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新城和博

2021年5月11日更新

それぞれのヤングおおはら|新城和博のコラム

ごく私的な歳時記Vol.83|首里に引っ越して20年。「ボーダーインク」編集者でライターの新城和博さんが、この20年も振り返りながら、季節の出来事や県産本の話題をつづります。

首里には、結婚を機に引っ越した。その年に子どもが生まれて、儀保町で15年間ほど過ごした。うちの娘の故郷の風景は儀保十字路かいわいといっていいだろう。しばらくして工事が始まり、ゆいレール儀保駅が出来た。それから首里駅近くの鳥堀町に引っ越しして十年はたっただろうか。散歩がてら儀保を通ると、家族3人の小さな泣き笑いの日々を思い出して、なんともいえない気持ちになったりする。そのころ借りていた家はまだあるのだけど、この十数年で街角の風景はずいぶん変わった。

あの頃、儀保十字路かいわいにはいろんなお店があった。スーパー、ストア、商店、まちや小(ぐゎー)、居酒屋、たこ焼き屋、刺し身屋(魚屋さんのことね)、精肉店、薬屋、眼鏡屋、喫茶店、もち屋、ああそうだペット屋さんもあったなぁ。病院、銀行、そしてたくさんの予備校たち。そのなかで特に思い出深いのは、去年閉店した玉那覇ミートと、先月閉店したスーパー「ヤングおおはら」だ。



ヤングおおはらは、まさに十字路の一角にあった。スーパーマーケットとしては小さな部類に入る規模で、野菜や豆腐、牛乳などのその日必要な最小単位としての食料品と日常雑貨品があった。精肉、生魚のコーナーもあったけどそちらを利用した記憶はない。夕方には予備校生たちのための軽食が並んでいた。普段使いの、ご近所と予備校生たちにとっては、儀保十字路のシンボルといっていい存在だ。

さっと家から歩いていける距離で、うちの子どもの「はじめてのおつかい」はこの店でした(後ろから気づかれないようにしてその様子をのぞいていたのだ)。レジには、寡黙だがかすかな笑みをたたえたパンチパーマテイストのおじさんがいて、毎週コーヒー牛乳を取り置きしてもらったり、子どもが熱を出してなかなか下がらなかったときに、近所に、ターイユを売っている家を妻に紹介してくれた。

ターイユは、熱を冷ますのに効くといわれている鮒(ふな)のこと。煎じた汁が熱冷まし、養生の薬とされる沖縄の民間療法だ。独特の生臭さがあり、いやとても臭くて、ぼくは小さい頃は苦手であった。那覇の市場でも普通に売られていたけれど、いつのまにか存在を忘れていた。しかし儀保の住宅地の一角の、小さな井戸のような生け簀(す)で、熱が下がらない子どもを心配する母親のために、ターイユは飼育されていた。ぼくらにとって儀保町はそんなところだった。

ヤングおおはらのことは、いつもこのターイユのエピソードとともに思い出す存在だった。ところがこの4月をもって閉店すると知り、その最終日ぼくは散歩がてら寄ってみた。

実はヤングおおはらはチェーン店で、那覇の小禄に数店舗あったそうだ。しかしまったくそのことを知らず、数年前に沖縄の若手のロックバンドに「ヤングおおはら」という名前を見つけて、おおーっと思ったのだけど、それは小禄の方にある店が名前の由来らしかった。小禄の方はすでに閉店していて、その際にはそのバンドのメンバーたちのメッセージが店内に張られていて感動を呼んでいたらしい。それも知らなかった。でも小禄の人もぼくと同じようにきっと儀保のヤングおおはらのことを知らないと思うな。



儀保のヤングおおはらの店内はすでに閑散としていて、残り少ない商品がうす暗い店内のなかで所在なさげに並べられていた。寡黙なほほえみのおじさんはレジにいなかったが、店番のおばちゃんにひとこと、昔近所に住んでいてとてもお世話になったことを伝えた。もう30年近くやっていたが、その前もここはスーパーだったそうだ。そんな歴史があったんだ。建物が老朽化して解体が決まっているので、台風シーズン前に店じまいすることにしたという。ヤングがオールドになったのか。店内の写真を撮らせてもらった。かつて、ここの棚にぎっしりといろんな商品が詰まっていたことは忘れないでおこう。年をとるとなんでも「つい昨日のことのよう」になってしまう。



店を出て、「儀保十字路のヤングおおはらが今日で閉店です。ごくろうさま」とその場でSNSに写真とともにツイートした。するとびっくりするくらいいろんな人がリツイートして、いろんな思い出をつぶやいていた。やっぱりみんなそれぞれのヤングおおはらがあったのだ。そのつぶやきをまとめるだけでも「儀保十字路ものがたり」ができそうだった。
 

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ライター/編集者
1963年生まれ、那覇市出身。沖縄の出版社「ボーダーインク」で編集者として数多くの出版物に携わるほか、作詞なども手掛ける。自称「シマーコラムニスト」として、沖縄にまつわるあれこれを書きつづり、著書に「うちあたいの日々」「<太陽雨>の降る街で」「ンバンパッ!おきなわ白書」「道ゆらり」「うっちん党宣言」「僕の沖縄<復帰後>史」などがある。

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