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2019年6月27日更新

[創刊35周年・特別企画]わが家のHAPPY NEWS

週刊ほ~むぷらざは、2019年7月1日で創刊35周年を迎えます。今週は「わが家の35年ハッピーニュース」と題し特別企画を展開。読者3家族に35周年を振り返ってのハッピーな家族の話題を聞きました!



長年、琉球舞踊を続ける家族をはじめ、決まった日に写真撮影をするのが恒例の家族、みんなで支え合い事業を行う家族が登場。35年を振り返っての家族のハッピーニュースを写真も盛り込み紹介します。



琉舞続けることがわが家のハッピー
島袋家(那覇市)


2019年。長女とその子どもたち、次男の家族がそろい、みんなで撮影。前列右から島袋光康さん、光都くん、君子さん、佐渡山詠さん、佐渡山也子さん、後列右から島袋由美子さん、倫瑠さん、瑚子さん、佐渡山媛さん、島袋光尋さん、佐渡山開さん、晴さん

 
1986年の「ほ~むぷらざ」(月刊誌当時)の表紙に登場した島袋さん家族


孫の代で流派5代目

トップバッターは、「ほ~むぷらざ」がまだ月刊誌だった1986年に表紙に登場した島袋君子さん(70)ファミリー。

島袋君子さんに家族の35年を振り返ってのハッピーニュースを聞くと「国の重要無形文化財『琉球舞踊』保持者に認定されたこと。夫の光尋さん(77)も同じく『組踊』立方保持者に認定されていて、夫婦でハッピーを実感しています」と笑顔。
 
現在、君子さんは那覇市安里の「尋芸能塾」で夫と共に琉球舞踊・組踊の後進の育成に励んでいる。「子どもや孫たちの代まで、琉舞を続けられること。後進がしっかり育っているのが喜び」と話す。

取材時は、長女・也子さん(45)とその子どもたち、次男・光康さん(42)家族が集合し、みんなで撮影。島袋さんの「ハイ笑顔で!」の一声でみんな一斉に笑う。息もピッタリだ。

「今回集まってくれた次男と、師範として琉舞の指導にあたる長女の二家族だけでも孫が7人。そのうち5人が琉舞に携わっているんです。ほかの2人も将来的に琉舞に興味を持ってもらえるとうれしいですね」
 
その中には沖縄タイムス伝統芸能選考会で新人賞や最高賞を受賞した子もいるという。「私たち島袋流の流派は孫たちで5代目になります」。ここまで長く続く流派はなかなかなく、島袋さんは今後にも期待している。

君子さんは「父の教えであり、私が大切にしている『継続は幸せをもたらす』という言葉があるのですが、琉舞を長年続けていることで、子どもや孫の成長が実感できると感じています。これからもその言葉を胸に琉舞を続けていきたい」と目を細めた。

「県外にいて、なかなか会えない子もいて、家族みんなが集まる機会が少なくなりましたが、正月と子どもたちが企画して行う年に1度のバーベキューがわが家の恒例イベント。こういう家族のイベントを大事にしたい」と話した。



家族で舞台に登場する際の楽屋での一枚






いつでも家族で団結!!
川上家(北谷町) 


2019年。アルバムを見ながら会話が弾む川上家の4人。左から長女の稚恵さん、智子さん、優さん、次女の晃奈さん。アルバムは娘たちの成長記録として智子さんがこまめに整理していた


1983年、次女の晃奈さんが生まれた年に撮影した家族写真。当時は読谷村に住んでいた


事業も支えあって

家族そろって「わー、久しぶりに見た」とアルバムをめくる川上家(北谷町)。「一度開くと見入ってしまうんだよね」と川上智子さん(60)は話し、夫と2人の娘の顔をのぞき込む。「35年前の写真は懐かしい。キャンプや旅行に行ったり思い出はたくさん。夫の事業も家族で支えてきた。団結できることがうれしい」と笑顔を見せる。

娘たちが小学生の頃は、何度もキャンプをしたといい、「カセットコンロや、炊いたご飯を炊飯器ごと持って行った」と記憶をたどる。長女の慶田盛稚恵(37)さんは「テントを立てるのが大変だった。当時父と母がいろいろな経験をさせてくれたから、自分の子に同じようにしてあげたいと思える」のだそう。次女の晃奈さん(35)は「自宅の庭に敷き詰める石を海に拾いに行ったのも思い出。朝5時に起こされたんだよー」と笑う。

夫の優さん(63)は住宅の新築やリフォームなどを手掛ける建築会社「ラムハウジング」の代表で、智子さんは経理全般を担当。「完成見学会の時は、学生だった娘たちも手伝ってくれて、お客さんの対応をした」という。

現在は次女が建築士や福祉住環境コーディネーターの資格を取得。父の右腕として事業を支えており、長女もイベント時には手伝いに来るなど、団結力は変わらず。


「一番のピンチは、以前夫が勤めていた会社が倒産したとき。役員を務めていた夫には多額の借金が残った」と智子さん。「一つのアイスキャンディーを4人で食べたこともある。けど、娘たちは文句を言わずに協力してくれた。貧しくても苦ではなかった。楽しかったな」と懐かしむ。

また、優さんは「借金を無事に完済できたのは仕事があったから。私を信頼して仕事を依頼してくれた方々に感謝している」と語る。

二人の娘も親になり、孫は4人とにぎやかになった。今後の目標を聞くと、「2世帯住宅を建てる予定! とても楽しみ」とのこと。事業も次女に引き継ぐ準備をしており、「これからもみんなで支え合いながら」と家族で顔を見合わせた。

 
長女(右)と次女を膝に乗せる優さん






息子たちの存在 それが「幸せ」
前平家(那覇市)
 
2019年。前列右が前平典子さん。次男と三男が県外にいるため、今年の前平家の家族写真は2人の孫を含めた長男雄一朗さん(後列中央)家族と一緒に撮影


     
次男の真之介さん(左)、三男の祥太郎さん

35年前の家族写真。後列右が前平さんで、両親と2人の弟と一緒に撮影。前平さんが生まれた頃から、写真館で撮り続けている


家族写真は毎年恒例

「これは私が22歳の頃。両親と2人の弟との家族写真ね」と目を細める、那覇市の前平典子さん(57)。実家の伊志嶺家では、今でも毎年「1月2日は写真の日」と決めており、両親や兄弟となじみの写真館に集まるのが恒例だという。

前平さんは結婚後、夫や3人の息子たちとも毎年写真を撮影。現在は次男と三男が県外にいるため、「今年は私たち夫婦と長男家族で撮ったの」と写真を広げる。
 
「35年間で一番のハッピーは息子たちを生んだこと」と言い、全員反抗期を感じず、母として距離を置いたこともない。周りから「男ばかリで大変でしょ?」と聞かれることがあったが、「男の子しか育ててないから私にとってはこれが普通」と笑う。「息子たちとの会話は多いし、県外の2人とは長電話も多い」
 
2人の娘がいる長男の雄一朗さん(31)は県内で映像制作会社を立ち上げて代表を務め、次男の真之介さん(30)はレゲエアーティストとして東京で修業中。三男の祥太郎さん(26)は大阪で沖縄バー(飲食店)を経営していると話し、「それぞれが今好きな道に進んでいるからうれしい」とほほ笑む。

5歳年上の夫、房雄さん(62)とは24歳の時に結婚。歌が上手な房雄さんにひとめぼれし、「私からアプローチしたの。働き者で優しい」と紹介する。

前平さんは20歳から歯科衛生士として働き、一時は県の歯科衛生士会長を務めた。しかし、三男を出産後、家事・育児・仕事に必死でうつになった。ベッドから起き上がれず、処方された数日分の薬を一度に飲んでしまったことも。「何度も救急搬送された」と当時を思い出し、「夫は今までずっとご飯を作ってくれるなど、寄り添ってくれる。本当に感謝している」と気持ちを表現。夫婦ともに歌うことが好きで、「最近のハッピーは夫とカラオケに行くこと」とにっこり。

今後は夫と二人で旅行に行くことを計画中。「もちろん家族写真も撮り続けます。孫たちにも結婚して家族ができたら家族写真を撮っていってほしいな」と語った。

 
1994年に撮影された息子たちの写真。右が長男、左が次男、真ん中が三男

結婚31周年のプレゼントとして、息子たちから結婚した1987年のワインとグラスをもらった
 

『週刊ほ〜むぷらざ』創刊35周年特別企画・わが家のHAPPY NEWS
第1665号 2019年6月27日掲載

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