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2019年10月24日更新

ウチナーグチで分かる地名|地元の宝ありんくりん[7]

執筆:竹内章祝
存続の危機に立つ沖縄固有の「ウチナーグチ」。今回はそのウチナーグチの単語を頼りに、隠された地名の謎に迫っていきます。

隠された謎に迫る

意外な由来続々

琉球王朝時代の中心地「首里」からみて南側にある地域が南風原町です。その地名の由来は方角で読み解くことができますが、まずは方角を示すウチナーグチを確認しましょう。「東=アガリ、西=イリ、南=フェー」となります。東と西はそれぞれ太陽が上がる・入るの意で、名字の東江(あがりえ)さんや、地名の西表島(いりおもてじま)からも察しやすいかと思います。

では南風原はどうでしょう。南風原はウチナーグチで「フェーバル」(「バル」とは~側、~の方の意)と言いますが、これはつまり首里から見た際に南側にあることに由来します。


ニシが北!?

では、同じように「原」が付く「西原町」を見てみましょう。首里から見た際の方角は西側ではありません。これはなぜでしょうか。

ちょうど今の時期に吹き始める北風を「ミーニシ」(「ミー」は新しいの意)と言いますが、ウチナーグチで「北」を表す言葉は「ニシ」と言います。実は以前の西原は今よりもはるかに広く(現在の那覇市の首里石嶺や天久、泊にまで至る)、現在の首里北側をすっぽり覆うように存在していたため「ニシハラ」とされたのですが、漢字で「北原」と表記した場合、ほとんどの人はこれを「にしはら」と読めません。そこで「西」の字をあてて、「西原」と表記したのです。

同様の例は、浦添グスク北側の西原集落、越来グスク北側の西原集落、勝連グスク北側の西原集落などでも見られますし(いずれも現在の行政区域と範囲が若干異なる)、那覇市の久米大通りの北側には西武門(ニシンジョウ・北の門の意)という門が存在していました。それにしても「にし」が「西」ではなく「北」の意というのは少し厄介ですね。


西武門(バス停)。久米大通りの北側にあった門がその名の由来。この地に以前門があったことを物語る
 
西武門交番。文字を見て、「北門」があったと理解できる人は少ないのでは…


坂田の由来は?

西原町の字翁長には、通称「坂田(さかた)」と呼ばれる地域がありますが、この由来も興味深いです。もともとこの地域は「ハンタ」と呼ばれていました。「ハンタ」とはウチナーグチで「崖」とか「端」を意味する言葉ですが、その場所をイメージしてみてください。

浦添市役所方面からは結構急な坂を下りますし、西原町役場方面からは急勾配な坂を上がってくる、そんな場所です。そこで人々はこの土地を「ハンタ」と呼ぶようになったのですが、地名を漢字で表記する際に「坂田(ハンタ)」としたのが、「さかた」と訓読みされるようになり、それがすっかり地域名として定着したのでした。字名の翁長よりも知名度は高いかもしれません。 他にも国頭村の茅打ちバンタや那覇市の繁多川にも「ハンタ」の文字が使われていますが、繁多川地域には崖(ハンタ。「端」の説もあり)に湧水(カー)があったため「ハンタガー」と呼ばれたのがその語源であるとされます。

このようにウチナーグチが分かると、地名の由来やそこに秘められた意味合いが理解できてくるものですね。
 
坂田交差点。沖縄都市モノレール延伸でより便利になった坂田。商業施設が立ち並び、地名としても定着している
 
繁多川。「ハンタ」(崖地。端の説もあり)にある「カー」(湧水)が地名になった。小さなせせらぎは「涼」をもたらしてくれる


参考文献/国立国語研究所資料集5 沖縄語辞典 国立国語研究所(財務省印刷局) 2001年/角川日本地名大辞典47 沖縄県 角川書店 1986年/日本歴史地名大系48 沖縄県の地名 平凡社 2002年/地名を歩く 南島地名研究センター ボーダーインク 2006年


執筆者

たけうち・あきのり
末期の沖縄病に感染した東京下町出身の人情派! 韓国や戦中のユーゴスラビアなど20年近くを海外で過ごし、沖縄に移住。沖縄地域通訳ガイド(韓国語)、通訳案内士養成研修講師など。
 

毎週木曜日発行・週刊ほ〜むぷらざ
「第1682号 2019年10月24日紙面から掲載」

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