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2020年6月4日更新
姉妹がつづった介護日記から-2ー
2005年7月に脳梗塞で倒れた玉城秀さん(当時81歳)。寝たきりになった秀さんの介護をしたのは長女・大城恵子さん(75)、三女・新城幸枝さん(61)、四女・森山千沙代さん(59)。秀さんは1年半の入院の後、退院。2016年2月に亡くなるまでの約10年間は自宅介護だった。長い介護生活のようすを、姉妹が書きためていた55冊の日記を元に振り返る。
約10年間の自宅介護 母を思い「諦めない」
玉城秀さん(享年92)3人の娘に支えられ闘病
脳梗塞で倒れた玉城秀さん(手前)を約12年間、介護した姉妹。
左から長女の大城恵子さん、三女の新城幸枝さん、四女の森山千沙代さん(2014年4月4日撮影)
長女・恵子さんが母の介護で指標としたのは、「自分が『される側』ならどうしてほしいか」。自宅介護を決意したのも、「私なら、家で過ごしたい」から。
秀さんは脳梗塞で倒れてから話すことができなくなり、自力で動かせるのは左手だけになった。「母は意思表示が難しいので、たくさんの患者さんがいる病院より、私たちの目が届くところにいる方が安心できると思った」。
2006年12月、秀さん退院。しばらくは秀さんの自宅で介護をしていたが、住居が2階にあり移動が大変だったことから、大きな決断をする。「私と四女・千沙代の二世帯住宅を建て、そこで母を介護することにしました」。07年12月、家が完成。近くに住む三女・幸枝さんと3人で自宅介護を始めた。
昼はデイサービスも利用。夜は3人が交代で秀さんのそばで寝た。千沙代さんは「2~3時間おきにオムツをチェックするようにしていました。だけど、目が覚めると母が顔まで便まみれになっていたこともあった。汚れたオムツが気持ち悪くて手で触り、それを拭おうとあちこちにこすりつけてしまうんですよ」と当時を振り返る。
胃ろうから経口食へ
自宅介護では、胃ろうからの経管栄養も併用しながら「1日に2食はミキサー食を食べさせてあげることを心掛けました」と幸枝さん。日記には、毎食のメニューが細かく書かれている(一部を左で紹介)。
実は、倒れて3カ月後に胃ろう手術をした秀さん。そのときは、もう口から食べるのは無理かと思われていた。だが、「食いしん坊だった母に、なんとか口から食事を味わってもらいたかった。諦めたくなかった」。
入院中、言語聴覚士から口腔ケアや嚥下の訓練方法の指導を受け、実践。「最初はゼリーすら飲み込めず、ずっと口の中に残ったままでした」と話す。口に食べ物を入れては取り出す、を繰り返すうち「ある日、好物だったカレーをごっくんと飲み込んだんです! 病院と相談して、まずは1品からミキサー食も作ってもらって。少しずつ口から食べる量を増やしていきました」と千沙代さん。
自宅介護になってからも口からの食事を重視。メニューは「家族と同じ食事をミキサー食にしていた。形が見えないので彩りよくすることを意識しました」と幸枝さん。恵子さんは「栄養バランスを考え、『まごわやさしい』の食材を入れるように心がけました」と話す。
※ま=豆類、ご=ごま、わ=わかめ(海藻類)、や=野菜、さ=魚、し=シイタケ(きのこ類)、い=イモ類
ある日の秀さんの食事
2014年4月29日の夕食
(手前から時計回りに)
・春菊ポタージュ
・カレー(豆腐入り)
・スズキケチャップ煮
・もずく卵炒め
・玄米がゆ
・デザート(バナナ、オレンジ、 リンゴ)
同年5月2日の朝食
(手前から時計回りに)
・コールスロー(赤パプリカ、 豆乳入り)
・コーンスープ
・もずく卵焼き
・黒ニンジン根菜煮
・デザート(リンゴ、ミカン、豆乳)
・玄米がゆ
同年5月7日の昼食
(手前から時計回りに)
・ぶり大根
・ドゥルワカシー
・昆布とかんぴょうのひき肉煮
・酵素玄米がゆ
・フレッシュトマト
・ホウレンソウポタージュ
食後 口腔ケア欠かさず
恵子さんは「母は唾液が出にくく、口腔内で菌が繁殖しやすかった。菌が肺に入って肺炎になると命に関わる。毎食後に口腔ケアを行いました」と話す。
口腔用のスポンジを使ったり、指に専用のガーゼを巻き付けてケアを行った。脳への刺激になると聞き、氷を使っての口内マッサージもした。「途中、かみつかれることも度々ありましたが、負けずに丁寧にやりました」と話す。「言語聴覚士さんと相談し、嚥下をしやすくするための頬や首筋、のどのあたりのマッサージもマメに行いました」
入浴はほぼ毎日
お風呂はデイサービスで入れてもらったり、それ以外の日は自宅で入れていた。
「ほぼ毎日、入浴させていました。入浴のさせ方や着替えのさせ方は、母が入院しているときに、看護師さんから習いました」と幸枝さん。普段はシャワーキャリーに座らせてシャワーのみ。幸枝さんが当番のときは湯船にも入れて「体をマッサージしてあげていました」。
千沙代さんは「滑らせないように気をつけた。特におしりを洗うときは注意が必要。せっけんが付いていると滑る可能性もありますから」と話す。
オムツは惜しまず使う
日記にはオムツチェックの頻度も記されている。1日8回~10回はチェックし、排せつの有無や状態まで記入。「排せつは健康のバロメーター。日記に書くことで家族だけでなく、ヘルパーさんなど全員が母の状態を把握することができた」と千沙代さん。
オムツ替えもマメに行った。恵子さんは「介護を始める前は、『できない!』と思っていたけど、すぐ慣れた」と言い、幸枝さんも千沙代さんも大きく頷く。
「オムツや尿取りパッドは惜しまず使いました。母に不快な思いをさせたくなかったのと、放置すると肌がただれてしまうから」と恵子さん。
とはいえ、日記には大変さが垣間見える一文も。『(2014年6月14日)オムツ交換の時、動きが激しく、オムツの位置が定まらない。育ち盛りの幼児の様…。力もあり過ぎる。(負けそう!)』
恵子さんは「もちろん苦労はありました。でも母と外食したり、ショーを見に行ったりと、楽しみを共有しながらの介護生活だったから頑張れた。閉じこもりっきりでなかったのが良かったと思う」と話す。
玉城秀さん(享年92)3人の娘に支えられ闘病
脳梗塞で倒れた玉城秀さん(手前)を約12年間、介護した姉妹。
左から長女の大城恵子さん、三女の新城幸枝さん、四女の森山千沙代さん(2014年4月4日撮影)
長女・恵子さんが母の介護で指標としたのは、「自分が『される側』ならどうしてほしいか」。自宅介護を決意したのも、「私なら、家で過ごしたい」から。
秀さんは脳梗塞で倒れてから話すことができなくなり、自力で動かせるのは左手だけになった。「母は意思表示が難しいので、たくさんの患者さんがいる病院より、私たちの目が届くところにいる方が安心できると思った」。
2006年12月、秀さん退院。しばらくは秀さんの自宅で介護をしていたが、住居が2階にあり移動が大変だったことから、大きな決断をする。「私と四女・千沙代の二世帯住宅を建て、そこで母を介護することにしました」。07年12月、家が完成。近くに住む三女・幸枝さんと3人で自宅介護を始めた。
昼はデイサービスも利用。夜は3人が交代で秀さんのそばで寝た。千沙代さんは「2~3時間おきにオムツをチェックするようにしていました。だけど、目が覚めると母が顔まで便まみれになっていたこともあった。汚れたオムツが気持ち悪くて手で触り、それを拭おうとあちこちにこすりつけてしまうんですよ」と当時を振り返る。
胃ろうから経口食へ
自宅介護では、胃ろうからの経管栄養も併用しながら「1日に2食はミキサー食を食べさせてあげることを心掛けました」と幸枝さん。日記には、毎食のメニューが細かく書かれている(一部を左で紹介)。
実は、倒れて3カ月後に胃ろう手術をした秀さん。そのときは、もう口から食べるのは無理かと思われていた。だが、「食いしん坊だった母に、なんとか口から食事を味わってもらいたかった。諦めたくなかった」。
入院中、言語聴覚士から口腔ケアや嚥下の訓練方法の指導を受け、実践。「最初はゼリーすら飲み込めず、ずっと口の中に残ったままでした」と話す。口に食べ物を入れては取り出す、を繰り返すうち「ある日、好物だったカレーをごっくんと飲み込んだんです! 病院と相談して、まずは1品からミキサー食も作ってもらって。少しずつ口から食べる量を増やしていきました」と千沙代さん。
自宅介護になってからも口からの食事を重視。メニューは「家族と同じ食事をミキサー食にしていた。形が見えないので彩りよくすることを意識しました」と幸枝さん。恵子さんは「栄養バランスを考え、『まごわやさしい』の食材を入れるように心がけました」と話す。
※ま=豆類、ご=ごま、わ=わかめ(海藻類)、や=野菜、さ=魚、し=シイタケ(きのこ類)、い=イモ類
ある日の秀さんの食事
2014年4月29日の夕食
(手前から時計回りに)
・春菊ポタージュ
・カレー(豆腐入り)
・スズキケチャップ煮
・もずく卵炒め
・玄米がゆ
・デザート(バナナ、オレンジ、 リンゴ)
同年5月2日の朝食
(手前から時計回りに)
・コールスロー(赤パプリカ、 豆乳入り)
・コーンスープ
・もずく卵焼き
・黒ニンジン根菜煮
・デザート(リンゴ、ミカン、豆乳)
・玄米がゆ
同年5月7日の昼食
(手前から時計回りに)
・ぶり大根
・ドゥルワカシー
・昆布とかんぴょうのひき肉煮
・酵素玄米がゆ
・フレッシュトマト
・ホウレンソウポタージュ
食後 口腔ケア欠かさず
恵子さんは「母は唾液が出にくく、口腔内で菌が繁殖しやすかった。菌が肺に入って肺炎になると命に関わる。毎食後に口腔ケアを行いました」と話す。
口腔用のスポンジを使ったり、指に専用のガーゼを巻き付けてケアを行った。脳への刺激になると聞き、氷を使っての口内マッサージもした。「途中、かみつかれることも度々ありましたが、負けずに丁寧にやりました」と話す。「言語聴覚士さんと相談し、嚥下をしやすくするための頬や首筋、のどのあたりのマッサージもマメに行いました」
入浴はほぼ毎日
お風呂はデイサービスで入れてもらったり、それ以外の日は自宅で入れていた。
「ほぼ毎日、入浴させていました。入浴のさせ方や着替えのさせ方は、母が入院しているときに、看護師さんから習いました」と幸枝さん。普段はシャワーキャリーに座らせてシャワーのみ。幸枝さんが当番のときは湯船にも入れて「体をマッサージしてあげていました」。
千沙代さんは「滑らせないように気をつけた。特におしりを洗うときは注意が必要。せっけんが付いていると滑る可能性もありますから」と話す。
オムツは惜しまず使う
日記にはオムツチェックの頻度も記されている。1日8回~10回はチェックし、排せつの有無や状態まで記入。「排せつは健康のバロメーター。日記に書くことで家族だけでなく、ヘルパーさんなど全員が母の状態を把握することができた」と千沙代さん。
オムツ替えもマメに行った。恵子さんは「介護を始める前は、『できない!』と思っていたけど、すぐ慣れた」と言い、幸枝さんも千沙代さんも大きく頷く。
「オムツや尿取りパッドは惜しまず使いました。母に不快な思いをさせたくなかったのと、放置すると肌がただれてしまうから」と恵子さん。
とはいえ、日記には大変さが垣間見える一文も。『(2014年6月14日)オムツ交換の時、動きが激しく、オムツの位置が定まらない。育ち盛りの幼児の様…。力もあり過ぎる。(負けそう!)』
恵子さんは「もちろん苦労はありました。でも母と外食したり、ショーを見に行ったりと、楽しみを共有しながらの介護生活だったから頑張れた。閉じこもりっきりでなかったのが良かったと思う」と話す。