彩職賢美リターンズ
2022年10月13日更新
[沖縄・輝く女性を紹介]彩職賢美リターンズ|沖縄空手道小林流大信館協会会長 沖縄県空手道連合会副会長の大城 信子さん|女性初の道場主 空手の魅力伝える
子どものころから「好きなことを突き詰めて、教える人になりたい」と思っていた大城信子さん(75)。28歳で始めた空手に熱中し、県内初の女性道場主となった。今年6月、女性で初めて県空手道連合会の副会長に就任。「奥深い空手の魅力を、さまざまな人に伝えたい」と指導に打ち込む。
沖縄空手道小林流大信館協会会長
沖縄県空手道連合会副会長
大城 信子さん
老若男女幅広く 障がい者も指導
28歳の時、師事していた琉球舞踊の先生に「足腰の鍛錬になる」と空手を勧められ、故・比嘉佑直先生の空手道場に入門しました。
当時空手をする女性はまれで、入門を許されたのは琉舞の先生の紹介があったから。佑直先生の道場は「鬼道場」と言われ、窓を閉め切った中で2~3時間稽古をするんです。扇風機もなく、ぽたぽた汗が落ちて湯気が立つ。水も飲めず、唾を飲んで稽古をしました。
先生は厳しくて、一度できたことができないと「ちるうせーとる(人をばかにしているのか)」と目が光る。先輩にも男女関係なくしごかれ、隠れて泣いたことも。周囲には「いつ辞めるか」と言われていました。でも、私は難しい状況ほど立ち向かいたくなるんです。指導の厳しさ以上に空手の奥深さに夢中になり、1年たたないうちに「いつか道場を持とう」と決めました。
当時離婚をして小さな娘がいたのですが、会社勤めを終えた後、母に娘を預けて道場に通っていました。日々の睡眠時間は4時間ほど。寝る間を惜しみ、家でも稽古に励みました。先生の「空手の技は円を描くように仕上げるものだ」という言葉に、大切なのは力だけじゃない、女性にもできる、と励まされました。
空手の神髄は型にあり、一つ一つの技に意味がある。型を徹底的に稽古することを大事にしています。攻撃でなく「受け」から始まる空手は、不要な戦いを避ける「自他共生」の教え。体を鍛え、護身術であると同時に、世界に誇れる平和の技術です。
20以上の習い事経て
コレだと思えた空手
子どものころから「好きなことを突き詰めて、それを教える人になりたい」と考え、20を超える習い事をしてきました。小中高はそろばんに打ち込み、沖縄代表に。その後も書道、生け花、お茶、着付け、ボウリング…。やると決めたらとことん集中して、これじゃないな、と思ったらすぐにやめる。その中で、空手は唯一「これだ」と思えたものです。
もともと根はウーマクー。小学生のころ柔道を習おうとしたのですが、女性だからと入会を許されず、家で弟や父に教わっていました。父が警察官だったこともあって小さなころから正義感が強く、弟が泣かされたら相手をやっつけに行きました。友だちをいじめた子も見逃せなくて。そうした性格だから、男性に交じって続けられたのかもしれません。武道は性に合っていたのでしょうね。
45歳で道場開き
6千人超に指導
45歳で念願だった道場を開きました。会社勤めをしながら仕事が終わった後、道場へ通いました。そのころ県内で空手道場を開いている女性はいませんでした。周囲からは「いなぐ(女性)が道場ってないよ」と言われたのですが、「道場は教育の場である」と考え、指導に励みました。道場では「空手は礼に始まり礼に終わる」の言葉通り、礼節を徹底して指導しています。彩職賢美に掲載されたのは道場を開いて5年、門下生が増えてきたころ。掲載後、さらに門下生が増え、教室に入らず外で稽古をしたこともあります。
多くの人に空手の魅力を広めたいと、道場では老若男女問わず、目の見えない人や耳の聞こえない人、発達障がいのある子といったハンディのある人も受け入れてきました。目の見えない人には手取り足取り、耳の聞こえない人には口の動きを読んでもらって指導。集団行動が苦手だった発達障がいのある子は、みんなと一緒に稽古ができるようになりました。道場は私にとって学びの場であり、子どもたちが社会に役立つ人材に育つことは大きな喜びです。
道場以外に、地域の保育園や小学校、老人施設へ行き、海外でも講師を務めました。これまでに教えた人は6千人を超えます。
世界各地で教え
予想超える人生
「空手を一生の仕事に」と思ってきましたが、始めたころはこんなに多くの人が女性である私を受け入れてくれるとは、思いもよりませんでした。若いころは東京に行くことが夢だった私が、空手を広めるために何度も海外へ渡航。世界各国の人と交流し、予想を超える人生を歩んでいることに驚いています。空手がなければ、普通の主婦だったでしょうね。
これからやりたいことは、少年少女の演武大会です。戦って1位2位を決める大会ではなく、みんなが参加できる発表の場を作りたい。子どもたちにとっていい経験になると思うのです。
「究道無限(道を求めることに限りはない)」の言葉通り、私自身まだまだ道半ば。100歳まで空手を続けます。
アルゼンチンで栄誉賞受賞
写真提供/大城さん
大城さんは空手を広めるために、オーストラリアやアルゼンチン、中国、ドイツ、アメリカなど世界各国を訪れた。中でもアルゼンチンには何度も訪れ、多くの人に指導した=下写真。2015年、そうした普及活動が評価され、栄誉賞を受賞=上写真。「最初のころは女性が指導…と驚かれたのですが、だんだん人が集まるようになって。賞をいただけるなんてびっくりしました」。
道場では礼節を重視
「道場は教育の場である」と考える大城さん。履き物をそろえる、大きな声であいさつをする、姿勢を正す、といった基本的な礼節の指導を徹底している。稽古後は、師匠の比嘉師の道場訓を全員で読み上げる。①けんか口論を避けよ②長上を敬い後輩をいつくしむ③道場の礼節を社会に及ぼす。大城さんのモットーでもある。
■沖縄空手道小林流大信館協会 電話090(4355)4469
撮影協力/沖縄空手会館
大城 信子さん
沖縄空手道小林流大信館協会会長
沖縄県空手道連合会副会長
[プロフィル]1947年大里村生まれ。66年那覇商業高校卒業。75年沖縄小林流空手道究道館比嘉佑直師に入門。93年に空手道場を開設。世界各国に渡航し指導。2015年にアルゼンチンで栄誉賞を受賞。22年6月、県空手道連合会の副会長に就任。現在、空手教士8段。
初登場の紙面(1997年6月5日号に掲載)
撮影/比嘉 秀明 文/栄野川里奈子
『週刊ほ〜むぷらざ』彩職賢美リターンズ<20>
第1836号 2022年10月13日掲載