44年目の同窓会にて|新城和博のコラム|fun okinawa~ほーむぷらざ~

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彩職賢美|沖縄の輝く女性にインタビュー

COLUMN

新城和博

2019年7月5日更新

44年目の同窓会にて|新城和博のコラム

ごく私的な歳時記Vol.62|首里に引っ越して20年。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、この20年も振り返りながら、季節の出来事や県産本の話題をつづります。



44年目の同窓会にて   

 ぼくが小学校を卒業したのは、1975年3月。それから44年たって、小学校の同窓会が初めて開かれた。厳密にいうと同期会か。8クラスというと今では大きいほうだろうが、当時も「マンモス校」のひとつとして数えられていた。小学校入学のとき、沖縄はまだ復帰前だった。小学4年のときに復帰を迎えて、卒業する年には海洋博が開かれた。うちの小学校の近くには、刑務所がまだあった。
 沖縄には「同窓会文化」と名付けたいほど、日頃から街角のあちこちの横断幕でその開催が知らされている。しかし、高校や中学の同窓会というのはよくあるけれど、小学校というのは珍しいかもしれない。
 ぼくは、よほどつらいことがあったのか、それとも過去をふり返らないタイプなのか、小学校の細々とした記憶がない。特に友だちの名前が出ないのだ。好きだった女の子の名前しか覚えていない。だから、同窓会の話しあいがあるということで、たまたま呼ばれていったら、集まった面々が誰なのか、分からなかった。他のメンバーは、同じ中学に行って、その後もモアイとかして、まさに幼なじみ的雰囲気を醸し出している。そのなかで話を合わせようとしたが、そもそも何組の誰々と紹介されても、よみがえるものがないのである。
 もしかして、ぼくは、みんなとは違う街に暮らしていたのではないか。もしくはパラレルワールド的に、違う次元の小学校に通っていたとか。そんな不安さえ浮かんだ。
 しかし集合写真を見たり、近況を聞いているうちに、少しずつ記憶のしずくがたまりはじめて、彼ら、彼女たちの表情のなかに、小学校時代の面影が揺らめきつつ浮かんできた。おそるおそる、あだ名で、または名前を呼び捨てにしたりして。



 同窓会言い出しっぺの彼らの献身的な準備のかいあって、城岳小学校26期生同窓会は80人ほど集まって盛況となった。ぼくは、ほとんど44年ぶりに会う友だちばかりだ。
 クラスごとのテーブルを眺めては記憶がよみがえるのを待つ。そのうちになぜか乾杯のあいさつなんかさせられたりした。
 時間がたつにつれ、細かい話はさておき、「友だちだったはずだ」というメンツを探し出し語り出す。昔話というより、お互いの近況について話していく。みんな小学校の記憶は、僕ほどではないが、うっすらなのかもしれない。あの頃は……と懐かしむ以上に、いろんな人生を歩んできた僕たちが再会できたという、ちょっとした奇跡を祝ったほうがいいのだろう。気がつけば、立食パーティーだったはずの会場は、クラスごとのテーブルに椅子を引き寄せて、まるで結婚式のような雰囲気になっている。寄る年波とはこのことか。
 参加者全員がひとことふたこと、舞台に上がってあいさつをした。孫が8人いる、という話にもびっくりしたが、「今、娘は2歳です」というのには感動した。

 どうしてこうも同窓会が多いのだろうか、と不思議に思うのだが、この年になると昔をふり返るということよりも、これからどこまで歩いていけるのかという、それぞれの未来を見つめるためのものかもしれない。この街で暮らしていくかぎり、また出会える未来はあるのだ。
 同窓会の翌日、母校の小学校は創立70年を迎えた。さかえいくなはのみなとのあさぼらけ~……。




 

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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。

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