1984-88年、ぼくは「六人組」の追っかけだった |新城和博のコラム|fun okinawa~ほーむぷらざ~

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新城和博

2020年7月7日更新

1984-88年、ぼくは「六人組」の追っかけだった |新城和博のコラム

ごく私的な歳時記Vol.73|首里に引っ越して20年。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、この20年も振り返りながら、季節の出来事や県産本の話題をつづります。

1984-88年、ぼくは「六人組」の追っかけだった

 1985年の夏、ぼくは「青い海」という雑誌社で仕事をしていた。その年の春、大学を卒業したぼくは一度内地で就職したが、ものの1カ月で辞めて沖縄に戻り、その後、新聞の求人欄でみた「青い海」の編集部になんとか入ることができ、雑誌作りのなんたるものもしらぬまま、編集者として働くことになった。まぁその「青い海」も3カ月後に無くなり、その後1年ほどアルバイト生活が続くのであるが……。またそれは別のお話。

その頃は原稿もほとんど手書きで、執筆者の原稿を受け取りに行くのがぼくの仕事であった。ネットどころかファクスも一般的でなかったのだ。そのなかで編集者として取材をまかせられたのが、間近にせまったピースフルラブ・ロックフェスティバルに出演するバンド紹介である。出演バンドに連絡し話を聞いて、わずか数行の文章をまとめる。そこで出会ってしまったのだ、「六人組」というバンドに。



当時、沖縄のバンドシーンは、ハードロックを主体とするコザの「オキナワン・ロック」が主流だった。そのなかで、1985年「NHKヤング・ミュージック・フェスティバル」全国大会に出場し「水辺の踊り」でグランプリを受賞した六人組のサウンドは、他の沖縄のバンドとは一線を画していた。「沖縄、東南アジア、中国のメロディーとリズムをポップスというジャンルの中でロック、フュージョンなどの音楽ととけあわせた六人組独自のサウンド。リズミック&ダンサブルな曲が主で、オリエンタルなメロディーを聞かせます。歌詞は全て日本語で、外国人にもアピールできるようなバンドになりたい」と宣言していた彼らとの出会いは、今の自分にも影響を与えている。こんなふうに沖縄を表現できるんだという可能性にぼくは歓喜した。簡単に言うとファンになったのだ。

その年のピースフルラブ・ロックフェスティバルに那覇代表という感じで出場した六人組のライブを見て、その後、ぼくは追っかけ状態で彼らのライブに通い詰めた。周りにもこんなすごいバンドがあると宣伝しまくり、自主制作のカセットテープを聞かせた。リーダーの国場幸順さんにも何度も話を聞かせてもらった。ちなみに当時メンバーは五人なのだが、観客を含めて「六人組」ということだった。

ぼくの追っかけは、2年ほど続いたのではないか。彼らは、全国のライブハウスツアーをへて、国際的なプロデューサーのもと、全国でのレコードデビューもほぼ決まっていた。

しかしそれから数年たって、彼らは全国デビューすることなく解散した。正式な音源は1枚もないまま。さまざまなアクシデントがバンドを襲ったらしい……。ぼくは次世代の沖縄を代表するバンドになるはずだと確信していたので、その後1990年代初頭の沖縄音楽ブームのなかに、六人組がいないのが残念でならなかった。あれは夢だったのか……。

リーダーの国場さん、ボーカルのミユキさん、ギターの矢野憲治さん、ベースの金城弘樹さんは、その後も音楽活動を続けて、ソロアルバムも発表された。ぼくは『水中庭園』『見果てぬ夢』といった個々のアルバムのライナーノーツを、当時のファン代表の気分で書かせてもらった。それでも、あの時代に六人組がデビューしていたらという気持ちはずっと心の中に秘めていた。手元には「六人組」の自主制作テープと、1986年頃の那覇のライブハウスで録音されたカセットテープ(音響スタッフが知り合いでひそかにもらったのだ)だけが残った。ほくはその後も、時折取り出しては聴いて、当時の可能性に思いをはせていた。取材や追っかけ時代に撮っていた彼らのスナップ写真と一緒に。

 

あの夏から36年たち、突然、六人組初の正式音源が、7月22日、リリースされることになった。当時から彼らを知るミュージシャン・プロデューサーの久保田麻琴さんが、85年の自主制作デモテープと86年の那覇・ウエストエンドでのライブテープをリマスターし、全国発売されることになったのだ。

実は、その音源となったのが、ぼくがずっと持っていた、あの2本のカセットテープなのである。メンバーもいまや手元になかったテープだったのだ。CD化の話があるということで国場さんから連絡があり、当時の写真とともに喜んでお渡しした。そして、そのアルバムのライナーノーツも書かせてもらったのである。これぞファン、追っかけ冥利(みょうり)に尽きる、真夏の夜の夢のような話ではないかしらん。

あの夏、ひとり浮かれて六人組のライブで不器用に踊っていた自分に何か声をかけてあげたい。アルバムのタイトルは『1984-88』だよと。

 

 『1984-88』六人組 
https://ave-cornerprinting.com/rokuningumi-05212020/
発売 ディスクユニオン 
 

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新城和博

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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。

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