彩職賢美リターンズ
2020年1月16日更新
[彩職賢美リターンズ]琉球大学医学部付属病院 周産母子センター 教授の銘苅桂子さん|女性医師の道を切り開く
彩職賢美に出た人が再登場する「彩職賢美リターンズ」。4回目は、琉球大学医学部付属病院で産婦人科医として、子宮筋腫などの腹腔鏡下手術や不妊治療の体外受精に携わる銘苅桂子さん。3人の子育てをしながら同大で医局長となり、働き方改革を推進。2019年12月には全国でも数少ない女性教授となった。「後輩へ道を切り開きたい」という思いが銘苅さんを動かしている。
琉球大学医学部付属病院
周産母子センター 教授
銘苅桂子 さん
子育ては反省ばかり
20年かけて働き方改革
大学6年生で第一子を妊娠。大きなおなかで卒業試験を受けました。国家試験の受験は、長女が3カ月のころ。同期と一緒に医者になるものと思っていたので、休む選択肢は頭になかったですね。
大学卒業後の研修医時代はとにかく必死。朝6時に家を出て深夜12時に帰る生活で、泊まりの当直や急な呼び出しもあり、娘の寝顔しか見ていません。周囲は男性ばかりで、同じように働きました。母乳は数週間で止まりました。
長女の4年後、2人目を出産。次こそ育児をと思っていたのですが、人が不足していて産後3カ月で復職。仕事を優先できたのは、周囲のおかげです。義母は子ども好きで自分の子のように育ててくれて、夫は調理師で料理もしてくれる。家族には感謝しかありません。子育ては、反省ばかりです。
大学病院を辞めようと思ったことは、何度もありますよ。一番苦しかったのは2人目の産後。当直ができなかったため、半年間無給に。昨今問題になった無給医状態でした。何よりもつらかったのは、どんなに働いても育児中の女性医師が一人前として認められなかったことです。
でも、仕事は大好きだし、逃げるのは悔しい。頑張ればいつか変わる、と思って仕事に打ち込みました。彩職賢美に出たのは、そのころです。状況を変えるのは、20年かかりましたけどね(笑)。
3人目を出産後 育児をしようと決意
36歳で3人目を出産後、今度こそ育児をしようと決意。半年育休を取得し、その後の3カ月は6時間の時短勤務に。ようやく子どもと関わることができたんです。そこで、子育てがこんなに素晴らしいものだったのかと気付きました。患者さんの痛みや思いに、より共感できるようになり、仕事の許容範囲が広がったように思います。
43歳で医局長になり、子育ての素晴らしさを女性にも男性にも味わってほしいと、働き方改革に取り組みました。女性医師が増えたことや仕事を任せられる後輩が増えたこと、働き方改革の波も追い風になりました。
具体的には、朝の会議の開始を8時から8時半にしたんです。以前は7時半には出勤する必要があり、子育て中の人には厳しかった。周囲から反発もあったのですが、会議、手術、外来と担当を分担して会議はメールで共有することにして、労働時間を短縮しながらスムーズに業務ができるよう調整しました。
今は「明日できることは、明日やろう」が口癖です。とは言っても患者さん最優先なので、週に1日定時で帰れたらいいほう。それでも、職場の意識や雰囲気はだいぶ変わりました。昨年12月には教授に就任。現場が好きなので悩んだのですが、「後輩のロールモデルになれたら」と引き受けました。
女性は育児か仕事か、選択を迫られたときに育児を優先することが多いけれど、仕事も生きがいになる。私はキャリアを積むことで、念願だった女性医師の働きやすい環境作りに取り組めました。
友人、子、母のように患者さんに近い立場で
実は2人目を出産後、大学病院を離れたこともあるのですが、勉強がしたくて戻りました。大学病院は、やりがいが大きいんです。難しい症例の患者さんが多く、一人一人に合わせて文献や手術法をじっくり調べて会議で話し合って、手術のトレーニングをする。そうしたチャレンジに燃えるのでしょうね。
大変な時期もあったけれど、産婦人科医になったことを後悔したことは一度もありません。赤ちゃんが産まれると幸せだし、難しい子宮がんの手術が成功したときの達成感は何物にも代え難い。今は、子宮がんになった際に体外受精で妊孕性(にんようせい、妊娠しやすさ)を残すことにも力を入れています。
年を重ねるごとに、患者さんの言うことが逐一分かるようになってきたんです。私は1人目が自然分娩、2人目が誘発分娩、3人目が帝王切開での出産で、それぞれに痛みや術後は大変でした。最近更年期に差し掛かってきたこともあり、時には友人、子、母のように、患者さんにより近い立場で考えられるようになりました。「先生久しぶり!」と診察室に患者さんが入ってくると、泣いたり笑ったり、つい話が長くなります(笑)。
女性一人一人にドラマがあり、産婦人科にやってくる瞬間は、患者さんにとって大きな分岐点であることが多い。思春期の月経異常が先天性のことも、妊娠や出産で命の危機にさらされることも、不妊でパートナーとの人生を考え直すことも、若くしてがんが見つかって妊娠をあきらめざるを得ないこともあります。女性の一生に関わる分野で仕事をさせていただいていることに、心から感謝しています。
チームメンバーと一緒に
銘苅さん提供
生殖内分泌・内視鏡手術のチームメンバー。体外受精などで不妊に悩む女性の治療をしたり、子宮がんや子宮筋腫の手術を行う。「メンバーのほとんどは育児中で、両立しやすいよう互いに声を掛け合っています」と銘苅さん。
手術は安全第一
銘苅さん提供
銘苅さんは、おなかを大きく切らず、5~10ミリ程の小さな傷からカメラや器具を入れて子宮がんや子宮筋腫などを切除する「腹腔鏡下手術」を行う。日本産科婦人科内視鏡学会技術認定医。「痛みが少なく、術後の回復も早いのが特徴です。ただし、傷が小さい分、手術の難易度は高く、安全第一でトレーニングが欠かせません」
プロフィル
めかる・けいこ
1974年那覇市出身。99年琉球大学医学部医学科卒業後、大学医学部産科婦人科入局。2017年同大医局長に就任。19年同大医学部付属病院周産母子センター教授に就任。3人の子の母。県医師会女性医師部会副部会長。県こども・子育て会議委員。
初登場の紙面(2008年10月2日掲載)
撮影/比嘉秀明 編集/栄野川里奈子
『週刊ほ〜むぷらざ』彩職賢美リターンズ<4>
第1694号 2020年1月16日掲載