「小川会の袋小路と台北の長屋」|新城和博のコラム|fun okinawa~ほーむぷらざ~

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COLUMN

新城和博

2019年3月8日更新

「小川会の袋小路と台北の長屋」|新城和博のコラム

ごく私的な歳時記Vol.49|首里に引っ越して20年。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、この20年も振り返りながら、季節の出来事や県産本の話題をつづります。

すべての路地はつながっているようだ。街をこえ、国をこえ、時間をこえて。

那覇・石嶺町かいわいの小さな住宅地を初めて歩いた。石嶺町は首里地区のなかでも、浦添・西原に接している境界線のまちというイメージがある。かつては西原間切だったし。趣味のまち歩きでも、あまり意識したことがなかったのだけど、ふとしたことから気になった、とても小さな裏道を曲がってみたのだ。人生と旅は、すこし曲がったところから始まる。
石嶺入り口と呼ばれるあたりのスーバーマーケットの裏、斜面と細くつづく用水路にまたがった、少し古びた風情の住宅エリア。意外なことに通り会があった。その名も「小川会」。用水路を囲んだ塀に掲げられていたのは「ここの道路は袋小路に付き車の通り抜けはできません」の注意書き。



袋小路という言葉にぐっとくる。じぶんのことを言われてどきっとした感じ。通り抜けはできないけど、行ってみたくなる。徒歩だから。
徒歩五分ほどで、確かに行き止まった。自宅がある人たち以外足を踏み入れないだろう。用水路沿いにどこか抜け出ることが出来るかもと思い、さらに足をのばしたが十二歩ほどであきらめる。完全に袋小路。なんかすてき。こんな昼間に袋小路だなんて、どこにもたどり着けないなんて。

この袋小路の住宅地を小川会と名付けたとき、ここの住民は何を思ったのだろう。ぼくは、つい用水路と書いてしまったが、小さな小川を挟んでぎゅぎゅっとつまった住宅地は、どこからも隔離されたかのような秘密の場所、隠れ里のような雰囲気があった。
というのもすぐに目についたコンクリート瓦家の、コンクリート塀に描かれていたのは北欧の風景。深い雪景色で、よくみたら小川に石橋が架かっている山間の風景なのだ。石嶺と北欧。メルヘンではないか。こんなところで世界はつながっているのだなぁ。



二週間後、ぼくは台北の路地裏を散歩していた。那覇を100倍くらい大きくしたような町並み、市場通り、朝市と夜市が、どこまでも続く。初めて歩いてるくせに、きっとどこかにつながっている心づもりでてくてくと住宅地のなかを歩いていった。土曜日なのでいつもはたくさんある朝のコーヒー屋さんもお休み。ひとけも少ない。年季の入った団地をぬけ、古びた長屋が並んでいる路地を前にして、すこし悩む。ここは袋小路か。
ふと小川会の北欧の景色を思い出す。この通りを抜けていくと石嶺の袋小路につながったりして。そんなことはないけれど、そうなってもいいんだよ、という気持ちで朝の台北のまちをさらにすたすたと歩いた。 



すべての路地はつながっているようだ。街をこえ、国をこえ、時間をこえて。

新城和博

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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。

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