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2020年6月4日更新

姉妹がつづった介護日記から-1ー

 介護の始まりは突然だった。2005年に母・玉城秀さんが脳梗塞で倒れ、寝たきりになった。16年2月まで10年間余、介護をしたのは糸満市の大城恵子さん(75)、新城幸枝さん(61)、森山千沙代さん(59)姉妹。倒れた当日から書き始めた、55冊にものぼる介護日記を元に、その体験を語ってもらった。

突然始まった母親の介護


脳梗塞で倒れて約3年後、85歳祝いの記念写真(2008年4月撮影)。
倒れて2カ月ほどは表情もなかったが、こんな穏やかな笑顔も見せるようになった。
後ろ左から四女の千沙代さん、三女の幸枝さん、長女の恵子さん


 
 「17年(2005年)7月2日(土)朝11時20分頃、台所で母倒れる」。
介護日記の最初のページには、長女・恵子さんの字でそう記されている。
 当時、母・秀さんは81歳。脳梗塞だった。医師からは「年内、持たないでしょう」と言われた。
だが、秀さんは2016年2月まで10年以上生きた。自力で歩くこと、会話をすることはできなくなったが、うれしい時は、動かすことができた左手でカチャーシーを踊った。「イケメンのデイケア職員を、愛用の手鏡で映しながら見ていることもあった」と三女の幸枝さんは笑う。85歳のお祝いでは、娘たちともに最高の笑顔で写真に納まった。

 介護日記は実に55冊に及ぶ。「お茶のゼリーを舌にのせたが、口の動きがない」「元気になったせいか鼻のチューブを抜こうとするらしく、縛られていた」「床ずれが2か所ある」「アロマの効果か、快適そうな感じ」「1年半ぶりに晴れて退院」「おやつをはらいのけるので、もしやとおむつを開くと同時に便のもよおし」「胃ろうより水分350〓注入」「歯磨きをいやがる。口をあけてくれないので時間がかかる」など、秀さんの様子が赤裸々につづられている。

10年余りで55冊にのぼる介護日記。母親の状態や食事内容などが書かれている

 3人の娘だけでなく、介護に携わったヘルパーさんや看護師の字もある。恵子さんは、「日記のおかげで、介護に携わる皆が、母の状況を把握することができた」と話す。


オムツ替えで「自覚」

 突然始まった介護。最初は戸惑いしかなかった。
「母は言いたいことは率直に言う、奔放な人だった(笑)。でも情は深かった。いつまでもそんな元気な母がいると思っていた」と四女の千沙代さん。
 
 倒れたその日からオムツが欠かせなくなった。恵子さんは「下の世話なんて絶対にできないと思っていた。でもそれを乗り越えて、丁寧にかつ徹底的にやることで『私たちが母を守るんだ!』という自覚が芽生えた」と話す。
 幸枝さんも「おむつ替えは介護の重要なポイントだった。家族がそれを進んでやれるかどうかで、施設や病院との関係が変わる。おむつ替えができないと、施設に『やってもらっている』という引け目になり、要望も言えなくなる」と声をそろえる。
 
 倒れて1年半ほどは入院していたが、その後約10年は長女の自宅での介護となった。「3人いたからできた」と千沙代さん。あるとき、姉2人が入院や骨折をして1人で母親の介護をした時期があった。「その時は病院に預けたけど、負担は相当なものだった。世の中には一人で背負っている人もいる。でも周囲に助けを求めないと介護する人も、される人もつらいと思う」と話した。

 

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