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新城和博

2024年6月11日更新

別れを告げない-リブロ、文教図書の思い出|新城和博さんのコラム

ごく私的な歳時記Vol.117|首里に引っ越して20年。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、これまでの概ね30年を振り返りながら、季節の出来事や県産本の話題をつづります。

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自分の歳のせいなのか、ここんところ「閉店します」「閉店しました」「誠にありがとうございました」という街角の張り紙ばかり目についてしまう。いや、あきらかに長年にわたり私たちが愛用してきた老舗が次々と姿を消していく頻度が例年以上に高くなっている。

時代の節目というのは、大きな事件や事故や政治体制の変化、戦争や天災によるものだけではなく、こうした街の一角の変化のさざ波が続くことで、ひしひしと感じるものだと知った。カマボコ屋、肉屋、お菓子屋、そして本屋。それぞれ理由は少しずつ違うけれども、みんな同じ時代を併走してきたということは、さよならをして、ようやく実感する。

 

リブロリウボウブックセンター店が閉店したのは2024年5月31日のこと。日本全国で街中の書店や郊外の独立店舗が減少している。その書店業界の大波は沖縄にも押し寄せてきて、ここ数年の書店の閉店ラッシュには、職業・ローカル出版編集者、趣味・読書のぼくとしては悲鳴をあげまくっていたが、リブロの閉店には言葉を失ってしまった。

戦後沖縄の書店の代表であった文教図書の廃業にともない、その業務を受け継ぐべく全国チェーンのリブロがデパートリウボウの7階に出店したのが、2003年のこと。以来、21年間にわたり百貨店の本屋として続いたリブロが閉店するという知らせには、うっちんとーせざるを得ないのである。うっちんとーとは、うつむいて意気消沈してしまうこと。復帰前から21世紀を越えて続いた文教図書・リブロという大きな流れがここで途絶えてしまうということだからだ。

文教図書の閉店からリブロの閉店にいたるまで、いったいどれだけの本を納品してきただろう。沖縄の出版社の多くは自分たちで沖縄各地の書店に直接納品してきた。主に那覇地区の新刊配本を担当することが多いぼくは、そのつどリブロに出来たての新刊を納品してきたのだ。



午前中、できるだけ車が混雑しないうちに、リウボウの納品専用口からエスカレーターで7階へ、そして専用口からフロアに入り、リブロへ納品する。その日のうちに、沖縄・郷土コーナーに並べられる本を、ぼくたちは「沖縄県産本」と呼んでいた。その棚を丁寧に整えてくれた歴代の書店員さんのことも、注文をくれたお客さんも、並べられた自分の本を眺める著者の姿も、刻まれた記憶はいろいろある。沖縄の出版人としての最大の思い出は「沖縄県産本フェア」を21回にわたり、この店舗で開催したことだろうか。

最後に新刊を納品したのは5月に入ってからだ。閉店する前に少しの期間でもいいからリブロに並べてほしいという著者たっての希望だった。那覇の市場にある小さな古本屋店主が書いたその本のタイトルは『すこし広くなった』。著者とともに挨拶まわりをして、著者直筆の色紙も置いてもらった。

閉店にともなう業務はたくさんありそうだった。できるだけジャマにならずに、でもできるだけ置いてもらったぼくたちの県産本だったが、閉店のすこし前に引き上げることになった。がらんとした沖縄・郷土本コーナーを眺めて、なんだかいろんなことが夢だったような気がする。そのコーナーの上に設置されていた看板は廃棄されるだろうときいて、ふと思いつき、譲ってもらった。沖縄県産本フェアのときに作った看板である。これさえあれば、またいつかどこかの場所で沖縄県産本フェアができるかもしれない。それまでは文教図書の思い出、リブロの思い出に、別れを告げることはないだろう。
 

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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。

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