時期だった。母の知人に誘われて織物事業協同組合を訪ね、「見たこともない反物が人の手で作られている。宮古にそんな技術があるのか」と衝撃を受けた。宮古上布は、手で績んだ苧麻を織り上げた藍染めの織物で、薄くて軽い。
「宮古上布のことを知りたい」という思いに突き動かされ、図書館に通って調べた。
そこで思い出したのが、子どものころ、糸を紡いでいた祖母の姿だった。「祖母は目が見えなかったのですが、苧麻の糸を作っていた。宮古上布のことを知って初めて、その糸が何になるかが分かったんです」
組合の研修生になり、織る作業にのめり込んだ。「無心になって、嫌なことを考えずにすむ。子育てをしていて、病気も患った、苦しい時期だったからこそ、夢中になれた」。
麻や木綿の糸を使う「宮古織り」や「宮古麻織り」から始めて、6年後にようやく宮古上布を織るようになった。手績みで均一ではない糸を織り上げるのは高度な技術が必要だが、「難儀さが達成感につながって、やみつきになった」。
2000年、工房を開設し、織り手の育成に励む。その中で、「糸があってこその宮古上布」と気付いた。糸は原料となる苧麻の表皮から貝の殻で繊維を取り、細く割き、指先でよりつないだもの。すべて手作業で、熟練の技だ。「糸績みをするのは、おばあたち。高齢化で、どんどん作り手が減っている」と危機感を持った。
「作り手を増やしたい」と2001年、「宮古苧麻績み保存会」の設立に携わり、現在も苧麻績みの講座を行う。「年を取ってもできる仕事。今のうちに技術を身につけてもらい、いずれ作り手になってほしい。おばあたちは、『糸があると、さみしくないよ』と言うんです」。
宮古上布は現在、問屋からの注文に生産が追いついていない状況だ。神里さんは、宮古上布を盛り上げるには、後継者の育成と、事業として成り立たせる必要がある、と考えている。「織り手だけでなく、糸を作る人、染める人、織られた布の洗濯、砧(きぬた)打ち(砧で布をたたく仕上げ)をする人…。だれが欠けても完成しない。みんなが生活をしていけるよう、運営をしないと」と力を込める。そのためには、「現状維持では、継続は難しい。糸を守りながら、枠組みをどう広げるか。できることをみんなで考えていきたい」と今後を見据える。
600年の伝統を持つ宮古上布。その継承は軽くはないが、「いいことも悪いことも、何とかなると頑張ってきた。これからも何とかなるでしょう」と、大らかに前を向く。
宮古上布と出合って、32年。「周りから、こんなに大変な仕事はやめたほうがいいと言われたけれど、やめられなかった。ここまでハマるものは他にない。子どもたちにも、好きなことを探しなさいと言っています」。
東京で専業主婦をしていたころ、「自分にやれることは何か」を考えていた神里さん。言葉の端々に、一生の仕事を見つけた喜びがあふれていた。
宮古上布と草木染め
神里さんが織った宮古上布の着物(上写真)。宮古上布は、紺地に白の絣模様が特徴だ。「宮古上布は、軽くて涼しい。心配される洗濯はそんなにする必要はないし、シワはスプレーでのばせます。多くの方に、着てほしい」と神里さん。
上の写真2枚は草木染め。左は藍とフクギ染め、右はベニノキの実で染めたもの。ベニノキは、分けてもらった苗の木を自宅の庭に植え、収穫した実で染めた。「赤く染められる植物は貴重。庭にはシャリンバイやアイなどいろいろな植物を植えて、草木染めに使っています」。
宮古織物事業協同組合
0980-74-7480
5月3~5日 宮古で工芸市
5月3~5日、「第4回宮古の織物展 すだ~すぬぬ×島の工芸市」が、宮古島市伝統工芸品センターで開かれる。午前10時~午後5時(最終日は午後4時まで)。織物のほか、木工芸品、サンシンなど、宮古の工芸品がそろう。
<問い合わせ>
宮古島市伝統工芸品センター
0980-74-7480
神里さんのハッピーの種
Q.休みの日には何をしていますか
300坪の畑で苧麻を育てていて、休みの日には畑に行きます。仕事以外のことが、できないんです(笑)。畑は、夫にも手伝ってもらっています。織りで生活をするのは厳しかったのですが、夫のおかげで好きなことを続けられました。夫には、本当に感謝しています。
(写真は、神里さん提供)
PROFILE
かみさと・さちこ
1956年宮古島市出身。夫の仕事で東京へ行き、専業主婦、子育て。85年、宮古島へ帰郷。86年、宮古織物事業協同組合の研修生になる。2000年福樹工房を開設。01年、「宮古苧麻績み保存会」結成に携わり、12年会長に就任。09年~16年、県立宮古工業高校非常勤講師。17年から、宮古織物事業協同組合専務理事。
[今までの彩職賢美 一覧]
撮影/比嘉秀明・編集/栄野川里奈子
『週刊ほーむぷらざ』彩職賢美<1296>
第1603号 2018年4月12日掲載